6章 堪え難い屈辱
※閲覧注意。一部残虐な表現を含みます。
◇ ◇ ◇
バルテレミー伯爵夫人イヴォンヌは、愚かな二人の娘をバルテレミー伯爵邸のサロンに呼び出した。
ラファエルとアンドレ伯爵が来ると聞いて、イヴォンヌはイザベルとリアーヌに許可を出すまで自室から出てこないようにと命じていた。
結果として、それは正しい判断だったと言わざるを得ない。
この娘達があの場に押しかけていたならば、別の罪も乗せられていてもおかしくなかっただろう。
「お母様、お父様はどうしたの?」
「そうよ。外にも騎士がたくさんいるし。何があったの?」
イザベルとリアーヌがそれぞれ椅子に腰を下ろしながら言う。
「貴女達の企みが王家とフェリエ公爵家に知られたのよ」
イザベルとリアーヌが互いに顔を見合わせた。
今日の午後、ラファエルとフェリクスが大勢の騎士を連れてやってきて、この家の主である伯爵は逮捕された。それをきっかけに、当主の執務室や邸内の隠し部屋まで調査され、たくさんの書類や残り僅かな隠し資産が押収された。
その中には、脅迫をして締結させた契約書や不正な取引をしている相手の情報、領地経営のための資金を生活費として着服していたことが分かる裏帳簿等も含まれている。
「それじゃあ、お父様は?」
「逮捕されて、今ごろは取り調べでも受けているのではないかしら?」
イヴォンヌは努めて冷静な声でその事実を告げた。
「アンドレ伯爵様も共に逮捕されたそうよ。これは貴女達にとっては良いことかもしれませんが、縁談はなくなるわね」
リアーヌがぱあっと笑顔になる。
イヴォンヌはその表情の変化に呆れた。リアーヌは良くも悪くも非常に単純な性格の持ち主なのだ。そこを愛されることがあれば、もっと良縁も望めたかもしれない。
一方、イザベルは顔を青くして、じっとイヴォンヌを見つめている。
イザベルはリアーヌよりもいくらか賢い。きっと、これからイヴォンヌが告げることを察しているのだろう。
「同時に、アンドレ伯爵家からの援助の予定も無くなりました。当主が逮捕されて、我が家には減刑を願うほどのお金もありません。……そもそも王家と公爵家の怒りを買った家がのうのうと暮らしていけるとは思えないけれど」
「そんな! それじゃ私達、これからどうなるって言うのよ!」
「……え。イザベル、どういうこと?」
「リアーヌはこんなときも馬鹿ね! 伯爵家が取り潰されるってことよ!?」
「ええ!? どうして──」
イヴォンヌは肺の中の空気を全て吐き出すように溜息を吐いた。目を伏せ、用意していたティーポットを傾ける。
三人分のカップに、甘く爽やかな香りのハーブティーが注がれた。
湯の量はぴったりで、ポットの中は空だ。
「イザベル、リアーヌ。私は、貴女達の行いを今更責めるつもりはありません。貴族の世界では、そういった駆け引きや企みをすることもありますから。──……でもね、やるからには、失敗は許されないの」
イザベルが唇を噛む。
リアーヌがイヴォンヌを驚いたように見ていた。
「これから先、私達は良くて爵位剥奪、悪くて辺境か国外に追放になるわ」
こんなハーブティーの茶葉一つも買えなくなるだろう。
イヴォンヌは自然な動作で、ティーカップをそれぞれの前に置いた。
「さあ。こんなお茶でも、飲める内に飲んでおきましょう」
イザベルとリアーヌが、また顔を見合わせる。
イヴォンヌがカップを持って口をつけると、二人も同時にそれを傾けた。
「──美味しいかしら?」
イヴォンヌがカップをソーサーに戻す。
口をつけた筈のハーブティーは、全く減っていなかった。
「お、かあ……さま?」
イザベルが驚愕の表情でこちらを見ている。労働を知らない、真っ白で華奢な手が震えていた。その手からティーカップが落ちて、ぱりんと音を立てて割れる。
喉から空気が漏れる音がする。
震えた身体は椅子に座り続けることができずに、床に頽れた。
「あら、イザベルは上品に飲んだのね。ほら見て。リアーヌなんて一度に飲んだから、少しも苦しまなかったみたいよ」
自由が利かないイザベルの視線の先では、椅子に座ったままのリアーヌが、テーブルに体を預けて動かなくなっていた。
イヴォンヌは今だけ、イザベルがリアーヌよりも賢く育ってしまったことを後悔した。
それでも、充分に致死量の毒を口にしていたらしい。イザベルはしばらく震えながら涙を流していたが、やがて苦しげな呼吸の音もしなくなった。
「……全く、愚かなこと」
イヴォンヌはマッチに火をつけた。そのマッチで、テーブルクロスに火をつける。
また一本、今度はソファ。次はカーテン。
箱の中身が無くなるまで、周囲にある燃えそうなもの全てに火をつけていく。
この火が、どこまで何を消してくれるかは分からない。
イヴォンヌは、この毒だけでも燃やし尽くしてくれれば良いと思っていた。そしてできれば、醜い愚かな女達の死に顔も。
「私が嫁いだのは、裕福な伯爵家なの。平民に身を窶すなんて、決して許されないわ」
バルテレミー伯爵家は金持ちだった。かつては豊かであった領地からの税収だけで、何も考えずに贅沢することを許された家だった。イヴォンヌはそんな裕福なバルテレミー伯爵家の当時の当主達に望まれて嫁いできた嫁だった。
没落しただけでも許し難いのに、これ以上の屈辱など耐えるつもりもない。
イヴォンヌはテーブルに一つ残されていたハーブティーを一気に飲み干した。致死量を大きく上回った毒は、一瞬でイヴォンヌを永遠の眠りへと誘ってくれる。
倒れたイヴォンヌのドレスに、テーブルクロスから火が燃え移った。
同時にドレスのポケットから、小さな瓶が転がり出る。
何も入っていないその小瓶は、オードラン伯爵が所持していたものと同じものだった。




