3章 ラファエルの罪
ラファエル視点です。
◇ ◇ ◇
ラファエルはミシェルと塔で別れた後、そのまま王城に与えられた執務室に戻っていた。
フェリエ公爵家は領地を持っている貴族であるが、ラファエルの父は王族の血族として国の外交の多くを担っていた。ラファエル自身もまた、王族代理として外交を行うことは多い。
それだけでなく、ラファエルは二人の王子の側近としての仕事もしている。
フェリクスもジェルヴェも信頼できる相手としてラファエルを指名してくれたおかげで、ラファエルは正式な文官ではない貴族としてはあり得ないほど多くの公務の補佐をさせられている。
今はまだ若く領政に慣れていないからと逃げているが、フェリクスが王位に就くときにはきっと逃げられない役職が待っているだろう。
午前中の議会を終え、午後いちの仕事を片付けてから席を外した筈なのに、ラファエルが執務室に戻るとあっという間に書類の山ができた。部屋を留守にするときには鍵を掛けているから、ラファエルが戻ってくるのを待っていたのだろう。
ラファエルは早速ダミアンと共に書類の確認を始めた。
「──仕事があって良かったですね」
ダミアンが書類を仕分ける手を止めずに口を開く。
ラファエルもまた作業を続けながら頷いた。
「ミシェルには悪いと思っているよ。でも、いつかは伝えなくてはいけないことだから」
二か月前のあの日、花を供えに行ったラファエルがミシェルを見つけたときの衝撃は、きっとダミアンにも分からないだろう。
最初は、母の霊がいるのかと思った。儚げな細い身体と、長く緩やかに波打つ髪。整った横顔も、全てが懐かしく、同時に恐ろしかった。
それが生きた人間だと気が付いた瞬間、ラファエルは絶対に助けなければいけないと思った。何をしてでも、守らなければ。そう強く感じたのは、確かに、母を助けられなかった自分の罪悪感故だった。
「……奥方様は」
「私を励ましてくれようとしていた。……優しい子だよ」
ラファエルが言うと、ダミアンが眉間に皺を寄せる。
ダミアンは、ラファエルのどうしようもない後悔と罪悪感も、ミシェルが前を向こうと日々頑張って生きていることも知っている。生きようとしているミシェルの部屋に、そろそろ刃物や陶器を戻しても良いのではないかと提案してきたことも一度や二度ではない。
きっとダミアンは、ミシェルを信頼しているのだろう。
その提案を却下してきたラファエルだが、ミシェルを信頼していないのではない。
髪の色も瞳の色も違うのに、どうしてもあのコンサバトリーに篭っていたころの母の影が、ミシェルに重なってしまって恐ろしいのだ。
ミシェルが恋をしていた優しいラファエルは、きっとどこにも存在しない。ラファエルは自身の許されたくない罪を赦すためにミシェルを利用したのだ。
「それでも私は、お二人はお似合いだと思いますよ」
「そうかな」
「はい。……守るだけでしたら、公爵家に迎え入れる必要はなかった筈です。もっと効率的な手段はいくらでもありました。多少の無理を通してでも、ご自身が何故その選択をされたのか、一度考えてみた方がよろしいと思いますよ」
ダミアンに言われ、ラファエルはそれ以上何も言えなかった。全てが事実だった。
ラファエルも、自分の中の矛盾のことは理解している。
本当にミシェルを母の代わりとしか思っていなければ、抱き締めたいなどという衝動を抱く筈がない。触れたいなどと、思う筈がない。
それ以上を考えることこそがラファエルの罪であるかのように、胸が痛かった。目を逸らして見ないふりをすることで奥に隠してきたそれが、ちらちらとラファエルの方を窺っている。
ラファエルが溜息を吐いたそのとき、執務室の扉が乱暴に叩かれた。
「──エリクです。旦那様に至急の用がございます!」
エリクは、ミシェルにつけている護衛達の中で最も公爵家での勤めが長い男だ。その腕前は騎士とも互角に戦えるほどだ。
ラファエルは嫌な胸騒ぎがした。
「入って」
扉を開けてエリクが入ってくる。エリクはすぐに姿勢を正し、口を開いた。
「奥様とエマが、何者かに攫われました。奥様は『バルテレミー伯爵家のご令嬢方に招待を受けた』と言い残していらっしゃいます」
ラファエルは咄嗟に立ち上がっていた。
椅子が倒れて大きな音が響く。
頭に血が上って、がんがんと鳴っている。鼓動の音も煩い。
「──……説明を」
エリクは有能な人間らしく、端的にそのときの状況を伝えた。
帰宅途中、人気のない道で別の貴族の護衛達から突如襲われたこと。
御者も共に抵抗したが、訓練された男が十五人ほどいて、劣勢であったこと。
偶然通りかかった庶民の子が人質にされ、ミシェルが馬車から出てきたこと。
相手の貴族の馬車から聞こえた声で、ミシェルがバルテレミー伯爵家の令嬢だと判断したということ。
エマが、ミシェルと共に行くと飛び出したこと。
何らかの薬を嗅がされた二人が馬車に乗せられたこと。
男達の多くがその場に残ったせいで、後を追うことができなかったこと。
どうにか男達を退けたときには、既に馬車の行方は分からなくなってしまっていたこと。
「本当に、申し訳ございません……!」
エリクが絞り出すような声で謝罪し、膝を折る。首を差し出す格好は、どのような処分も受けるという覚悟を示していた。




