7章 おかえりなさい
ラファエルは王城に戻り、溜まった事務作業を終わらせなけらばならなかった。
それはラファエルだけではなく、昨日の午後からバルテレミー伯爵家の事件のために動いていたフェリクスも同様だ。
二人は現場となったサロン以外にそこで見るものがないと分かると、馬車に乗って共に王城へと出仕することになる。
「ラファエル。このことは、夫人には……」
「言わないわけにはいかないだろうね。──本当は、気にせずに過ごしてもらいたいんだけど」
ミシェルはフェリエ公爵の妻として、このシーズン中にも社交をしていかなければならない。そのとき、ラファエルのせいで世間知らずだと思われるような事態は避けたかった。
本当は、どうにかして黙っていることができれば良いと考えてしまう自分がいる。
ミシェルは強いからこそ、一人で抱えることができてしまうのだ。
ラファエルにも、側にいるエマにも見せずに、辛いことや悲しいことを心の奥に押し込めてしまう。それはこれまでに落ち込むことを許されなかったからこその強さなのだと、ラファエルは気付いてしまった。
気付いてしまうと、どうしても守りたい、幸せにしたいと思ってしまうのは男のエゴだろうか。
「ラファエル……」
「大丈夫。ミシェルは強いから、乗り越えることはできるよ」
バルテレミー伯爵家は、ミシェルを幼い頃も、そして今も苦しめ続けている家だ。
ミシェルに『貧乏神』などという不名誉な噂を立てたのもイザベルとリアーヌだった。今となっては幸せだったかは分からないが、そのときに社交界デビューを成功していたならば、また見える景色も違っただろうに。
それでもきっとミシェルは、彼等が死んだと言えば悲しむのだ。
「良い子だな」
「うん。……これ以上ないほどに、ね」
ラファエルは溜息を吐いて、首を振った。
◇ ◇ ◇
ラファエルが公爵邸に帰ってきたのは、日が沈んでからだった。特に連絡も無かったため、ミシェルは食事をとらずに待っていた。
やはり馬車の音が聞こえて、玄関扉が開かれる。使用人達の揃った挨拶も、そろそろ聞き慣れてきた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま。ミシェルは?」
ラファエルが聞くと、一番端にいた女使用人が一歩前に出る。メイド長を務めるエリーズだ。逆にダミアンが僅かに身を引くのが何とも面白い。
ダミアンはエリーズの実子だ。やはり、仕事中の母親を間近で見るのも、逆に見られるのも気恥ずかしいのだろう。
「奥様でしたら、旦那様とお食事をされると仰って、お部屋でお待ちでいらっしゃいますよ」
「ありがとう。私は着替えてから食堂へ行くと伝えてくれる?」
「承りました」
エリーズが一礼して、ホールの端にいたララに伝言を頼んだ。
ちょうど明日の模様替えに備えて花瓶を片付けに下りてきていたララは、エリーズの指示を受けてすぐに階段を上り始めた。
馬車の音に気付いて、部屋を出て階段のすぐ上まできていたミシェルとしては、なんとも落ち着かない状況だ。
「ラファエル様、おかえりなさい!」
ミシェルは階段の上から思い切って声を張った。
気付いたラファエルが、会話を途中で止めてはっと上を向く。ミシェルを見つけると、ラファエルは楽しげに笑った。
「──どうしてそんなところにいるの?」
「ちょうど、お迎えに下りようとしていたところだったの」
ミシェルは言って、微笑みを返す。
今朝、ラファエルがばたばたと出かけてしまったので、心配していたのだ。
ミシェルはこれまで、思うように物事が進んだ経験に乏しい。だからこそ、うまくバルテレミー伯爵邸から脱出できたことが奇跡のように思えたのだ。
もしかしたらその分だけ何か悪いことが起こるのではないかと、不安だった。
それに、昨日数日ぶりに再会したラファエルと離れているのが寂しかったという気持ちもあった。帰宅の音を聞いて部屋を飛び出してきてしまうくらいには、帰りを心待ちにしていたのだ。
「そうか、ありがとう。着替えてから食堂に行くから、少し待っていてね」
「分かったわ。でも、急がなくて良いわよ」
ラファエルはミシェルを待たせていると思ったら、最低限の身支度で食堂にやってくるかもしれないと急に心配になった。
昨夜ミシェルに想い合う夫婦だと告げてからのラファエルは、これまでよりもずっと甘くて優しい。これまでであれば微笑みつつも自分のペースを崩さなかったが、今は逆にミシェルの都合に合わせてくれそうな気すらした。
そして、一日働いてきたラファエルを急かしたくはない。
ミシェルが言うと、ラファエルは苦笑して頷いてくれた。どうやらミシェルの意図しているところが分かったらしい。
ラファエルが階段を上ってくる。
ミシェルはもう一度身支度を確かめに自室に戻ることにした。




