エピローグ〜その視線の理由は〜
それからひと月が経ち、ミシェルはすっかり日常を取り戻していた。
乗馬の練習は続けていて、今では歩かせるだけならば問題なく乗ることができるようになった。
ゆっくりでも走らせることができるようになれば、馬での外出も許されるということで、ミシェルは気軽な外出に憧れて、日々練習を重ねている。
また、あの日からずっとミシェルはラファエルと共に寝台で並んで眠る日々を過ごしている。穏やかな時間にラファエルから簡単なボードゲームを教わるようになり、それもまた楽しかった。
本当は、ミシェルはもうラファエルを受け入れる覚悟ができているつもりだ。しかし自分から誘うと考えるとどうしても恥ずかしくて、なかなか言えずにいる。
それでも、すっかり仲の良い恋人同士のような雰囲気で過ごす日々に、ミシェルは幸福を噛みしめていた。
今日は王城で夜会が行われており、ミシェルとラファエルは揃って会場にいた。
爽やかな水面のような透明感のドレスはミシェルによく似合っていて、揃いの布の小物を身に付けているラファエルと並ぶと、とても仲の良い夫婦に見える。
それに気付いたミシェルは、前回よりも距離が近い二人に向けられる視線に気付かない振りをしていた。
「前回よりも見られているね」
それなのに、ラファエルは見せつけるようにミシェルの耳元で囁いてくる。
ミシェルは頬を染めて抗議の声を上げた。
「ラファエル様がそんなことするからよ。もう……」
「綺麗なミシェルをもっと見せびらかしたいから、一緒に踊ろうか」
「……ダンスは好きだけど、そんな気障に言わなくても良いわよ」
「本当のことしか言っていないよ?」
そんな揶揄い合うようなやりとりも楽しくて、二人揃って小さく笑う。
夜会──それも王城の夜会は、貴族の駆け引きの舞台だ。それを知っていてもなお、恋人同士が楽しもうとする気持ちを抑えることはできない。
ミシェルは、このダンスを終えたら夫人達の会話に加わろうと心に決める。
「踊りましょう。私も、貴方と踊りたいわ」
ラファエルが差し出した手に、ミシェルがそっと自身の手を重ねる。ダンスフロアに移動すると、まるで二人を待っていたかのように中心が開けられた。
動揺を隠しながらも、流れ始めた音楽に合わせて身体を揺らす。
「避けられているみたいね」
「違うよ、ミシェルが踊る姿を見たいんだよ」
「あら。……きっと私達二人が踊る姿を、が正解よ」
ミシェルが言うと、ラファエルはくるりとミシェルを回転させてから苦笑した。
「ミシェルは、気付いているよね」
ミシェルは微笑みで肯定する。
ラファエルもまた笑って、二人の間の距離をまた少し詰めた。
「それじゃあ、思い切り見せつけてしまおう」
それからミシェルとラファエルは、立て続けに三曲を踊った。ミシェルも乗馬の練習で体力がついていたこともあり、難なく踊りきることができた。
そう、皆はミシェルとラファエルを見ている。フェリエ公爵家の若き当主夫妻の仲を窺っているのだ。
もしもその間に隙でもあろうものならば、ラファエルの元に娘を愛人として送り込むことも、ミシェルを精神的に追い詰めることもできる。
なによりフェリエ公爵家の将来が安泰かどうかで、この国の勢力図は大きく変わる。
ミシェルとラファエルの仲は、二人だけの問題ではないのだ。
「──お疲れ、ミシェル」
同じだけ踊ったはずなのに、あまり息の乱れていないラファエルがミシェルに言う。
ミシェルは息を弾ませて、ラファエルの横顔を見上げた。この体力の差が埋められないのが少し悔しい。
「ラファエル様もお疲れでしょう?」
「そうだね。少し休もうか」
ラファエルにエスコートされて、ミシェルは会場の端へと足を向けた。軽い酒でも飲んで、渇いた喉を潤したかった。
そのとき、背後から小さな声が聞こえた。
「エステル従姉様……?」
その名前がミシェルに向けられたものだと、すぐに分かった。
ミシェルははっと振り返る。
驚いたラファエルが足を止めた。
そこにいたのは、ミシェルやラファエルよりもずっと年上の男だった。二人の両親が生きていたらこれくらいの年齢だろう、という見た目だ。
細身の身体に、貴族らしいしっかりとした服装をしている。それなのに妙に自信なさげに見えるのは、姿勢のせいだろうか。
男がミシェルに向ける目は、まるで幽霊でも見たようだった。
それも当然だろう。
エステルというのは、ミシェルの母親の名前だ。
「貴方は──」
ミシェルの声を聞いて、男はぴしりと固まった。
それから、隣にいるのがラファエルだと気付いて慌てて姿勢を正す。
「も、申し訳ございません! 私はエロワ子爵のパトリックと申します。奥様が知人とよく似ていたもので、つい不躾に見てしまいました。ご容赦を」
「構わないよ。……ミシェル、エロワ子爵と面識はある?」
「いいえ、直接お目にかかったことはございません。けれど……母の血縁の方だと思います」
パトリックの髪は、ミシェルと同じ色だ。瞳の色はミシェルよりも少し深いが、それでも似た水色である。
何より、エロワ子爵家はミシェルの母親の実家だった。
ミシェルがラファエルと話している間、ずっとパトリックの目はミシェルを追っている。そこに乗っている感情は気持ちの悪いものではなさそうだったが、ミシェルはあまり好意的に受け取れなかった。
突然現れた血縁に驚いているからだろうかと自問しても、その答えは出ない。
ラファエルはミシェルの話を聞いて、パトリックに視線を移す。
「そう。ここであまり長く話すのは良くないから、場所を変えさせてくれるかな? 本当は、後日にしてくれるとありがたいのだけれど」
「あ……ありがとうございます! 日を改めて、まずはお手紙でご挨拶をさせていただきます!」
パトリックはそう言って、礼をしてその場を離れた。
ミシェルは気を取り直して、ラファエルと共に会場の端へと移動する。
その日、ミシェルは問題なくフェリエ公爵夫人としての社交をやりきった。必要な挨拶はこなし、近付いておきたい夫人ともボードゲームの話で盛り上がった。
しかし帰りの馬車に乗るまでずっと、受け止めたことのない種類の視線を感じ続けていた。
これにて第2部が完結となります。
ここまでお読みいただきありがとうございます!!
【以下第3部予告】
突然現れたエロワ子爵の目的は?
ゆっくりと仲を深めていくミシェルとラファエルに、新たな事件が。
そして、全てが明らかに──
第3部は5月上旬より連載再開予定です!
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