1章 ミシェルの好みは
「私なりに場を和ませようと思ったんだけど」
「和む……といえば和みますが。男爵様に失礼では?」
「実は私も緊張していたから、かえって緊張されていて驚いてしまってね」
ラファエルがどこまで本気なのか分からない声音で言う。
二人の会話を聞いている内にクストー男爵は落ち着いたようで、額の汗を拭いながら腰を下ろした。
控えていた使用人が、全員分の紅茶を淹れ直す。最初にラファエルが口を付けると、皆も一口紅茶を飲んだ。
ミシェルも飲んで、ほうと息を吐く。
「──皆様、落ち着かれたようで何よりですわ」
言うと、クストー男爵が引き攣った笑顔で顳顬を掻いた。
「失礼いたしました。その、公爵様も緊張されていらしたのですか?」
「勿論です。妻が世話になっている侍女の父君でいらっしゃいますから。それに、こちらが連絡を怠っていたことに気付くのが遅れてしまい……ご心配をおかけいたしました」
ラファエルが頭を下げる。
慌てたのはクストー男爵だ。ただでさえ誰もが知るフェリエ公爵相手に緊張していたのに、頭を下げさせるなど、平静でいられる筈もない。
「いえいえ! その、元々娘が私に連絡しなかったことが原因ですので!」
クストー男爵は、次の瞬間隣にいるエマに責任を丸投げした。
ここで焦ったのはエマだ。当然エマには父親に対して連絡を怠っていたという罪悪感がある。ましてそのせいでミシェルとラファエルに謝罪させる破目になっているのだ。
今日までに何度もミシェルとラファエルに謝罪をしていたエマが、また頭を下げた。
「旦那様にご迷惑おかけして申し訳ございませんでした」
「ああ、エマは気にしなくて良いんだ。ミシェルの側にいてくれて、ありがとう」
ラファエルが微笑みを浮かべて言う。
「旦那様……」
エマがほっと胸を撫で下ろす。クストー男爵もラファエルを見つめていた。
その視線に気付いたラファエルが、クストー男爵にも笑顔を向ける。
「男爵殿にも、娘御を我が家に預けてくれていること、感謝しています」
「こちらこそ、娘がお世話になっております……!」
「よろしければ今夜ご一緒にお食事でも。エマも席に着かせますから、久し振りに親子の会話もしてもらえると思いますので」
ミシェルは目の前でラファエルに篭絡されていくクストー男爵に、内心で両手を合わせていた。
結局その晩、クストー男爵はエマとミシェル、ラファエルと四人で食卓につき、最終的にラファエルと二人で酒を飲み、翌朝、昼が近付く頃の時間になって帰っていった。
エマは自分の父親の醜態に怒っていたが、ミシェルの目には微笑ましく映った。
楽しそうに酒を飲む親の姿も、ミシェルは知らなかったのだ。ミシェルの父は、いつも何かから逃げるように酒を飲んでいたから。
「ミシェル、気に入るものはあった?」
ミシェルは慌てて意識を引き戻し、手元の紙束に目を向けた。
あれから更に数日経ち、今日はラファエルがミシェルのために邸に商人を呼んでくれていた。商人が扱っているものは、主に家具と装飾品だ。
家具の実物を持ってくるわけにはいかないため、商人は店の在庫を描き、解説文が添えられた帳面を持ってきている。その帳面を見て、好きなものを選べと言ってくれているのだが。
「どれも良い品であることは分かるのですが」
ミシェルは困っていた。値段が気になるとか、デザインが気に入らないといったことではない。
ただ、どれが気に入っているかがよく分からないのだ。
「そうだな……ミシェルは、白と黒ならどちらが好き?」
「白、ですね」
「それでは、赤と青では?」
「……青です」
二択であれば、ミシェルも答えやすい。どれも、ラファエルと結婚をしてからの穏やかな暮らしの中で見つけてきたミシェルの好きなものだ。
ラファエルはそれを知ってか、次々と二択の質問をミシェルに向けていった。
「同じ茶色でも、濃いものと薄いものがあるけれど」
「薄い方が好き……だと思います」
あまり重い色味は気分まで沈んでしまうような気がする。
ミシェルの答えを聞いて、ラファエルは紙束の中から何枚かを引き出してミシェルの前に並べた。
「この辺りはミシェルも気に入ると思うんだけれど、どうかな?」
「まあ、可愛いですね……!」
ミシェルはラファエルが選んだそれらの絵を見て、ぱっと顔色を明るくした。
花の装飾が彫られた木製の椅子に、水色の布張りのクッション。揃いのテーブルの絵には、レースのクロスが横に添えて描かれている。同じ色合いの棚には、愛らしい鳥の装飾がついていた。
色ガラスを使ったランプに、可愛らしいガラスペン。揃いのデザインのレターセットもあるらしい。
可愛らしいそれらは、ミシェルの心を浮き立たせるほど魅力的だ。
「ミシェルの好みに合わせて選んでみたけど、どうかな? 家具はこちらのコレクションも──」
ラファエルが別の紙をミシェルに見せる。そこには、磨き抜かれた曲線が美しい家具が描かれている。
ミシェルはそれもまたとても綺麗だと感じて、瞳を輝かせる。同時に、こうして可愛い、綺麗と心を動かしている今に幸せを感じた。ラファエルも楽しそうで、それがまたミシェルの幸せを大きくする。
先程まで困惑していた商人も、ミシェルの笑顔を見て嬉しそうな顔をした。




