2章 初めての侍女
ミシェルが部屋に入ると、使用人も後をついてきた。何か命じられているのかと首を傾げるが、使用人はそれが当然というように扉も閉めてしまう。
ミシェルが振り返ると、使用人は姿勢を正して腰を折った。
「──本日よりお嬢様のお世話を任されました、エマと申します。よろしくお願いいたします」
「──……え?」
エマと名乗った使用人は、姿勢よく立って手本のような微笑みを浮かべている。対してミシェルは、エマに何と言ったら良いのか分からずにいた。
黙ったままのミシェルを促すように、エマは言葉を繰り返す。
「ミシェル様の侍女でございます」
「エマさんが?」
「どうぞ、私のことはエマとお呼びください」
エマは焦げ茶色の髪と榛色の瞳の美人だった。持っている色合いこそ地味なものの、使用人のワンピースを着て眼鏡をしていても、その美しさは隠しきれていない。まっすぐな髪はミシェルの髪より艶めいていて、ミシェルも使用人のようなワンピースを着ていることもあって、並んだらきっとエマの方が令嬢らしく見えるだろう。
「私に侍女なんて、お兄様がつけたりするのかしら」
再会してあまり時間が経っていないが、アランの性格は少しずつ分かってきた。
効率主義で、平気で嘘を吐ける。妻のナタリアのことは愛しているのかもしれないが、ミシェル自身には全く興味がない。
金貨を積んで買い取ったのに、不思議だ。
「……私は以前、奥様の侍女の一人でした。ですが、奥様のお気に障られることが多かったようで、スカラリーメイドとして働かせていただいておりました。お嬢様に使用人の扱いを学ばせるためにと、こうしてまた側仕えを許されたのです」
アランがミシェルに令嬢として相応しい素養を身につけさせようとしていることは確かだ。そのような理由ならば、侍女を与えられることにも納得はできる。
しかし、ミシェルが気になったのはそこではなく、エマの経歴である。
「侍女からスカラリーメイド……貴女、どこかのお嬢様ではないのですか?」
エマの見た目は、明らかにどこかの貴族令嬢のもののようである。所作もミシェルよりずっと美しく、整っていた。
伯爵夫人付きにされるような侍女は下級貴族や裕福な商家の令嬢がほとんどで、厨房で食器を洗ったり掃除をするスカラリーメイドは町娘の良い職場のひとつである。
「私には敬語ではなくて大丈夫です。私はクストー男爵家の四女です。クストー家は子供が多いので、成人をした子供は皆どこかに働きに出て、自分で生きて行くことになっているのです」
「それは、大変ね」
「でも、悪いことばかりではないのですよ。長男と次男は家の仕事をしていますが、私は関係ありませんし、政略婚も四女までは降りてきません。親には『貰ってくれるなら商人でも農民でも気にしない』なんて言われていますし」
ミシェルはふと、バルテレミー伯爵家の娘達のことを思い出した。貴族の嫁入りに必要になる持参金は、子だくさんの家にはかなりの負担になる。
エマはそこまで話して、苦笑した。
「まあ、流石にスカラリーメイドにされたときはどうしようかと思いましたが、紹介状を持って働きにきたからには、簡単に辞めるとも言えませんでした。だから、ミシェル様がいらしてくれて、本当に良かったです」
ミシェルは目を伏せた。
侍女をスカラリーメイドにというのは、どう考えても使用人いびりである。少し話しただけでもこんなに良い人のように思えるエマが、そんなことの対象になるのは想像ができなかった。
「それは……ナタリア様が、申し訳ないことを──」
「ミシェル様が謝罪されることはありませんよ。あの牝狐の性格が悪いだけですから」
エマはにこりと笑って毒を吐いた。
「牝狐って」
「だって、自分より綺麗な人間を側に置きたくないなんてよく分からない理由で左遷されたんですよ? 奥様、顔は良いけど、性格の悪さが滲み出てますよね……って、あ。失礼いたしました」
少しも悪びれる様子も見せずに謝ったエマに、ミシェルもつい苦笑する。
「話し過ぎてしまいました。お着替えの支度をさせていただきたいのですが……お召し物はどちらに?」
「ごめんなさい。私の服は、これしかないの」
ミシェルは今自分が着ている服を見下ろして、首を振った。
ミシェルが持っている服は、今着ている使用人の制服のような濃紺のワンピースだけだ。ほつれた箇所を手直しした跡がいくつもあり、伯爵令嬢の服として正しくないのは分かっている。
包みの中身はもう少しましなものだろうが、古い子供服を今更着られる筈がない。
「はあ!? 伯爵令嬢の服が、これだけ? 信っじられない」
エマはそう言って、目尻を吊り上げた。美人であるがゆえに、よりきつい印象になる。
「クローゼットの中にも無かったから、おかしいと思ってたんですよ! ちょっと旦那様に抗議して参ります」
「待って待って! そんなの無理よ」
今にも部屋を出ていってしまいそうなエマを、ミシェルは慌てて止めた。