8章 国王と王妃
ラファエルは公爵という立場故、自分から挨拶に行くのは王族だけで良いらしい。五大公爵家の者同士は互いに見つけたときに声をかける程度で問題ないという。
ミシェルとラファエルが王族席へと向かうと、挨拶の機会を窺っているらしい貴族達がすうっと横に避けていく。
ミシェルは驚いて、ラファエルにそっと耳打ちした。
「ラファエル様……これって、普通なのですか?」
「ん? 何が?」
少しだけ顔を近づけてミシェルの声を拾ったラファエルが、何のことだと言うように首を傾げる。その返事が何よりの証拠だった。
こうして人が二人のための道を作るのは、貧乏神と言われたミシェルに近付きたくないとか、ミシェルを連れたラファエルが珍しくて距離をとっているとかではなく、ただ、王族に挨拶に行くフェリエ公爵家の者を邪魔しないようにという配慮だ。
それは、何と心臓に悪い気の遣われ方だろう。
「いいえ、なんでもありませんわ」
ミシェルは困惑を誤魔化すように微笑みを一段階深くした。きっと周囲からは仲睦まじく会話をしているようにしか見えないだろう。
「そう? ああ、ほら。王子達がこっちを見ているよ」
ラファエルに言われてミシェルが顔を上げると、王太子であるフェリクスと第二王子のジェルヴェがきらきらと瞳を輝かせてこちらを見ていた。
ミシェルが初めて二人に会ったのは先日の自身の結婚式のときだった。国王の名代として祝辞を述べる姿は王族然として、ミシェルの目には格好良く映っていたが、今の表情はそのときよりも大分少年らしいというか、気持ちに素直なように見える。
ミシェルは口の端がひくっと引き攣りそうになるのを必死で堪えて、助けを求めるようにラファエルを見る。
「殿下方は……」
「ああ。クラリスの件では二人にも心配をかけたから……ミシェルと仲良くやれているか、気になって仕方がないんだよ。とはいえ、先に陛下にご挨拶差し上げないと」
ラファエルにとっては、そんなフェリクスとジェルヴェのからかうような反応もいつものことのようで、全く動揺せずに王子達の席の前を素通りして、国王と王妃の前に来てしまった。
「──おお、公爵。来たか」
国王は鷹揚と言って、ゆったりとした笑みを浮かべた。
貴族の最敬礼をするラファエルの隣で、ミシェルも膝を折り頭を垂れる。
「参りました。本日も良き宴となりますよう」
「ありがとう。楽にしなさい。……それで、そちらがそなたの細君だね」
ラファエルとミシェルが姿勢を戻すと、国王は早速ミシェルを目に留めた。
「はい。ラシュレー侯爵家より迎えました、ミシェルでございます」
正面から見据えられて、ミシェルは今日一番の緊張を強いられた。なにせ、相手は国王だ。ミシェルがこれまでもこの先も、きっと直接会話をする機会など無いと思っていた相手である。
それでもこの数年で身体に染みついた貴族令嬢としての礼儀作法が、ミシェルを勝手に正しく行動させた。
「ミシェル・フェリエと申します。フェリエ公爵の妻として、国を支える一助となれるよう精進いたします。どうぞお見知り置きくださいませ」
顔には、完璧な微笑みを。指の先まで意識を忘れず、ドレスの裾捌きまで計算して。
国王はミシェルの挨拶を聞き、感心したようにほうと声を漏らした。
「なかなか愛らしく、しっかりした女性を妻にしたね。流石ラシュレー侯爵が娘にと望んだ令嬢なだけある」
「ありがとうございます」
ミシェルが礼を言うと、ラファエルがよくやったというようにそっとミシェルを引き寄せる。なんでもないエスコートだが、ラファエルの胸に触れた腕が、自分のドレスとは異なる生地の感触を拾った。
人前でそれほど近い距離にいることが恥ずかしく、振り返ることが許されない場面であることがミシェルの照れを加速させる。
それでも公爵家の妻として正しく微笑みを崩さないミシェルを、国王が思わずといったように小さく声を上げて笑った。
「そんなに固くなることはない。公爵と息子達は幼馴染の間柄でな。家同士も親しくしていたのだ。親戚の叔父のように、気軽に接してくれて構わんよ」
「そうだよ、ミシェル。ここは夜会の会場だから畏まっているけれど、私達はボードゲーム仲間だから」
「ボ、ボードゲーム、ですか?」
ミシェルは初めて聞く情報に驚いた。
ボードゲームといえば、この国にも様々なものがある。王道のチェスやオセロのようなものから、カードを使うものまで様々だ。他国にもそれぞれ特色あるものが多いらしく、そういえばオードラン伯爵家でミシェルについていた家庭教師の一人も好きだと言っていた。
確かに一人ではできないが、仲間、とは、なかなか距離の近い関係だ。
「ああ、それで思い出した。また新しいものを仕入れたから、是非やりにきなさい」
「分かりました。伺いましょう」
ラファエルが笑顔で頷く。その表情は嘘ではないと思った。ミシェルから見て、本当にラファエルが楽しそうに見えたのだ。
「細君はボードゲームは? もし良ければ──」
「陛下、そこまでに」
国王の隣で黙っていた王妃が、口を挟んでくる。何か言われるかと身構えたミシェルだが、王妃は年齢を感じさせない愛らしい顔でにこりと微笑んだ。
「ミシェルさんは、ボードゲームはおやりになったことがあるかしら?」
「いいえ。その、お恥ずかしいことでございますが、これまで娯楽のようなものは、あまりする機会もございませんでした」
六歳までは貧しい暮らしをし、バルテレミー伯爵家では双子のおもちゃとしての日々を過ごし、買い戻されたオードラン伯爵家では自由な時間などない勉強漬けの日々だった。
本当は、貴族令嬢というものは社交のためにも余暇を楽しむ術も学んでおくべきなのに、ミシェルにその経験はない。
「そうでしょうそうでしょう。だから、公爵が教えてあげなさいな」
王妃はそう言って、笑みを深めた。




