7章 安堵と不安
ミシェル視点です。
◇ ◇ ◇
夕食前に帰ってきたラファエルは、最低限の会話だけで食事の席に着いた。挨拶こそしたものの、目を合わせることを避けているかのような様子にミシェルは不安になる。
食事もあまり進んではいないようだ。
ミシェルは、ラファエルがミシェルを調べていたことを知っている。
何とも思わなかったわけではないが、結婚する相手としては調査するのも当然だと思っていた。だから、ラファエルに対してその話をしたことはない。
それに、ラファエルの仕事についても深く問いただしたことはない。まだ出会って一週間も経っていない間柄だ。いくら昨日から名目上は妻になったからといって、仕事に関してあまり口を挟むのは良くないだろう。
どちらも、そうすることがお互いのためだと思ってのことだった。
しかし今日のラファエルは、明らかに様子が変だ。いつもの笑顔の仮面も半分ほど抜け落ちているようで、怒りとも困惑ともつかないような顔をしている。
しかしミシェルの存在を思い出すと、慌てて笑顔を貼り付けるのだ。
「──ラファエル様、何かございました?」
ミシェルは、思いきって聞いてみることにした。
この屋敷に来てから、ミシェルは一度も怒られたことがない。まだ数日だが、お陰でオードラン伯爵邸にいた頃よりずっと、話すことへの恐怖感は薄れていた。
ラファエルは自分から話をしてきたミシェルに驚いたようで、僅かに目を瞠っている。
「あまり立ち入ったことをお伺いするのは良くないと思っておりましたが、随分お悩みのようですので」
ミシェルが言葉を続けると、ラファエルはそっと目を伏せた。
その瞳が何も映さない瞬間、ミシェルは急に辺りの空気が冷えたような不安を覚える。それが何故なのか、ミシェルはまだ分からない。
「ミシェルには辛いことかもしれないと思って、伝えるか迷っていたのだけど」
顔を上げたラファエルは、淡く薄く微笑んでいた。
「君の兄上……いや、アラン・オードラン伯爵が、外患罪で逮捕されたんだ」
ミシェルは息を呑んだ。
外患罪なんて、とんでもない重罪である。
ミシェルも家庭教師の授業で聞いただけだが、他国に自国の情報を売ったり、戦争に繋がるような行為に対する罪で、家族まで拷問の上処刑されるという。
アランがそのような罪を犯していたなど気付かなかったが、ミシェルはアランの妹だ。こんなこと、伝え辛くて当然だろう。
ミシェルは泣いてしまいそうなのを堪えて、必死に口角を上げた。
「そう、でしたか……短い間でしたが、お世話になりました。折角助けていただいたのに、残念です。私はいつ出頭すればよろしいのでしょう?」
やはりこんな幸せは夢だったのだ。
一瞬でも、ラファエルに恋をしてみようなどと、考えなければ良かった。
あのとき死んでしまっていた方が、未練はなかったかもしれない。
「待って! 待って待って。ミシェルが出頭する必要はないよ」
ラファエルがミシェルの言葉を慌てて否定している。らしくもなく思いきり手と首を振っていて、まるで壊れた仕掛け人形のようだ。
「──……え?」
ぽかんと開けてしまった口を、慌てて手の平で隠す。
ミシェルはまだ生きていて良いのだろうか。
「ミシェル、君の名前は?」
「ミシェル・フェリエです……でも!」
「……結婚前の名前は?」
「ミシェル・ラシュレーで……って、もしかして」
今度はミシェルが目を瞠る番だった。
ラファエルが真面目な顔で頷いて、ミシェルの目を正面から捉える。
「そう。君は結婚前にはラシュレー侯爵家の養子となっていた。そして、今はフェリエ公爵家に嫁いでいる。……この国の法律では、遡れるのは一つ前の家までだ。それも特別な事情がある場合のみ。だから、ミシェルは大丈夫だよ」
まあ事情聴取くらいはあるかもしれないけど、と言って、ラファエルはミシェルを安心させるように微笑んだ。
ミシェルはラファエルの言葉に、詰めていた息を吐く。
「私、……ここにいても良いのですか?」
ミシェルはまだ受け入れきれていない現実に、安堵と不安が綯い交ぜになった複雑な感情で呆けていた。
ラファエルが立ち上がって、ミシェルの方に歩いてくる。食事中に席を立つなんて、本当はいけないことだ。ミシェルにとっては、そんなことをしたら叱られる、という気持ちがまだ強い。
それを、ラファエルはミシェルのために当然のようにしてしまう。
「勿論だよ。私だって、今更君にいなくなられたら困ってしまう。……婚約破棄されて、今度は離婚だなんてなったら、それこそ人格が疑われるだろう? それに」
すぐ側で立ち止まったラファエルが、ミシェルの手を取った。そのまま軽く屈んで、慈しむようにラファエルの頬に触れさせる。
温かさに胸が跳ねた。
「──私が幸せにしたいのは、ミシェルだから」
気付けばミシェルの頭の中は、ラファエルのことでいっぱいになっていた。




