4章 温かいスープとパン
天井裏はミシェルが想像していたよりも綺麗だった。もっと汚れていて埃が積もっていると思っていたのだ。しかし先程ミシェルの元にやってきた影のような人が出入りするのならば、あまり汚れていては動きづらいだろう。
ミシェルは目立たない服装の男がこそこそと掃除をする様を想像して小さく笑った。
真っ暗ではなく、ところどころ床から光が漏れている。そこが下に降りられる場所なのだろう。
ミシェルは物音を立てないように気を付けながら、人の気配がない場所を探した。
「……客間があるから、ここは二階だと思うの。二階なら、イザベルとリアーヌの部屋と、伯爵と夫人の部屋、それから執務室があるわ」
ミシェルとエマの部屋を監視している男達も客間を使っているらしく、埋まっている部屋が多い。ミシェルはできるだけ端の方にある使われていない部屋を探して覗いてみた。
誰もいないが、やはり床までは高さがある。
「降りるのは無茶かしら」
「そんなことないですよ。……もう、あの部屋に戻らなくてもよろしいのですから」
エマがそう言って、四角く開いた穴から床に飛び降りる。怪我でもしないかと恐ろしくて目を瞑ったミシェルの想像に反し、エマは華麗に着地した。
エマはすぐに室内にある背の高いテーブルを移動させ、ミシェルが降りる場所を作ってくれる。
「どうぞ、ミシェル様」
「……ありがとう。エマ、すごいわね」
「私が森で木に登って助かったの、お忘れでしたか」
エマはアランによって森に捨てられ、一晩を木の上で過ごして助かったと言っていた。運動には自信があるのだろう。
ミシェルは小さく溜息を吐いて、穴の縁に手をかけた。
「覚えてるわ」
ミシェルが言うと、エマが笑う。
ミシェルは足場となったテーブルの上に飛び降り、手を伸ばして天井の穴を塞いだ。部屋から逃げ出したことには気付かれても、どこから出たかは隠しておきたい。
二人がかりでテーブルを元の場所に戻し、窓から外を見る。運良くバルコニーの側には大きな木があるようだ。
「ここから降りますが、ミシェル様は大丈夫ですか?」
「え、ええ……大丈夫。いけるわ」
恐怖心はあるが、この木には見覚えがあるような気がする。変わっていなければ、降りた先は丁度裏庭の死角だ。
ミシェルはエマの手を借りてバルコニーから木に乗り移り、少しずつ下へと足を置く枝を探しながら降りていった。
窓を閉めたエマが、ミシェルの後を追ってすらすらと木を降りてくる。
二人は手入れされていない庭園の草むらに隠れて、そっと周囲の様子を窺った。
「──ミシェル様、以前ここに住んでいたんですよね」
「ええ。変わっていなければだけれど……あそこが応接室で、あっちが食堂とサロン。それから……その奥が厨房ね」
ミシェルは窓を指さしながらエマに説明する。
「人気もなさそうだから、厨房の方まで行ってみましょう。何か食べ物があるかもしれないわ」
「誰かいるかもしれませんよ」
「私が知っている人なら大丈夫」
ミシェルとエマは、窓から見えないように姿勢を低くして、壁伝いに厨房の方まで移動した。
厨房の中には髭を生やした大柄な男が一人いた。相変わらず傭兵と言われても違和感のない見た目だ。夕食の支度をしているのか、包丁で野菜の皮を剥いている。
ミシェルはそっと小窓から顔を覗かせた。
「──……デジレさん」
小さな声で名前を呼ぶと、デジレはきょろきょろと周囲を見渡し、小窓にミシェルを見つけて目を見張った。
「ミシェル、やっぱりお前──」
包丁を調理台に置いて駆け寄ってきたデジレは、厨房の扉の方からミシェルが見えないように大きな身体で小窓の前に立った。
「お久し振りです。こんなところからですけど」
「……何かあったとは思ってたが、お前だったとは思わなかったよ。いや……信じたくなかった、か。久し振りだな。どうした、何があった?」
デジレが眉間に皺を寄せたまま、ミシェルと、背後にいるエマの姿を確認する。
ミシェルは頷いて苦笑した。ここにデジレがいて、昔と変わらぬ態度でミシェルに接してくれたことが心から嬉しかった。それだけで、こんな状況でもどうにかなると思えて前向きになる。
「話せば長くなるんですけど……とりあえず、何か食べ物貰えます?」
ミシェルの口調も自然と軽いものになった。
「待ってろ」
デジレはそう言って、すぐに大鍋を火にかけた。
少しして出てきたのは、具がたくさん入った温かいスープとパンだ。パンにはハムとチーズが挟まっている。
「ほら、どうせここにいるってことはろくなもん貰ってないんだろ。そっちの子の分もあるから、さっさと食べて説明してくれ」
「わ、やった。ありがとう、デジレさん」
「パン焼いてやれなくて悪いな」
「焼いたら何か言われると思いますから」
ミシェルは籠にまとめて入れてくれたそれを二つ受け取って、片方をエマに渡した。
「いただきます」
まだ熱いスープをふうと息を吹きかけて冷まして、口に運ぶ。
野菜がたっぷりと入ったスープは風味が良く、強制的に酒を飲まされていたミシェルはほうと息を吐いた。塩気のある味が身体に染み込むようだ。
「美味しいです……」
エマも三日ぶりのまともな食事に血色が良くなっているように見える。
ミシェルは安心して、ようやく少し肩の力を抜いた。




