6章 ラファエルとミシェルの結婚式
扉が開くと、眩しいほどの光に包まれる。天窓から差し込む日の光が教会の純白で揃えられた調度に反射して、この場を他のどこよりも神聖な場所に見せていた。
ゆっくりと祭壇の中央に進み、神官の前に立つ。
神官は穏やかに微笑んでいた。その背後には、愛の女神が描かれたステンドグラスがある。
「──只今より、ラファエル・レミ・フェリエ様と、ミシェル・ラシュレー様の結婚式を執り行います」
神官の声が響く。
参列している誰も不思議に思っている様子を見せないのは、ラファエルが根回しをしてくれていたからだ。
神官が、一冊の本を台の上に置いてそっと開く。
中にはたくさんの名前が並んでいた。これは、この教会で結婚した人達の名簿だろう。
その一番最後の行にラファエルが名前を書く。
ペンを受け取ったミシェルは、隣にまだ慣れていない名前を書き足した。震えてしまいそうなのを必死で堪えて書いた文字は、ラファエルの名前の横で几帳面に並んでいる。
「誓いの言葉を」
ネフティス王国の結婚式では、誓いの言葉は新郎新婦が自由に言うことができる。とはいえ、自分で考えられない人のための定型文も何通りか用意されている。
政略結婚では定型文から言葉を選ぶ場合がほとんどだと聞いて、ミシェルはその中から適当にいくつか暗記してきていた。ラファエルの言葉に応える内容のものを選んで言うためだ。
皆の視線を受け、ラファエルが口を開く。
「私、ラファエル・レミ・フェリエは、妻だけを生涯愛し抜き──」
ミシェルは、ラファエルの言葉を聞いて、どの定型文がくるのか予想した。その言葉から始まるものは一つだけだ。
きっと、死が互いを分かつまで共に生きることを誓います、と続くはずだ。
「溢れるほどの幸福な日々を、私の命ある限り、妻に贈り続けることを誓います」
しかし、その後に続いたのは、定型文の中にはない、ラファエル自身の言葉だった。
ミシェルはその言葉に困惑した。
用意していた定型文は使えない。ここで定型文を使ってしまったら、不実に思われてしまう。
今頼れるものは、ラファエルがくれた誓いの言葉と、これまで積み上げてきたミシェル自身だけだ。
「──私、ミシェル・ラシュレーは、夫だけを生涯愛し抜き」
ミシェルは、ちらりとラファエルの横顔を窺う。
誰が見ても美しく整っていると言うであろう完璧な美貌を持っていて、公爵という立場もあり、豊かな生活を送れるだけの金もある。
不足しているものなど無い筈なのに、何故か、時折寂しそうに伏せる瞳が気になっていた。
「誰よりもその心の側にいて、私の命ある限り、共に幸福であることを誓います」
神官に預けていた指輪を、互いの左手薬指にそっと填めた。
改めて間近で見たラファエルの手は、ミシェルの手よりも大きくてごつごつしていた。指も節があり、見慣れないそれにどうしても鼓動が高鳴る。
ミシェルの左手にも同じ指輪があると思うと、恥ずかしかった。
向かい合って立つと、ミシェルのヴェールがゆっくりと上げられる。
ラファエルはどこか困ったような微笑みを浮かべて、そっとミシェルの頬に触れた。
「……ありがとう、ミシェル」
初めての口付けは、一瞬だけ優しく触れてすぐに離れていった。
ミシェルの白い頬に朱の色が混じる。
参列している人達が、暖かい拍手をくれた。
パイプオルガンの音に合わせて、子供達が聖歌を歌う。その姿はまるで天使のようだ。教会に反響する音が、音を膨らませてはゆっくりと遠ざけていく。
歌が終わり、正面の扉が開かれた。
この扉の向こうは教会の正面階段に繋がっていて、そこには参列者ではない見物人が詰めかけている。
「行こうか」
「はい」
ラファエルがミシェルにまた手を差し出す。それに導かれて、ミシェルはまたラファエルの腕に手をかけた。
参列者の中心にある通路を一歩ずつ歩いて、正面の大きな扉から外に出る。
瞬間色づいた世界で、ミシェルとラファエルに様々な色の花弁が降り注がれた。祝福の花弁を投げている人の外側には多くの見物人が詰めかけ、ラファエルとミシェルを一目見ようと背伸びをしている。
通路を歩いて、馬車の中へ。
馬車はフェリエ公爵邸へと走り出す。
馬車は屋根がなく、誰が乗っているのかすぐに分かる。そのために今日はこの馬車なのだ。結婚した若い二人を皆に披露する意味があるのだという。
「落ち着かないだろうけど、ごめんね。仕方なくて」
「分かっておりますから。ラファエル様、そんなに心配なさらないでくださいませ」
「ありがとう、ミシェル」
このあと、屋敷で結婚披露の宴がある。そのためにミシェルはここ数日、必死で最新の貴族名鑑の暗記をしたのだ。
馬車は軽やかに街道を駆け抜けていく。
仕事をしている人達も馬車を見ると手を止め、大きな声で祝福の言葉をかける。この国の風習だが、自分が体験するとなんと恥ずかしくも嬉しいものだろう。
ミシェルは少しでもラファエルの隣で美しくあろうと、背筋を伸ばして精一杯の微笑みを浮かべた。




