8章 静かな怒り
二人の令嬢──バルテレミー伯爵家のイザベルとリアーヌは、きゃあと黄色い声を上げて互いの顔を見た。
「ありがとうございます。あ、あの……」
名乗りもせずに話し始めようとするリアーヌを制して、ラファエルは口を開く。
「そういえば、まだお名前を聞いていませんね」
ラファエルはあえてそう言った。
当然、ミシェルの話に出てきたバルテレミー伯爵家については既に調査済だ。双子のイザベルとリアーヌのことも知っていた。しかしここで知っている体で会話をしてしまうと、あらぬ誤解をされてしまう可能性もある。
二人は一瞬呆けたような顔をした。ラファエルに知られていると思ったのだろうか。ろくに話をしたこともない相手を覚えているわけがないだろう。
しかし、二人はすぐに気を取り直して前のめりに話し出した。
「私、イザベル・バルテレミーと申します」
「私は妹のリアーヌですわ!」
「よく似ていらっしゃると思いましたが、姉妹でしたか」
自分でも白々しいと思ったが、二人は全く違和感を抱いていないようだ。
「ええ。私達、双子なんですの」
「そうでしたか」
ラファエルは適当に相槌を打って、二人の話を聞き出そうとした。
しかしわざわざ一人になったラファエルに話しかけてきたにも拘らず、二人はラファエルの何が素晴らしいだのどこが素敵だのという話ばかりで、正直何がしたいのか、全く訳が分からなかった。
ミシェルがいないときを選んだということは、聞かせたくない話だろうと思ったのだが。
「それで、どうして今日はお声をかけてくださったのですか?」
ラファエルはいいかげんに飽き飽きしてきて、口を挟んだ。これで本題に入ってくれなければ、もう会話を切り上げてしまうつもりだった。
しかし、二人はラファエルの変化を察したのか、慌てて本題に入る。
先に話し始めたのは、イザベルだった。
「あ、その……言い辛いのですが、ミシェルのことなのです」
「妻の? お二人は妻と親しくしているのですか?」
親しくなど、とんでもない。幼いミシェルをおもちゃとして虐待していたことは事実であったと、以前使用人として働いていた者達から既に裏付けが取れている。
その内容は少女が受けるにはあまりに過酷なもので、報告書を読んだラファエルはミシェルを見て表情を崩さないようにするのに苦労した。
「いいえ! あ、そうではなく、昔我が家にいたことがありますの」
「そうでしたか。それで? 妻がどうかしましたか」
それでも、ラファエルはまだ何も知らないふりをする。
「ミシェルが公爵様にご不快な思いをさせてはいないかと不安なのです。……あまり大きな声でお話するのは憚られるのですが、あの子、今はあんな風にしておりますけれど、下働きをして育った子ですから」
「そうなのです。それに、オードラン伯爵家にも不幸なことがあったと聞きまして。公爵家にも何かあってからでは遅いのですわ」
下働きをして育ったのではなく、下働きをさせていたのだろう。
オードラン伯爵家に起きた不幸は、当主が罪を犯さなければ防げたことだ。
視界の端で、柔らかな茶色い髪が揺れた。
「──貴女達は、妻がいると私が不幸になると?」
「そうは言っておりませんわ。ただ、公爵様のことが心配だったのです。『貧乏神』に関わって落ちぶれるのは、我が家だけで充分ですわ……っ」
イザベルがまるで自分達こそが悲劇のヒロインだというように俯き、身体を震わせる。リアーヌもそれに続いた。
「そうです……! あんな子より、私の方が公爵様を喜ばせて差し上げられますわ」
「ちょっと、リアーヌ。なに抜け駆けしてるのよ」
簡単に剥がれてしまったメッキの下から出てきたものは、あまりに醜い本音だった。
ラファエルは自分の微笑みの仮面がひび割れかけているのを感じていた。
「……つまり、お二人は、妻がいたからオードラン伯爵が逮捕されたと、そう言いたいのですか? 妻よりも貴女方の方が、私に相応しいと?」
いけない。こんな場所で自身が憤ってしまったら、それこそ対立派閥の人間にとっては良い話の種にされてしまう。
笑え、笑うのだ。
ラファエルは口角を上げて、目を細める。
「妻がいたから、バルテレミー伯爵家の資産が減ったと?」
笑顔の形のその表情は、間違いなく歪んでいるだろう。
「違うでしょう。オードラン伯爵は、悪事を働かなければ捕まることもなかったのです。バルテレミー伯爵は……失礼ですが、近くの領地で害虫による飢饉が起きたと知ったとき、すぐに対策をすれば、今のような被害にはならなかったと思いますよ。実際、ジリー公爵は計画的な野焼きの実施と備蓄食料の配布によって難局を逃れていました。……ご令嬢方はご存知無いと思いますが」
「……何のお話ですか?」
リアーヌが、首を傾げる。
「貴女方の家が貧しくなったのは、お父上が領地を気にかけていなかったからでは? と言っているのですよ。私の妻のせいにして誤魔化せることではありません。……公爵夫人への暴言と捉えて構わないようでしたら、まだお話しいただいて結構ですよ」
顔を赤くしたのはイザベルの方が早かった。
どうやら双子でも、イザベルの方がリアーヌよりは頭が良いらしい。
「し……失礼いたしますわ!」
イザベルは乱れた姿勢で礼をして、会場の入り口へと早足で歩いていく。
リアーヌが慌ててそれを追いかけた。
「ちょっと、待ってイザベル! どうしたの?」
「どうしたって……リアーヌ、分からないの!?」
「何がよ!」
明らかに腹を立てている二人は、今後公の場でラファエルとミシェルに絡んでくることはないだろう。ミシェルが『貧乏神に憑かれている』という噂も、この話を聞いていた人はもう口にしないに違いない。
あの二人の言に、信憑性などないのだから。
「あの貧乏神を侮辱したら、嫁ぎ遅れどころか、牢屋に入れられるのよ!」
「はあ? ミシェルのくせに」
イザベルとリアーヌが会場を出ていくのを見届けて、ラファエルはグラスを二つ持ち、近くにあるバルコニーに出た。
先客は一人だけだ。
そこにいることを、ラファエルは知っている。
「──ミシェル、待たせてごめんね」
「ラファエル様……」
一年で一番美しい月が、ミシェルの姿を幻想的に照らす。
その瞳の中にはありもしない涙が、ラファエルには確かに見えた気がした。




