8章 フェリエ公爵の結婚相手
イザベル視点です。
◇ ◇ ◇
イザベルとリアーヌは、ラファエルが予定通りラシュレー侯爵家の娘と結婚したと聞いて落胆していた。
全てが投げやりになっていたと言って良い。
父親であるバルテレミー伯爵に望まれて十四歳で社交界デビューをしてから、もう四年が経った。伯爵は二人に一刻も早く良い縁談──と言う名の運命の出会いを望んでいたようだが、二人は諦めていなかった。
ほとんど話したことはないが、いつ見てもとても麗しく、美しい微笑みを湛えているラファエルにどうにかして自分を見てもらえないかと、心のどこかで期待していたのだ。
しかしその日は来なかった。
結婚前に王城で行われた夜会に婚約者であるクラリスを連れてこなかったことで、もしかして縁談は破談になったのかもしれないと思ったら、昨日予定通りに教会で結婚式が行われたらしい。
あんなにもさっぱりとした付き合いしかしていなかったのに、本当に結婚してしまったということが、素直に受け入れられなかった。ただ家同士の付き合い故なら、何故ラシュレー侯爵家に生まれたのが自分ではなかったのかと、両親を恨めしく思った。
「──そういうわけですから、貴女達もちゃんと相手をお探しなさい。そろそろお父様がお怒りになるわよ」
母親が、イザベルとリアーヌに言い聞かせる。
ここはバルテレミー伯爵邸のサロンだ。一階玄関ホール横にあるサロンは、少し話をするのに丁度良い場所だ。イザベルとリアーヌも夜会の後などにここで話し込むことがあった。
母親は普段二人の行動に意見をすることがない。だから、父親が留守のときにわざわざ呼び出されることはとても珍しかった。
そして何の話をされるのかと思ったら、ここに来てまさかの結婚の催促だ。正直、失恋したばかりなのだから、放っておいてほしい。
「でも、お母様。私、今日までずっとあの方を見てきたのよ」
「そうよ。お父様だって、きっと分かってくださるわ」
イザベルの言葉に、リアーヌもそうだと重ねて言う。
しかし母親は首を左右に振ってすぐにそれを否定した。
「いいえ。あの人は、本当は貴女達にもっと早く結婚してほしかったはず。そのために十四で社交界に入れたのだもの。私は早過ぎると反対したのよ」
イザベルは驚いて、リアーヌの顔を見る。
リアーヌも同じ顔でイザベルを見返していた。
これまで父親には、良い人はいないのか、いるなら紹介しなさいと、何度も言われている。縁談を持ってこられることもなく、恋愛結婚を推奨されることの方が多かったから、てっきり自由恋愛を認めてくれているのかと思っていた。
そう言うと、母親は見せびらかすように大仰に溜息を吐いた。
「あの人は本当に娘に甘いのね。良い? それは『恋愛して、金がかからない結婚相手を捕まえてきなさい』という意味よ。我が家に貴女達の結婚に使うお金はもうありませんからね」
「そんな……! だって、ミシェルを売ったお金は──」
「そんなもの、この三年で消えたわ。どれだけ社交に時間をかけてきたと思っているの。それなのに、貴女達はいつまでも『公爵様、公爵様』と夢ばかり見て……せめてお話し相手くらいになっていれば、話も違うのでしょうが」
「だけど! 私達だって、恋をしたいわ!」
「良い? お父様の言っている『恋』と、貴女達の言っている『恋』は違うの。お父様の期待している『恋』は、お金がなくても貴女達のためにいくらでも出してくれる男性を捕まえること。貴女達のしていた『恋』は、ただ憧れた人を見ていただけ。──いいかげんに目を覚ましなさい。社交界デビューが早かった分、貴女達が嫁ぎ遅れと思われるのも早いのよ」
普段あまり二人の行動に興味を示さない母親から言われた分、余計に痛烈な言葉だった。
イザベルは唇を噛み、リアーヌは拳を振わせる。
幼い頃から自由に生きてきた。
父親は優しく、二人が望むものならば何でも買ってくれた。母親は家庭教師の授業さえきちんと受けていれば他のことには全く干渉してこない人だった。そのため、イザベルとリアーヌはやりたいように生きていた。
それが間違っていたことなど、なかったのだから。
しかし今、目の前にいる母親は、母親ではなくバルテレミー伯爵夫人としての顔で、イザベルとリアーヌにこれまでの四年が間違いだったと言っているのだ。
そんなことがあっていい筈がない。
イザベルが思うことはいつもリアーヌも思うことで、それは必ず正しいのだ。
イザベルが言い返そうと口を開いたそのとき、父親が帰ってきたらしい音が聞こえた。
味方がやってきた、と思った。
迎えに出ようかと背後の扉を振り返ると、丁度リアーヌも振り返ったところだった。
しかしばたばたといつもよりも煩い足音は、二人と母親がいるこのサロンに向かっている。迎えに出る必要はないと残念に思いつつ、何かあったのかと首を傾げた。
その疑問は母親も抱いていたようで、父親がノックもなく部屋に入ってきたところで、ドレスの隠しから扇を取り出して手の平でぴしりと叩いた。
「──貴方、不作法ですよ。何事ですか」
その剣幕に、イザベルとリアーヌは母親が持つ扇を凝視した。これまで怒られた記憶はなかったが、もしかしたらこの母親は、本当はとても怖い人なのかもしれない。
父親がびくりと肩を揺らした。しかし流石伯爵家の当主と言うべきか、すぐにいつもの調子を取り戻す。急いだせいか額に浮かんでいる汗をハンカチで拭いながら、顔色を青くして口を開いた。
「すまない。しかし聞いてくれ。オードラン伯爵家が潰れた。あのミシェルがラシュレー侯爵家に養子入りして、フェリエ公爵家に嫁いだらしい」
「なんですって……!」
反応できたのは、母親だけだった。
イザベルとリアーヌはぽかんと開いた口を隠す余裕さえない。ただ絶句して、両親の会話を聞くことしかできなかった。
「ミシェルって、本当にあのミシェルで間違いないのですか!?」
「あ、ああ。どうやらそうらしい。今日王城はその話で持ちきりで──」
「何悠長なことを言っているのですか。貴方のせいで、娘達が……嫁ぎ遅れどころか、結婚できないかもしれないのですよ!?」
「いや。だから私は焦っているんだが……」
今、とんでもないことを聞いたような気がする。
ぎぎぎ、と不自由な動きで隣にいるリアーヌを見ると、同じようにイザベルを見ていたリアーヌと目が合った。
夜会で一度だけ見たミシェルの腹が立つほど可憐なデビュタント姿が、脳裏を過った。




