6章 初めての夜に
宴にはミシェルが思っていた以上に多くの貴族が訪れた。
王子二人も国王の名代でやってきて、ラファエルとミシェルに祝辞をくれた。
次々に挨拶にくる貴族達は皆ラファエルに好意的で、その伴侶となったミシェルにもにこやかに接していく。
親に連れられている令嬢達の中には不満げな顔をした者もいたが、フェリエ公爵夫人となったミシェルに直接害を為そうという者はいなかった。
着飾ったミシェルの姿に、文句を言える者がいなかったということでもあった。エマ達が全力で磨き上げたミシェルは、教会でのラファエルの例えが大げさではないとほどに美しく、誰が見ても美男美女の似合いの新婚夫婦だったのだ。
そして、宴が終わり、会場となったフェリエ公爵邸の大広間から客達が帰っていく。
見送りは使用人達の仕事だ。
ミシェルは重たいドレスを脱いで浴槽に浸かると、夜着に着替えた。
今日からミシェルの部屋はフェリエ公爵夫人の部屋だ。ラファエルの私室の隣にあるその部屋は、寝室の扉が繋がっている。
ミシェルはエマに丁寧に香油を塗られて、緩く編まれている髪に触れた。
着ている夜着は前にリボンがついていて、レースの細工が愛らしいものだ。肌触りも良いが、膝丈でいかにも初夜の夜着といった作りである。
部屋の明かりは消され、間接照明だけがいくつかついていた。薄暗いが、こういうものなのだろう。
ミシェルは、夫婦の夜の営みについての教育は最低限しか受けていない。
夫となる人に任せておけば大丈夫、という程度の知識で、エマに聞いても同じ答えしか返ってこなかった。そもそも未婚のエマも詳しいことは知らないのだ。
「──大丈夫、よね」
痛いとか、気持ちいいとか、嬉しいとか、辛いとか、人によって言うことは様々だ。
ミシェルは知らないそれに無意識に恐怖心を覚えていた。
ラファエルの部屋と繋がっている扉が、軽く叩かれる。ぎいと音がして、ラファエルが入ってきたのだと分かった。ミシェルは寝台の端に座ったまま、その姿を見ることはできずにいる。
ラファエルはミシェルの方ではなく、ソファへと向かった。
「良ければ、こっちで少し話をしよう」
「……はい」
ミシェルはゆっくりと立ち上がり、ラファエルが先に座っているソファの側へと移動した。向かいに座るか隣に座るか迷ったが、ラファエルが二人がけの方に座っていたので、思いきって隣を選ぶ。
「ちょっと待って」
すると、ラファエルはそう言ってソファから立ち上がってしまった。何か間違えたかと不安になるミシェルの肩に、すぐにふわりと大きな毛布が掛けられる。
その前を剥き出しの足まで隠すようにしっかりと合わせたラファエルが、ミシェルの隣に座り直して苦笑した。
「今日は、ミシェルも疲れたでしょう? 知り合ってまだ数日しか経っていないのだから、心の準備ができてなくて当然だよ」
「あの……?」
「……今日は何もしないから、安心して。その代わりと言っては何だけど、私と話をしよう。ミシェルのこと、まだあまり知らないから」
ミシェルは驚いて、真意を探るようにラファエルの顔を凝視してしまう。
ラファエルはそんなミシェルに安心させるように微笑んで、テーブルの端に置いていた籠を引き寄せた。
「ミシェルは、お酒は飲んだことある?」
「いえ。前の家では、練習をしてくれる親族はいなかったものですから」
「だよね。今日も飲んでいなかったし。そう思って、軽めの葡萄酒を持ってきたよ」
ラファエルがそう言って、籠の中からガラス瓶をとり出した。それを一緒に持ってきていた二つのグラスに注いでいく。
透きとおった黄色の液体が、グラスの表面で小さく波立った。
「これから社交界で私と一緒にいることになるから、ここで練習しておこう」
「ありがとうございます」
籠からは、ドライフルーツとナッツが入った小さな箱まで出てくる。
ミシェルはようやくこの知らないことへの恐怖心と戦わなくて良くなったことに安堵した。すると、今度は目の前にいるラファエルのことが気になっている。ミシェルが安堵したことに、失望してはいないだろうか。
しかしラファエルは全く気にする様子もなく、グラスを手に取った。
ミシェルはその意味に気付き、自分のグラスをそっと持ち上げる。
「──私達二人の、これからに」
短い言葉と共に、グラスが軽やかな音を奏でる。
ラファエルが先に一口飲んで、グラスをテーブルに置いた。
「最初はほんの少しだけ口に含んで、思いきって飲んでみて。大丈夫そうなら、次からは一口ずつ。飲みやすいものを持ってきたけど、一度に飲み過ぎないように注意して」
「はい。……こう、ですか」
「そうそう」
舐めるくらいの量を口に含むと、軽やかな柑橘の香りと葡萄の甘さが広がった。喉を通り過ぎるときに熱を感じたが、ミシェルは言われた通りに思いきって飲み込む。
「……あ、美味しいですね」
飲んでしまえば、残るのはその香りと甘さばかりだ。
ミシェルの反応に安心したのか、ラファエルが自分のグラスにまた口を付ける。
「喉を越えるときの熱が、アルコールだよ。これは葡萄酒の中でも少し弱めのものだから、外で飲むときはこれよりもきついと思って良いかな」
「そうなんですか。これより強いものだと、気を付けて飲まないと酔ってしまいそうです」
「そうだね。乾杯のグラスはこれより軽いものも多いから、安心して良いよ。それ以外は気を付けて選べば大丈夫」
「分かりました。ありがとうございます」
これは確かに練習せずに外で突然飲んでいたら驚いていただろう。知らずに飲んでいたら、醜態をさらしていたかもしれない。
デビュタントに合わせて親や兄弟と練習をするという人達が正しいことが分かる。
ミシェルはドライフルーツを摘んで、一口食べた。




