6章 ミシェルのドレス
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ドレスを合わせるからと連れて行かれた部屋で、ミシェルは見たこともないほど美しいそれに見入っていた。
教会で式を挙げるときの正装とされる、純白のドレスを見るのも初めてだ。デビュタントのドレスも白だが、トレーンの長さもヴェールの有無も違う。
艶やかな絹の生地で作られたドレスには、百合の花の刺繍が同じ白の絹糸で入れられている。胸元と裾できらきらと光っているのは小粒のダイヤモンドだ。
「素敵なドレスですね……」
ミシェルとラファエルは、利害の一致によって結婚することになった関係だ。これまでミシェルにとって結婚とは、身売りの一種であるという感覚が強かった。
しかし、このドレスを見てしまえばその考えも変わってしまいそうになる。
ドレスの形を整えていた仕立屋の女性職人が、ミシェルの言葉を聞いて微笑んだ。
「ありがとうございます。公爵様とミシェル様の事情はお聞きしておりますので、最大限ご協力させていただきますわ。一度ドレスのサイズを見させていただきたいのですが──」
「はい、分かりました」
ミシェルは女性の指示に従って、服を脱いで採寸を受け、ドレスに袖を通した。
元々クラリスに体型は近かったようで、オードラン伯爵家で着ていたナタリアの服よりもしっくりくる。
「なんだか、結構ちょうど良さそうな感じですよね。これなら、あんまり直さなくても」
ミシェルは鏡の中の自分の姿を見つめて不思議な気持ちになる。
元々ミシェルは、結婚式もせずにアンドレ伯爵の元に嫁がされる筈だった。結婚した後は、きっと一人で痛みに耐える日々がやってくるのだろうと、そうなってはいけないというエマの望みもあって、あの家から逃げ出そうとしたのはまだ一昨日のことだ。
それどころか昨日は全てを捨ててしまおうとさえした。
それなのに何故か、今、見るからに高価なドレスに身を包んでいる。このドレスはクラリスのために用意されたのだろうが、着るのがミシェルであるということには変わりない。
「そんなことはありませんわ! ミシェル様、しばらく動かないでくださいまし」
背中が編み上げになっていることもあり、ぱっと見たところ違和感はない。しかし職人の女性は妥協を許さないのか、あちこちを摘んでは何かを紙に書きつけていた。
そして、一歩離れたところからじっとミシェルを見て、首を傾げる。
「うーん……ミシェル様はこのデザイン、お好きですか?」
「とてもきれいだと思いますが……?」
ミシェルは改めて自分が着ているドレスを見下ろした。
肩紐の無い大人っぽいデザインを採用した、伝統的なシルエットだ。百合の花は老若男女に好かれていて、結婚式に相応しい。
しかし女性は納得していないようで、まだミシェルの顔とドレスを交互に見比べている。
「例えば──」
女性はミシェルが着ているドレスの腰の部分に太いリボンを巻いて、背後で結んだ。それから、肩の部分に白いシフォンとレースを重ねてピンで留める。
それだけで、途端にドレスは大人っぽいものからミシェルの年相応の愛らしさがあるものへと変わった。
「まあ……!」
思わずミシェルは感嘆の声を漏らす。職人の女性は今のミシェルのドレスのデザインを紙に描き写して、更にいくつかの装飾を足した。
「こちらでいかがですか? よろしければ、これから早速修正させていただきます」
「私は嬉しいけれど、公爵様は何と仰るかしら」
こちらの都合でサイズを直すとなれば、追加で料金がかかっているだろう。ましてデザインまで変更するとなると、ミシェルにはいくらかかるかも分からない。
結婚式は二日後で、時間もあまり無いのだ。
「公爵様からは、ミシェル様に一番お似合いになるように直すよう、ご指示をいただいています。ですので、この変更は問題ありません。ミシェル様は以前の方がお好きですか?」
「──この方が、可愛いと思うわ」
ミシェルは、デジレとエマ以外の人間に、自分のために何かをしてもらった経験がほとんどない。優しい人もいることは知識として知ってはいるが、ミシェルとの出会いは少なかった。
だからラファエルから当然のように与えられる気遣いに、困惑してばかりだ。
「ではこちらで。大丈夫です、ちゃんと間に合いますから。そんなに不安そうな顔をなさらないでくださいよ」
「そんな顔、していたかしら?」
ミシェルが思わず頬に手を当てると、女性は困ったように微笑んだ。
「そうですね。……ミシェル様はお綺麗ですから、ドレスを着たら皆の注目の的ですよ。私、絶対に完璧に仕上げて差し上げますわ!」
職人の女性はそう言うと、ミシェルに着替えるよう促してくる。そして元の服に着替えたミシェルを置いて、あっという間に荷物を纏めて部屋を出ていってしまった。
一人残されたミシェルは、鏡の中にいる自分が誰なのか、不意に不安になった。確かにミシェル自身の筈なのに、今目の前にあるものが全部夢かも知れない、と思わされる。この綺麗なワンピースに身を包んでいる令嬢は、本当にミシェルだろうか。
ミシェルは部屋に置かれていた鏡にそっと近寄り、鏡の中の自分に触れた。




