7章 お守り
ミシェルは身支度をして、エマと共にラファエルが待つサロンに向かった。
ラファエルはダミアンと何か話をしていたようだったが、ミシェル達の姿を見て会話を止めた。
「待ったかしら?」
「大丈夫だよ。そこに座って」
ラファエルは自分が座っているソファの向かい側を手で示す。ミシェルが座ると、エマがサロンの端に控えようとした。
ラファエルがエマを引き留める。
「エマにも聞いてほしいから、良ければ座って」
「そうよ。一緒に呼ばれたのだもの」
ラファエルの言葉にミシェルも一言添えると、エマは一瞬躊躇した後でミシェルの隣に腰掛けた。少し浅く座っているのは、用事を命じられたときにすぐに立てるようにだろう。
「──それで、話なんだけどね」
ラファエルはミシェルとエマの顔を交互に見て、口を開く。
「一昨日の夜、バルテレミー伯爵邸で火災が起きて、夫人と娘二人が亡くなったんだ」
ミシェルとエマは同時に息を呑んだ。
一昨日といえば、ミシェルとエマがバルテレミー伯爵邸から脱出し、ラファエルとフェリクスの手でバルテレミー伯爵とアンドレ伯爵が逮捕された日だ。
その日の夜に火災が起きたと考えると、どうにも違和感がある。
「ラファエル様、屋敷は全焼したのかしら?」
ぐるぐると渦を巻く思考を整理しながらミシェルが聞くと、ラファエルは小さく首を振った。
「やっぱり、ミシェルは気付いてしまうよね」
「それでは、やっぱり」
火事が起きたのは夜だと言っていた。
ミシェルが知る限り、あの屋敷に通いの使用人はいない。出火場所が厨房であれば、デジレが無事な筈がない。
屋敷が全焼しているのならば、三人が命を落としても事故や他者による放火の可能性がある。しかし、もし全焼ではないのにこのようなことが起きてしまったのであれば──それは、心中したと考えるのが妥当だろう。
「……うん。遺書は無かったけれど、屋敷の周囲は騎士が見張っていたし、中にいたのは三人だけだ。夫人の独断による心中だろうと考えられているよ」
「そう、ですか……」
ミシェルは目を伏せた。
これまでイザベルとリアーヌには散々虐げられ、苛められてきた。伯爵夫人からは辛く当たられることこそなかったものの、金のかからない使用人として扱われていた。恨んでいなかったと言えば嘘になる。
それでも、死んでほしいと願ったことはなかった。
分かり合える日が来るなどと、無邪気に思ってはいない。幸せになってほしいとも思えない。
ただ、関わり合いにならずに生きていてくれれば、それで良かったのに。
涙は出なかった。涙で流してしまえるほど、単純な気持ちではなかった。
「それで、私も呼ばれた理由は何でしょう」
ミシェルが何も言えずにいると、無言の隙間を埋めるようにしてエマが口を開いた。
「私はミシェル様と違って、あの一家に思い入れはありませんから。こちらでの実務の方が大切なのですよ」
ラファエルが苦笑して、着ていたベストのポケットに右手を入れた。
「そうだね。エマも呼んだのは、これが理由だよ。……ミシェル、手を出して」
ミシェルは言われた通り、ラファエルの前に両手を出した。その手の平の上に、ラファエルが右手に握っていたものをそっと落とす。
それは、銀でできたペンダントだった。
楕円形の銀のカプセルに、バラの花の模様が彫られている。花弁の部分にきらりと光るのは小粒のダイヤモンドだ。持ち上げてみると鎖は長く、普通に首に掛けるとトップの部分は服の下に隠れてしまうだろう。
「これは何でしょう?」
「その中には、公爵家秘伝の中和剤が入っている」
「秘伝の中和剤……ですか?」
「その中和剤は、様々な毒や薬に対抗することができるんだ。ミシェルも影から貰ったことがある筈だよ」
ミシェルは、バルテレミー伯爵邸から脱出しようと動き出したきっかけとなった影のことを思い出した。
あのときどこからともなく差し出された小瓶。
あの中身がそんなにすごいものだとは思っていなかった。
「あれが……」
「それなら服の下につけられるから、お守りとしていつも持っていてほしいんだ」
ラファエルが言葉を続ける。
ミシェルはそれを聞いて、今度こそ全てに気付いてしまった。
「──三人は毒で亡くなっていたのね」
エマが話の流れを理解したらしく、はっと目を見開いた。
ミシェルも表情こそ大きく変わっていないものの、内心では言いようのない不安が生まれている。
オードラン伯爵邸のアランの執務室からも、毒物が見つかったと聞いている。
こんなにミシェルの身近で毒に関する話を立て続けに聞くなど、何か理由があるのかもしれないと思わずにはいられない。
「ミシェルはこれからも、護衛をつければ外出は自由にしていいよ。でも、外で誰かから差し出された食べ物や飲み物には、充分注意してほしい。エマも、ミシェルが中和剤を持っていることを覚えていて」
「分かりました」
「分かったわ。ラファエル様は──」
ミシェルが言いかけた言葉を切って、ラファエルは口角を上げる。
「私も持っているから心配しなくて良いよ。……でも、このことは秘密だからね」
ミシェルとエマは、ラファエルの言葉に揃って頷いた。




