5章 ミシェル救出作戦
「奥様は伯爵邸二階、最北から二番目の部屋にいらっしゃいました。エマも一緒です。また、当主の執務室にて、アンドレ伯爵からの婚約打診の書状を見つけました。屋敷にいる男達は、アンドレ伯爵が護衛の名目で育てられた私兵のようです」
「貴族の私兵所持は禁じて……ああ、そうか。アンドレ伯爵は商人でもあるか。それなら商会で抱えられるね」
黙って聞いていたラファエルの代わりに、フェリクスが言う。
本来、貴族は護衛以外に兵を持つことを許可されていない。辺境伯だけは例外だが、爵位と家人の数に応じて護衛の人数にも規定があり、それを守らなければならないのだ。
しかし商人の場合は話が違う。
商隊が移動するには長旅をすることも多い。そのため、商会はその納税額に応じて私兵を抱えることを許されているのだ。そして、アンドレ伯爵は商いで金を稼ぐことには長けた人間だった。
当然商会所属の兵を貴族の私用に使うことは禁じられているのだが、事件にならなければまず問題にされることはない。
「私が黙っていると思っているのなら、舐められたものだな」
ラファエルの妻であるミシェルをどうにかするために商会の私兵を使っておいて、責任を追及されないと思っているのだろうか。
直接ミシェルを攫ったのがバルテレミー伯爵家の双子だから、何かあれば二人に押し付けるつもりか。
「ミシェルは」
聞くと、影が一瞬妙な間を取った。この男が言葉につかえるなど珍しい。
ラファエルは眉間に皺を寄せる。
「奥様は『大丈夫』と伝えてほしいと」
影はミシェルと接触をしたのか。ラファエルはまずその事実に驚いた。
普段、ラファエル以外の者とはまず関わりを持とうとはしない者達だ。中でもこの男は人嫌いで、余程でなければ対象と関わろうとはしない。
つまりこの男から見てミシェルが余程の状況であったということだ。
客人だからこそ手荒なことはしないと読んでいたのだが、間違いだったか。それとも、そんな脳が無いほど双子は愚かであったのか。
「──状況を」
そして影からされた報告は、ラファエルの想像の範囲を超えたものだった。
影には、いざというときのために様々な薬や毒に対抗することができる公爵家秘伝の中和剤を持たせている。それをミシェルに渡そうとこの男が考えるほどの状況であったということだった。
外傷がなければかまわないということか。
ラファエルは目を閉じた。熱くなった頭を冷まそうと、口を開く。
「……ミシェルは、『大丈夫』だと言ったのか」
「そう伝えるようにと」
ミシェルは、ラファエルが自分のせいでミシェルが苦しんでいると考えると思ったのだろう。だから、そう言ってラファエルの心痛を軽くしようとした。
ミシェルの状況を聞いたラファエルが、自分を責めると知っていたのだ。
自身が追い詰められていても、ミシェルはラファエルのために強くあろうとしている。
どうしてそんなにもラファエルを想っていられるのか。ラファエルは、ミシェルに尊重されるような良い男ではないのに。
あの塔で、ラファエルのせいではない、と言おうとしてくれた。ミシェルのそんな言葉一つすら素直に受け取れなかったラファエルが直視するには、眩しすぎるくらいに強い想いだ。
「──……殿下、頼みがあります」
絞り出した声は震えていた。
考えないようにしていたことが、急に現実となって襲いかかってくる。
ミシェルを失うことが、怖い。
あんなにも強く儚い彼女が、もし自分の元に戻ってこなかったならばと考えると、どうしようもなく何かが渇いて仕方なかった。
これまでに抱いたことがなかった種類の感情が、ラファエルの心を掻き乱している。
「親友の願いなら、なんでも聞くよ」
フェリクスが言う。
ラファエルのことを心から信頼してくれていなければ、フェリクスからその言葉は出ないだろう。
この言葉に報いるためにできることは、これから先もこの友人のために力を尽くすことだけだ。それでも。
「どうか私に、この後の殿下の時間をください。私だけでは逃げられてしまうかもしれません」
ラファエル一人が現場をおさえても、ただ妻を取り戻したい夫の横暴と言われてしまう可能性がある。ラファエルは公爵だがまだ若い。年輩の貴族には舐められることも多かった。
言い逃れのできない状況を作るには、絶対的な発言力を持つ人間と証人の数が必要だ。
フェリクスであれば、近衛騎士を動かすことができる。ミシェルの名誉を守るだけではない。一刻も早く取り戻さなければ、ラファエルはミシェルに合わせる顔がない。
「今日はもう政務だけの予定だから構わないよ。……行くのか」
「はい。必ず、取り戻します」
もう二度と辛い思いはさせたくなかった。できることならばラファエルがずっと幸せにしていたかった。それなのに、こうして手を離してしまった。
どうかラファエルが手を伸ばすまで、ミシェルの手がそこにあってくれるように。願うことができるのは、それだけだった。
ラファエルの瞳には光が戻っている。
もう何一つ、諦めるつもりはなかった。
ラファエルはバルテレミー伯爵が屋敷に戻るのを見届けてすぐに馬車を走らせた。
目的地はバルテレミー伯爵家だ。
フェリエ公爵家の紋章が入った馬車には、ラファエルとダミアンだけでなく、フェリクスもこっそりと同乗している。
騎馬で並走しているのは、ラファエルの護衛達だ。エリクも含め、護衛の中では精鋭を集めている。
それとは別に、フェリクスが動かすことができる信頼できる騎士達が、屋敷の外に隠れて様子を窺う手筈になっていた。
ラファエルが一度交渉をし、撥ね付けられたらフェリクスが自身の友人であるミシェルに会いたいと言いに行く。たとえバルテレミー伯爵であっても、王太子がわざわざ会いに来てミシェルを出さない訳にはいかないだろう。
当然ミシェルが自由に話せないようにエマを人質にするだろうが、それを確認できれば脅迫罪の現行犯だ。アンドレ伯爵の関与については、イザベルとリアーヌを尋問して証言を引き出してしまえばいい。
力業だが、最も手っ取り早い作戦だ。
とにかくラファエルは、ミシェルの身の安全を一番に確保したかった。
馬車がバルテレミー伯爵邸の門を通り抜け、正面玄関前に止まった。
「──いってくるよ」
「ああ、気を付けて」
馬車を降りたラファエルは、玄関前にアンドレ伯爵の私兵が三人いるのを確認してベルを鳴らした。




