7章 アランの平穏
アラン視点です。
◇ ◇ ◇
アランは応接間のテーブルに積まれた金貨三千枚を見て、ほくそ笑んだ。
これだけあれば、例の件も上手くいく。ミシェルとアンドレ伯爵の縁談は駄目になってしまったが、同じ伯爵家。ましてあちらには探られたくない腹もある。
相手は公爵家なのだから、使者に事情を書いた手紙を持たせれば納得するだろう。
「──これなら、悪くはないな」
アランにとって、家族は自分の邪魔をする存在でしかなかった。
最初にそれを感じたのはミシェルが生まれてきたときだ。
オードラン伯爵家の次期当主たれと父親から厳しく育てられていたアランは、初めての女の子であるミシェルの誕生に喜んで鼻の下を伸ばしている父親に失望した。同時に、自分は触れることを許されていない母親がその赤子を抱き締めている姿を見て、強い怒りを抱いた。
アランの父親は妻を溺愛していた。それは、もはや偏愛と言った方が良い程だった。
母親と同じ色を持ち、愛らしいミシェルも、父親はあっという間に気に入った。
大切なものは箱に入れて──それを現実ですると歪んで見えるのだということを、このときアランは五歳にして学んだのだ。
「旦那様、まもなく奥様がお帰りになります」
「ああ、分かった。……これは片付けておこう」
アランは金貨を布に包んで、自分の執務室へと運ぶことにした。
ラファエルはこれを使用人に任せていたが、とんでもないことだ。金貨が三千枚もあれば、使用人は喜んでそれを持ち逃げするに違いない。
執務室の扉を開けて、机の裏側の絨毯を捲り上げる。床の一部が盛り上がっていて、板を外すと小さな鍵穴が出てくる。
そこにあるのは、昔からあるらしい隠し金庫だ。
アランはオードラン伯爵家当主に代々伝わる鍵を使って、その金庫を開けた。
アランが商売を始めるまで、オードラン伯爵家は貧乏だった。だから、金庫にしまっておくような財産はなかった。
その分、過去の当主達は、隠し金庫の中に家族には見られたくないものをしまうことにしていたらしい。
子供の落書き、家系図には載っていない女性からの手紙、中身の無い日記。アランが初めてそこを開けたとき、中に入っていたのはそんなくだらないものばかりだった。それらは全て、アランが当主になった後すぐに捨ててしまった。
唯一、アランの父親宛に届いたらしい母親の従弟からの手紙以外は。
今はその手紙しか入っていない隠し金庫の中に、金貨を包みごと入れて蓋を閉める。鍵を掛けて床板と絨毯を戻して、やっとアランは安堵した。
丁度そのとき、階下から音が聞こえてきた。ナタリアが茶会から帰ってきたのだろう。
アランは上機嫌に執務室を出て、玄関ホールへ向かった。
「おかえり、ナタリア」
「ただいまアラン。見て、このドレス。綺麗でしょう」
「ああ。この前買ったものだろう? とても似合っている」
アランはナタリアの姿を見て微笑んだ。
ナタリアは、アランが社交界デビューをする直前に出会った。まだこの家が貧しく、父親が酒に溺れていた頃のことだ。
自分の力でどうにかできることはなく、父親が当主でいる限り生活は改善しないだろう。勝手に死んだ母親とどこかに売られた妹はまだましだ。アランがどんなに何かをしようとしても、現当主である父親がその邪魔をする。
そう考えていた当時のアランは、平民が行く居酒屋にこっそり行き、安酒を飲んで
、暴れ出してしまいそうな感情を処理するのが日課だった。
その店は、ナタリアの父親が平民の商人との商談に使う店だった。
偶然アランがいる日にその商談に同席していたナタリアが、一人で飲んでいたアランに声をかけたのが始まりだ。
ナタリアは元々裕福なジラール男爵家の令嬢で、実家の父親は商売をしていた。扱うものは異国の珍しい品が多く、高位貴族にも贔屓にしている者がいる人気店を王都に持っていた。
そんな家であまり不自由することなく育ったナタリアは、単純で、無邪気で、甘え上手で、攻撃的だった。
その日、閉塞感と行き場の無い怒りを内側に溜め込んでいたアランの未来を、力技で切り開く方法を教えてくれたのがナタリアだったのだ。
「ありがとう。それで、あの子は?」
ナタリアが玄関ホールから見える範囲をぐるりと見渡す。
ミシェルのことを言っているのだろうと分かったアランは、口角を上げた。
「ミシェルはもう帰ってこない。……奴隷商に売られたらしいから、金だけ貰っておいた」
ラファエルが買ったということは言わなくても良いだろう。あの男は見目が良いから、世の女性は漏れなく夢中になってしまうという。
ナタリアがアラン以外の男性のことを考えるなど、許されていい筈がない。
しかしアランは自分の父親のように妻を屋敷に閉じ込めてはいないから、狂ってはいないのだ。
「まあ! それじゃあ、これからまた私達二人だけの生活なのね。嬉しいわ」
「ああ。何か欲しいものはあるか? 記念に買いに行こう」
アランは隠し金庫の中の金貨を思い浮かべながら言った。
ナタリアが早速、あの店のドレスがとか、新しい指輪が、などと言いながらアランの腕に甘えてくる。
それが嬉しくて、アランはナタリアの腰に腕を回した。




