3章 窓のない部屋
しばらくしてミシェルとエマが麻袋から出された部屋は、一見すると普通の貴族の邸にある客間だった。
男達はミシェルとエマを解放し腕の拘束を取って絨毯の上に転がすと、すぐに部屋から出ていった。代わりに外から鍵を掛けられ、また逃げ道はなくなってしまう。
ミシェルは今度こそどうにか上体を起こした。
室内には、一般的な客間にある程度の調度が揃っている。しかし、窓だけは全て板が打ち付けられていて、外の様子は分からなかった。
時計は二の数字を指している。倉庫の外は明るかったから、これは午後二時ということだろう。
「エマ、動けそう?」
「多分、起き上がるくらいでしたら大丈夫です。……よ、っと」
エマがよいしょと重そうに身体を起こして、近くにあったテーブルに手をついて立ち上がった。
「う、動けるの?」
「私はミシェル様より鍛えてますから。でも、流石に結構きついです。これ何ですか?」
「睡眠薬の一種らしいのだけど、多分独自に痺れ薬のようなものを混ぜているのだと思うわ。後遺症はないから大丈夫だけれど、あまり無理しないでね。あと三時間程で普通に動けるようになると思うの」
この薬がミシェルの知っているものならば、効果は大体丸一日だ。
ミシェルが床に座ったまま言うと、エマが眉間に皺を寄せる。
「……なんでそんなに詳しいんですか」
ミシェルに問いながらも、エマの声はその答えを知っているように震えていた。
胸が痛い。ミシェルはこれまで、エマにこのバルテレミー伯爵家での出来事をきちんと伝えたことがなかった。それはミシェルを大切に思ってくれているエマを悲しませたくなかったからであり、同時に自分が惨めな生活をしていたことを知られたくなかったからでもある。
ミシェルが黙ったままでいると、エマが溜息を吐いた。
「分かりました。ミシェル様、少しでも動けるようでしたら床ではなくソファーに座ってください。眠ってしまっても良いですよ」
「だけど──」
ミシェルは眠るのが怖かった。ミシェルの意思など無視されることが当然であるこの屋敷で、自由に動けない状態で意識を失うのは危険だ。ましてミシェル一人ではなく、今はエマが一緒にいる。
眠っている間にエマに何かがあれば、ミシェルはきっと後悔する。
「私がミシェル様の代わりに起きていますから。ミシェル様は今動けませんし、その方が効率的です」
確かにエマの言う通りだった。
ミシェルが起きていても、この状況では何かがあっても対応できない。ならば、エマに頼んだ方が良い。互いにいつまでも起き続けている訳にはいかない。
先に眠るのは心苦しいが、仕方がない。
「──……分かったわ。エマが辛くなる前に起こしてね」
「はい。ありがとうございます」
ミシェルはエマに少し手伝ってもらいながらソファーへと移動する。座ると、柔らかなクッションが疲れた身体を受け止めた。
エマが少し離れた場所にある椅子に腰を下ろしている。やはり、まだ立ち続けているのは辛いのだろう。
少しでも早く眠ってしまうことがエマのためだと、ミシェルは目を閉じて眠ろうと強く意識する。ミシェルはそうやって、この場所で生きていたのだ。
すぐに意識が遠くなり、ミシェルは抗わずに無意識の中に落ちていった。
しばらくして目を覚ましたミシェルは、立ち上がって部屋を調べていたらしいエマに気付き息を吐いた。
どうやら、何事もなかったようだ。
「──エマ、今何時?」
「丁度五時になるところです。ミシェル様の仰っていた通り、身体もすっかり楽になりました」
エマがぱたぱたとミシェルの側に駆け寄ってくる。
ミシェルは身体を起こし、うんと両手を伸ばした。
「私も大丈夫よ。エマ、少し休んだら? ソファーを使ってくれて構わないから」
ミシェルはこれまで座っていた場所をエマに示す。
エマが素直に礼を言って、ソファーに腰掛けた。流石に疲れていたのだろう。
ミシェルは、ようやく自由になった身体で室内の物色を始めた。
寝台は広く、ミシェルとエマが並んで寝ても余る大きさだ。ソファーも、人が一人横になれるくらいの大きさがある。壁際に置かれた机の抽斗には、未使用のレターセットとペンとインクが入っていた。
ティーテーブルのセットが窓際に置かれているが、きっと使うことはないだろう。
奥には小さなトイレとあまり大きくはない浴室があり、蛇口を捻ると水が出た。衣装箪笥には、濃紺の地味なワンピースだけが数着入っている。
そして、やはり全ての部屋の窓が塞がれていた。
「……ここは王都のバルテレミー伯爵家の客間。私達を麻袋に入れて運んで、部屋の窓を塞いだのは、部屋の位置を把握されないようにするため」
ミシェルは小さな声で呟く。
屋敷の中でこれほどの人数を動かしているのだから、イザベルとリアーヌの両親が知らない筈がない。きっと家族全員が共犯だろう。
「刃物が無いのは、武器にされないように。部屋が客間なのは、私が攫われるときにそう言ったから。──……あの男達は」
ミシェルが攫われるときに、フェリエ公爵家の護衛達と戦っていた訓練された男達。金で一時的に雇った破落戸の動きではなかった。そして、バルテレミー伯爵家にあれほどの人数を育て、雇い続けるほどの金はないだろう。
「他にも、この事件に関わっている人がいる……?」
ミシェルはその事実に気付き、両手で顔を覆った。




