6章 バルテレミー伯爵夫人の望み
ラファエルとフェリクスは並んで廊下を歩いた。時折屋敷の中を調べている騎士とすれ違う。
フェリクスが窓の外の暗闇に目を向けた。すっかり日が沈んでしまっている。
「──ラファエル、これで良かったのか?」
「うん。ありがとう、殿下……いや、フェリクス」
ラファエルは苦笑して、王太子となった友人を昔の呼び方で呼んだ。
アンドレ伯爵邸にはこれから本格的な調査が入るだろう。応接室で口にしていた地下室についても調べが入る。行方不明だという前の嫁達も見つかるかもしれない。
バルテレミー伯爵家は、今逮捕できるのは当主だけだ。しかし、今回本格的な調査が入ったことで、これまでの不正と怠慢が更に明らかになるだろう。爵位返上の上、当主以外の一族は辺境に追放、というのが妥当なところだ。
ミシェルはあくまでイザベルとリアーヌの友人として招待された立場だ。本当はイザベルとリアーヌの罪も法の下で裁かせたいが、それをするにはミシェルが誘拐されたことを公にしなければならない。ラファエルはそうするつもりはなかった。
ラファエルの妻であるミシェルとは、彼等は今後一切関わることがなくなる。それで良い。
ラファエルはミシェルの立場の方がずっと大事なのだ。
当主であるバルテレミー伯爵に裁きが下るまで、この屋敷の外には、騎士が配置される。もうこの家の人間が不審な行動をすることはできないだろう。
「はは、ラファエルからそう呼ばれるのは子供の頃以来だね。悪くない、これからもそう呼んでくれて構わないよ」
フェリクスが笑う。
ラファエルは苦笑してフェリクスの肩を軽く叩いた。
「いや、これからも殿下と呼ばせてもらうよ」
「なんだ、つまらないな」
ミシェルが家に帰ってきている。その事実が、ラファエルの心を軽くする。
玄関ホールでも、騎士達が家のあちこちを調べていた。
ラファエルがフェリクスと共にその場を任せて家へ帰ろうとしたそのとき、背後からぴんと張り詰めたような女の声がラファエル達を呼び止めた。
「──お帰りでいらっしゃいますか?」
振り返ると、そこには一人の女がいた。
少し前に流行した型のドレスをしっかりと着こなし、背筋を伸ばして立っている。バルテレミー伯爵と年齢は近いと聞いていたが、それよりもいくらか若く見える。
おそらく、この人がバルテレミー伯爵夫人。この屋敷の女主人だ。
ラファエルは微笑みを貼り付けて頷いた。
「ええ、大変お邪魔いたしました」
伯爵夫人が今回の件にどれだけ関わっていたのかは、まだ分からない。もしかしたら何も知らないのかもしれない。いや、女主人なのだから、家の支出に関しては関与していたと考えるのが妥当だ。
バルテレミー伯爵夫人は、怒っているかのようにも見える無表情の眉間に皺を寄せた。
「いいえ。不躾ではございますが……私、お二方にお願いがございまして参りました」
ラファエルとフェリクスはちらりと目を合わせた。
自分の夫が逮捕され家の取り潰しがほぼ決まった今になって、王太子と公爵である二人に頼み事など、おかしなことだ。
「どのようなことだ?」
フェリクスが言う。
バルテレミー伯爵夫人は優雅に正式な場でするものと同じ王族に対する礼をし、口を開いた。
「──当家の使用人を全員、連れて行ってくださいませんか。正直、こうなってしまっては、もう私には一日分も彼等の給料を支払うことはできません。お二方がお帰りになった後は、しばらく何者もこの屋敷から出ることは許されませんでしょう? それでは困るのです」
ラファエルは驚いた。
あのバルテレミー伯爵の妻はこのような人間だったのか。なんと地に足が着いた夫人だろう。
いずれにせよ、使用人には個別に取り調べをすることになる。バルテレミー伯爵家にそういった事情があるのならば、このまま先に一旦王城預かりにしてしまっても問題は無い。
むしろその方が、証拠を隠される危険もないだろう。
フェリクスが頷く。
「分かった。だが、住み込みの使用人はどうする?」
「当家に住み込みの者はおりません。料理人も含め、通いの者が四名いるだけです」
料理人という言葉に、ラファエルははっとした。
ミシェルが気にしていたデジレという料理人は、バルテレミー伯爵家の使用人だ。伯爵夫人がこう言ってくれているうちに連れ出した方が良い。
「殿下、私からもお願いしたい。騎士団の宿泊棟でしたら、即日でも四部屋くらい用意できるかと」
ラファエルが言うと、フェリクスは頷いて側にいた騎士に声をかけた。
すぐにバルテレミー伯爵家で働いている使用人四人を集めて騎士団の宿泊棟へ泊まらせるようにと指示をする。
騎士団の宿泊棟は、遠方から招いた証言者や事情があり家に帰らせられない参考人等を一時的に宿泊させる場所だ。使用人の保護に使っても、何の問題もないだろう。
騎士はすぐに別の者と共に邸内へと移動していった。
全てを見届けたバルテレミー伯爵夫人が、深く膝を折る。
「──温情、感謝いたします」
また無表情になった伯爵夫人を残して、ラファエルとフェリクスはその場を辞した。




