8章 ジリー公爵と小瓶
そのまま続けて二曲踊って端へと戻ると、二人は途端に囲まれてしまった。
周囲にいるのは、先日の結婚式や披露宴に出席していた貴族がほとんどだ。つまり同じ派閥で、友好的な関係を築いている人間ということだ。
ミシェルはその顔ぶれに僅かに安堵して、ラファエルと共に挨拶を返していく。
「奥様、本当にお綺麗でいらっしゃいますね。そのドレスもお二人の仲の良さを象徴するようで、見惚れてしまいましたのよ」
「まあ、ありがとうございます。ラファエル様が選んでくださったものですので、とても嬉しいですわ」
ミシェルが恥ずかしそうに言うと、話を聞いていた女性達が頬を染める。やはりこの色合いのドレスを夫に選ばれるというのは、熱烈な愛情表現と思われるだろう。
「本当に、二人を見ていると心まで若返るようだよ」
「何を仰いますか。ヴュイヤール公爵殿はいつも若々しくていらっしゃる」
「そうかね? 君に言われると悪い気もしないなあ」
ラファエルも年配の貴族との会話をそつなくこなしていた。
社交界という場所には、多くの人がいる。当然友好的な人ばかりではない。しかしラファエルがミシェルがいる場所として選んでくれたこの人達の側では、ミシェルはあまり構えずにいられそうだ。
しばらく会話を楽しんでいる間に、ダンスで少し疲れていた身体も回復してきた。
「先程の夫人のダンスはお見事でした。どうでしょう、私とも一曲」
ミシェルを誘ったのは、五大貴族のうちの一つ、ジリー公爵家の当主である。
ジリー公爵家は古くから王家に仕える忠臣として有名で、現在の当主も若い頃は騎士団で剣を振るっていたという。今は顧問という形で騎士団に関わっている筈だ。歳を重ねても、その経歴に相応しい、鍛え上げられた大きな身体は健在である。
ミシェルがちらりとラファエルを見ると、ラファエルが行っておいでというように小さく頷いた。
「ええ、是非。お誘いありがとうございます」
ミシェルは差し出された手にそっと右手を乗せた。
ダンスフロアへと出て、曲に合わせて動き出す。くるりくるりと踊るこの場所も、大切な社交の場なのである。共に踊ることで、分かりやすく両家の親密さを相手に伝えたり、近い距離で周囲にあまり聞かれたくない話をしたりできる。
今回のこれは、そのどちらだろう。
「──夫人には思い出すのも辛いことかもしれませんが、良いでしょうか?」
どうやら後者のようだった。
「ええ、構いませんわ」
ミシェルが言うと、ジリー公爵は小さく息を吐いて話し始めた。
「オードラン伯爵家の件です。取り調べにお呼びしていらぬ勘ぐりをされるのも面倒ですので、ここで済ませてしまいたくて。夫人のあの家での暮らしについては、公爵から聞いていますから、聞きたいことは二つです。一つ、当主の思惑を知っていましたか?」
「いいえ、存じませんでした」
これはミシェルは簡単に答えることができる。
ミシェルはあの家で、できるだけアランとナタリアに会わないようにして暮らしていた。それが平和な生活を送るための、最も適切な生き方だったからだ。
「そうでしょうね。では、二つ。毒物の使用又は入手経路について、心当たりは?」
ミシェルはその問いに、息を呑んだ。
もつれてしまいそうになる足で慌ててステップを立て直す。どうにかジリー公爵の足を踏まなかったことにほっとして、それから、改めて問いの意味を考えた。
つまりそれは、あの家から毒物が見つかったということに他ならない。
「──……毒、でございますか?」
しかし困惑と恐怖が綯い交ぜになったミシェルの内心など、ジリー公爵が気付く筈がない。ミシェルの表情は、微笑みのまま動いていないのだ。
そのため、当然のように会話は続けられる。
「そうです。これは公爵にも伝えていただきたいのでお話ししますが、当主の執務室から毒物が入った小瓶が見つかりまして。数回使用できるだけの量があったのですが、少なくとも一度は使われているようなのです。先程解析が終わったばかりですので、この後奥様から公爵にお伝えいただけると」
「はい。必ずお伝えいたしますわ」
ミシェルはどうにかそれだけ言った。頭の中は、アランが持っていたという毒物のことでいっぱいだ。
毒物ということは、口にさせて誰かの命を奪う、ということだ。
ミシェルがオードラン伯爵家にいる間、周囲の人物の死はなかったと思う。ミシェルの知る範囲内のことだけで、アランの商売相手やナタリアの社交相手となると分からないが。
それより前となると、実家の領地で橋から川へ転落したという母親と、酒の飲み過ぎで病死したという父親だ。
それを伝えると、ジリー公爵は何か考えるような顔をした。
「……それもあわせて、奥様から公爵へお伝えください。協力、ありがとうございました」
「いいえ。私の生家のことでご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
ミシェルが言うと、ジリー公爵は優しげに笑った。
そうした表情をすると、印象ががらりと変わる。優しげな祖父のような雰囲気になったジリー公爵は、ミシェルを安心させるように音楽に合わせてくるりと回った。
「殊勝なのは良いことですが、謝罪されることはありませんよ。貴女も、ある意味では被害者の一人でしょうから。大変なことも多いかと思いますが、応援しております」
「ありがとうございます、公爵様」
曲が終わり、身体が離れる。
ミシェルをエスコートするジリー公爵の背中は、やはりとても大きく逞しかった。
 




