5章 帰宅
「ミシェルはここで帰りを待っていてくれる?」
ミシェルは首を傾げた。
「ここ、ですか?」
「そう。……私と、君の家で、ね」
ラファエルとミシェルの家、というと、フェリエ公爵邸だ。
「ここ、公爵邸だったのですね」
「うん。同じ貴族街ならここが一番安全だからね」
ラファエルが微笑んで、エマに扉を開けるように言う。
エマが言われた通り扉を開けて外に出ると、ラファエルがミシェルを横抱きにしたまま馬車から降りた。
「あの、もう歩けますので……!」
「私が離したくないだけだから、気にしないで。殿下、少しここで待っていてくれるよね」
「ああ、どうぞ」
ラファエルは振り返ってフェリクスの許可を取る。ダミアンがその隣で苦笑していた。
フェリエ公爵邸は、相変わらず、童話の中の城のような建物だ。
丁寧に手入れされている建物は歴史あるものなのに、白い壁にはひび一つ無く、赤い三角屋根が可愛らしい。いつも使用人が丁寧に手入れしてくれているからだ。
正面から見て右側の奥には、タウンハウスにしてはかなりの広さがあるコンサバトリーがある。あの中はラファエルの亡き母が愛した白薔薇でいっぱいに埋められている。
生け垣はきっちりと切り揃えられており、周囲には季節の花が咲いている。長く仕えてくれている、腕の良い庭師がいるからだ。
小さく水の音が聞こえるのは、愛らしい噴水があるからだ。側にあるベンチはミシェルの気に入りの場所の一つだ。
ミシェルは寒くないようにとブランケットごとしっかりと抱えられ、公爵家の玄関扉をくぐった。
「おかえりなさいませ、旦那様」
まだ普段の帰宅時間よりも早いからか、出迎えの使用人の数はそう多くない。それでも美しい整列での出迎えは健在である。
しかし彼等はラファエルの腕の中にいるミシェルを見つけると、途端に表情を変えてわっと盛り上がった。
「奥様……! おかえりなさいませ!!」
「お帰りをお待ちしておりました!」
「お痩せになったんじゃありませんか? ちゃんと食べさせてもらえなかったのでしょうか……お可哀想に」
わらわらと寄ってくる使用人達は、皆ミシェルに好意的な表情を浮かべている。
「ただいま。……心配をかけました」
ミシェルが薄く微笑んで言うと、何人かは涙目になっている。
この家は、ミシェルを受け入れてくれている。それが伝わってきて、ミシェルまで泣いてしまいそうだった。
しかし大勢の使用人の前で、女主人が泣くわけにはいかない。ぐっと堪えて微笑んでいると、玄関ホールでの騒ぎを聞きつけたのか、他の場所で仕事をしていた者達まで集まってきてしまった。
ラファエルが微笑みの表情で口を開く。
「──私はこの後出てきます。ララとノエルは……ああ、そこか。ミシェルのことを頼んだよ。エマは今日と明日は休みにして構わないから」
ララとノエルがラファエルの言葉に頷く。エマは不満もあるようだったが、ミシェルが小さく首肯してそうするようにと示すと、仕方がないという顔をした。
「ミシェルは、このまま部屋に行こうね」
「はい……」
ラファエルがミシェルを抱えたまま階段を上る。
ミシェルの部屋は二階、ラファエルの私室の隣だ。ララが部屋の扉を開けてくれて、ミシェルはラファエルの手でそっとソファーに降ろされた。
再会してから初めて身体が離れて、二人の間を通り抜けた僅かな風に身を縮める。
「──それじゃあ、行ってくる。眠れるようなら寝ていても良いよ」
ラファエルが言う。
ミシェルは首を左右に振って、目の前に立つラファエルを見上げた。
「いいえ。お帰りをお待ちしておりますね」
「ありがとう。無理はしないで」
ラファエルが軽く屈んで、ミシェルの頬に触れる。視線が絡んで、ミシェルの口が言葉にならない声を紡いだ。
ラファエルの指先が名残を惜しむように頬を撫でて離れていく。
部屋を出ていく背中を見送って、ミシェルは目を伏せた。
「奥様。お風呂の支度をいたしますから、こちらのハーブティーを飲んでお待ちくださいませ。エマも、奥様の側にいたいのは分かりますが、一度部屋に戻って身支度を整えてからですよ」
ノエルが笑顔で言って、テーブルの上にカップを置く。エマは渋々頷いて、失礼しますと言って部屋を出ていった。
ミシェルはカップを傾けて、中に入っているハーブティーを飲んだ。爽やかな香りで、身体が温まる優しい味だ。きっとミシェルが疲れていると思って、ノエル達が選んでくれたのだろう。
ララが忙しなくぱたぱたと早足でミシェルの部屋を整えて、着替えを選んでくれている。
ミシェルは穏やかで幸福な日常が戻ってきたことを実感して、息を吐く。
丁度ハーブティーを飲み終えたところで、浴室の支度ができたとノエルに呼ばれた。
すぐに浴室へ行って風呂に入る。ノエルが注意深くミシェルの身体を確認していたのは、怪我などがないか心配してくれているからだろう。
風呂を出て、ララが用意してくれた柔らかな素材の室内着に着替える。肌の手入れをしてもらっている内に、エマがいつも通りの制服に着替えて戻ってきた。
「エマ、休んで良いのよ?」
「……明日はお休みをいただきますから」
エマも離れたくないのだろうか。
「それでは、一緒にラファエル様のお帰りをお待ちしましょうか」
ミシェルが言うと、エマは嬉しそうに頷く。
ふとサイドテーブルに目をやると、そこにはあの日ミシェルが買ったテディベアが置かれていた。
ミシェルはサイドテーブルに歩み寄り、屈んでその大きなテディベアと目を合わせる。数日ぶりに見ても、やはり綺麗な瞳だ。淡い紫色の透きとおった瞳が、ラファエルと見つめ合って抱き締められたときの熱を思い出させる。
ミシェルはテディベアに両手を伸ばし、ぎゅうと胸元に引き寄せた。




