2章 クマのぬいぐるみ
「ミシェル様、これも良いですね。きっと届く家具にも合うと思いますよ!」
「本当。可愛らしいわ」
笑顔でショーウインドウを指さすエマに、ミシェルも頷く。
ミシェルはラファエルと共に家具を選んでから、なんとなく自分が気に入るものを意識するようになっていた。
赤と青なら、青が好き。白と黒なら、白が好き。華やかなものは綺麗だけど、愛らしいものの方が好き。
自分に似合うものは、エマに教えてもらった。
派手なドレスよりも、シンプルで凝った意匠のドレスの方が似合う。何色を着てもおかしくはならないが、濃い色よりも明るい色の方が似合う。
そうして自分のことを知っていくと、少しずつだがミシェルも自分自身を受け入れることができていくような気がした。
「もう、ミシェル様はさっきからそればっかりですよ。何も買わないで帰ったら、旦那様が気にされますって」
「そうよね。分かってはいるのだけど、難しいわ」
今日はその練習も兼ねて、エマと二人、街に出てきていた。
ラファエルは王城に行っている。今は社交シーズンであり、王都のあちこちで茶会や夜会が開かれている。王城では議会が行われており、貴族家の当主達はそれに出席するために多忙にしているようだ。
エマを連れて買い物に出てみたいと言ったところ、ラファエルは充分すぎるほどの護衛を付けてくれた。お忍びの体で来ているので、皆一般人に紛れている。
見えないところに護衛がいるというのは最初は落ち着かなかったが、しばらく歩いていると慣れてきた。そもそもミシェルも見つけられないのだから、意識していても仕方ない。
「……いっそぬいぐるみでも買って帰ろうかしら」
ミシェルはふと目に留まった雑貨店の店頭に飾られた大きなクマのぬいぐるみを見つけて言った。ミシェルの背丈の半分よりも大きいクマだ。
エマがミシェルの視線を追いかけて、そのぬいぐるみを見つける。
「うわあ、大きいですね。雑貨屋さんみたいですけど」
「入ってみましょうか」
店内は、ミシェルの想像以上だった。
そもそもその店は雑貨店ではなく、クマのぬいぐるみの専門店だったのだ。色も大きさも様々なクマが、棚いっぱいに陳列されている。その取り扱いのせいか、客は数人、女子供ばかりである。
「すごいわ……!」
「本当ですね。これほどの数、買いそろえるのも作るのも苦労しそうです」
「エマったら」
ミシェルは折角入ったのだからと、たくさん並んでいるクマを見て回る。試しに一つ手に取ってみると、とても柔らかく滑らかな手触りだった。
可愛らしい見た目の、もふもふのぬいぐるみ。
子供の頃のミシェルは、ぬいぐるみを持っていなかった。貧しいオードラン伯爵家から出たことがほとんどなく、年齢の近い子供との交流もなかったため、ぬいぐるみというものがあると知ったのもバルテレミー伯爵家に買われてからだ。
イザベルとリアーヌの部屋にあったもふもふのぬいぐるみを、愛らしいと思ったことを思い出す。
欲しいと思うことはなかった。あの頃のミシェルが欲しかったものは、ペンとインク、それからメモ帳。少しでもお腹に溜まるご飯と、睡眠時間と、一人でいられる時間だったからだ。
ただ、役には立たないぬいぐるみの膨らんだお腹が、ミシェルの目には、幸福がいっぱい詰まっているように見えたのだ。
「──……買おうかしら」
「可愛いですけど、ミシェル様ってこういうのお好きですか? お部屋で見たことなかったです」
「あの家の私の私物は、みんなお下がりだったから。ぬいぐるみなど買ってくれるお兄様でもなかったでしょう?」
「あ……申し訳ございません」
「気にしなくて良いの。でも、そうね。折角好きなものを買っても良いと言ってくださっているのだし、お部屋に置くのも良いかしらと思って」
ミシェルは先日ラファエルと共に選んだ家具を思い出した。商人が急いでくれるようで、来週には全て届く予定になっている。
植物が彫られた家具とレースの飾りが愛らしいセットにした。天蓋のレースも窓のカーテンも新しくなる。淡い水色のカーテンと金のタッセルの組み合わせは、可愛らしさの中にも高級感があって素敵だった。
あの部屋ならば、クマのぬいぐるみが一つあっても子供っぽくなることもないだろう。
「良いと思います。一個と言わず二個でも三個でも買いましょう! 旦那様でしたら、絶対反対しませんから!」
「ふふふ、そんなにはいらないわ」
ミシェルは自然と込み上げてきた感情のまま笑顔を作る。それを受け入れてくれるラファエルの優しさに内心で感謝した。
相変わらず、ラファエルがミシェルに向ける優しさは、妻への愛の範囲すら超えているように思うことがある。それでもアランとナタリアの間にミシェルが見た熱情のようなものは感じないから、きっとラファエルは今、ミシェルに恋をしてはいないのだろう。
「……どの子にしようかしら」
聞いてみたい。でも聞いてしまったら、それを知る前には戻れなくなるような気がして、怖い。
ミシェルは湧き上がる疑問に蓋をして、クマのぬいぐるみ選びに没頭することにした。
「テディベア」と表記していないのは、ミシェルがクマのぬいぐるみを「テディベア」と呼ぶことを知らないためです。次回更新分から「テディベア」になります。
よろしくお願いします。




