5章 温かい腕の中
ラファエルがミシェルを離さないまま、動く馬車の中で座席に腰掛けた。空気を読んだフェリクスがエマの隣に移動する。
広々とした三人掛けの座席で、ミシェルはラファエルの膝の上に横抱きにされた。座席は広く余裕があるのだから、せめて隣に座らせてくれれば良いのに、ラファエルは何故かミシェルを離してくれない。
ミシェルはほとんど同じ高さにあるラファエルの顔をまっすぐに見られずにいた。いつも見上げていたから、こんなにも近い場所は慣れていない。
「ラファエル様。私、一人で座れます」
「そうだろうね」
ラファエルは当然というようにそう言って、ミシェルを抱く腕の力を強めた。頬が少しも赤くなっていないというのは、この状況に照れていないからだろうか。
ミシェルは恋心を抱いている相手に抱かれていて、顔は真っ赤で、体温も上がっている自覚がある。
更にそれをフェリクスとエマに見られているのだから、恥ずかしくて仕方がない。
「──ラファエル様?」
責めた声を出してみても、ラファエルは微笑むばかりだ。
狼狽えるミシェルに、フェリクスが呆れた笑い声を上げる。
「はは。夫人、私のことは気にしなくて良いよ」
「私のこともいないと思ってくださいませ」
エマが床に落ちていたブランケットを拾って、身を乗り出してラファエルごとミシェルを包む。温かくはなったが、これでは体温が余計に伝わってしまう。
「──馬車が止まるまでで良いから。もう少しだけ……良いよね」
あっという間にぽかぽかになったブランケットに、ミシェルは顔を埋めた。
ラファエルが堪えるようにくつくつと小さく笑う。
馬車はがらがらと街道を進んでいく。
さっきまでのミシェルの心の中にあった不安も辛さも、全部がどきどきと煩い鼓動の音で塗り替えられてしまう。これはミシェルの心臓が、ラファエルを好きだと叫ぶ音だ。助けようと動いてくれていたことを知って、喜んでいる音だ。
目を閉じると、音は余計に大きく感じる。
それがミシェルのものだけではないことに気付くと、ミシェルは余計に顔を上げられなくなった。
どうして、と考えても、ミシェルの中にその答えはない。ラファエルに問おうとしても、今この場で聞けるほど自分を見失うこともできなかった。
やがて馬車はどこかに辿り着き、ゆっくりと止まった。
「ラファエル。馬車、止まったよ」
フェリクスが言う。
ミシェルはブランケットの間から顔を覗かせた。
「……ラファエル様、下ろしてくださいませ」
もう十五分くらいは走っていたと思う。ミシェルは胸も頭もいっぱいいっぱいだ。
「このままでも話せるでしょう」
「……え」
うっかり顔を上げたミシェルの目に入ったのは、ラファエルが愛おしげに自分に向ける瞳だった。
こんな顔、ミシェルは知らない。
これまでに向けられたことのない表情に、ミシェルは心の置き場を見失う。
フェリクスが小さく溜息を吐いて、咳払いをした。
「──分かった。話が進まないから、このまま話すよ。まず、夫人とエマ嬢が無事に逃げてこられて本当に良かった」
フェリクスが真面目に話し出したことで、ミシェルは慌てて意識をそちらに向けた。
「ご心配をおかけいたしました」
「私までお気遣いありがとうございます」
ミシェルはラファエルの膝の上で頭を下げた。
フェリクスが苦笑して頷いて、話を続ける。
「それで、バルテレミー伯爵家とアンドレ伯爵のことなんだけど……まずは夫人の話から聞こう」
「はい。お話させていただきます」
ミシェルは監禁されていた部屋から逃げ出したときのことと、デジレに協力をしてもらったこと、そしてアンドレ伯爵が今夜バルテレミー伯爵家を来訪予定であることを告げる。ミシェルが逃げたことがまだバルテレミー伯爵家の者達には気付かれていないであろうことも。
「──……都合が良いね」
ラファエルが低い声で言う。その声には、敵と認識した者を逃げ場なく追い詰めようという気迫が感じられた。思わずミシェルがラファエルの腕の中で身体を固くしてしまう程だ。
ラファエルがブランケットの中で、ミシェルの背中をあやすように撫でる。
フェリクスが好戦的な顔で頷いた。
「こちらは、この後殿下がミシェルとの面会を求める予定だったんだ。監禁部屋は分かっていたから、近衛騎士も連れてきている」
「近衛騎士……」
ミシェルが呟くと、ラファエルが背中を撫でる手を止めた。
ちらりとミシェルに向けた瞳は優しかったのに、すぐにフェリクスに向かって真剣な顔をする。
「アンドレ伯爵が来ると決まっているのなら、ミシェルの策に乗るのが良さそうだ」
「ああ、私もそう思っていたよ。近衛騎士は現場をおさえるのに使えばいい。夫人はあくまで『招待されて断れなかったから招かれた』だけ。その機を狙って夫人に横恋慕していたアンドレ伯爵がバルテレミー伯爵家に取引を持ちかけ、夫人の誘拐計画が持ち上がったが、フェリエ公爵家と王家がその動きを未然に察知し、夫人を連れ帰った……ってところかな」
「それなら誘拐未遂の現行犯にできるね。……逮捕して両方の屋敷を捜索すれば、家を潰す程度の余罪はごろごろ出てくるだろう」
ラファエルが口角を上げて言った。




