6章 アンドレ伯爵
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アンドレ伯爵は、予定通りの時間にバルテレミー伯爵家にやってきた。門の前では、自分の商会で雇っている私兵がアンドレ伯爵を出迎える。
バルテレミー伯爵家に預けている私兵達は、ミシェルを捕らえ、逃がさずにいるためのものであると同時に、バルテレミー伯爵が裏切らないようにするための脅しでもあった。
屋敷の中にまでアンドレ伯爵の私兵を入れたバルテレミー伯爵は、もう、こちらの要求に逆らうことはできない。
それでもミシェルの引き渡しを渋っているのは、やはり攫ってくるときに『客人』と名乗られたからだろう。アンドレ伯爵にとっては、その機転が利く強気なところも好ましかった。
「──とはいえ、いいかげんにしてくれませんかねぇ。こっちはいつまでも私兵をここに置いておく訳にはいかないんだよ」
「で、ですが……あの公爵はまだ諦めていないようで」
バルテレミー伯爵が額に汗をかきながら頭を下げている。
バルテレミー伯爵家が困窮したと聞いて、最初にアンドレ伯爵が狙ったのはその双子の娘達だった。あまり性根の良い令嬢ではないことは知っていたが、かえってその方が躾け甲斐があるというものだ。
しかしアンドレ伯爵と初めて対面したとき、その娘達は言ったのだ。『なんでミシェルばかり』と。
詳しく話を聞くと、オードラン伯爵家のミシェルは、以前はバルテレミー伯爵家で使用人のようなことをしていたらしい。娘達の言葉尻からは、アンドレ伯爵自身がいつも嫁に向けるものと同じ種類の嗜虐性が感じ取れた。
アンドレ伯爵は、王都の教会で行われたミシェル達の結婚式を見ていた。純白のドレスを完璧に着こなしたミシェルは、これまでに見たどの娘よりも清廉で、まるで本物の女神のようだった。その神聖なものを、自分の手で堕としてやりたくて仕方なかった。
そして、アンドレ伯爵は娘達に提案したのだ。
「『ミシェル嬢を代わりに差し出す』というのが援助の条件だっただろう? いつまで待たせるつもりだ」
「ですから、猶予を──」
バルテレミー伯爵の娘達は、アンドレ伯爵の提案を喜んで呑んだ。私兵といくらかの金を渡し、それを使ってうまく攫ってくるようにと指示をしたつもりだった。
それなのに、娘達は現場で正体に気付かれ、ミシェルはその場で客人を名乗ってしまった。
そうなると、バルテレミー伯爵は困ってしまう。
バルテレミー伯爵家の客人ということは、そこで行方不明になれば家の責任を追求される。ただでさえ貧しく、権力も殆どないバルテレミー伯爵家だ。そんなことになればあっという間に家ごと潰れてしまうだろう。
それを恐れたバルテレミー伯爵が、アンドレ伯爵に猶予をくれるように申し入れてきたのだ。最初、アンドレ伯爵はそれで自分が疑われずに済むのならと受け入れた。
バルテレミー伯爵は、ミシェルが自らフェリエ公爵に嫌気が差して姿をくらますことにしたいと言う。
しかしミシェルがバルテレミー伯爵家に攫われたことは既にフェリエ公爵も知っているだろうから、どんなに取り繕っても詭弁だと思われるに決まっているのだ。
「そもそもミシェル嬢が客人を名乗ったところで、公爵の奴にはこれが誘拐だと知られているんだ。それなら、向こうが手を出せずにいるうちにさっさとここから移した方が良いだろう」
「そ、それでは我が家がどうなっても良いと仰るのですか!」
「……そんなことは言っておらんよ。ただこんな家よりも私の領地の地下室の方が、見つかりづらいだろうというだけだ。それとも、やはり自分の娘にするか?」
正直、アンドレ伯爵にはバルテレミー伯爵家がどうなっても関係ない。彼らの行く末など全く興味がなかった。
むしろもっと没落してくれれば、双子の娘だけはミシェルと共に自分の領地に引き取っても良いかもしれない。
「いいえ、いいえ! ミシェルは差し上げます。二階におりますので、どうぞ、この鍵を使ってお入りください。薬が効いていますので、明日の朝まではろくに動けませんから!」
アンドレ伯爵は差し出された鍵を受け取って、にやりと口角を上げた。
ようやく、あの美しい薔薇を手折ることができる。高潔だという顔をして、女などどうせどれも堕ちてしまえば怯えて命乞いをするばかりなのだ。
しかし折角の薔薇だ。手折る前に気に入りのドレスを着せてやろう。部屋は既に用意させてある。真っ白な地下室に、真っ白な寝台だけを置いた美しい部屋だ。
アンドレ伯爵は今からその光景を想像し、目を細める。
早速ミシェルを連れて領地に戻ってしまおう。議会は途中だから、一度地下室に閉じ込めてから戻ってきても良いだろう。むしろあの部屋で孤独に泣いていた方が、戻ったときに従順になっているかもしれない。
それよりも、まずはこの屋敷で動けずにいる内に一度いたぶって大人しくさせておくべきか。
「ああ、楽しみだ。それでは部屋をお借りするよ」
アンドレ伯爵が踵を返して、扉を開けようと手を伸ばす。
しかしノブに手をかける前に、扉は部屋の外側から大きく開けられた。




