1章 悪魔の双子
二人はミシェルをつれて、裏口から庭に出る。
庭は季節の花が咲き誇り、美しく整えられていた。完璧なその庭に、ミシェルは改めてバルテレミー伯爵家とオードラン伯爵家の違いを実感させられる。
圧倒されているミシェルは、気付けば腕を引かれて庭の端の方にいた。外から中が見えないように背の高い木が纏めて植えられているあたりだ。
さわさわと木が風に揺れて音を立てる。
庭師の姿もみえない庭は、少しずつミシェルを不安にしていく。
「あの……ここ、どこですか?」
「庭よ。決まってるじゃない」
「そうよ! 庭以外のどこだと言うの?」
そこに、使われていない様子の小さな古い倉庫があった。
ミシェルから手を離したイザベルが、閂を外し、重そうな扉を躊躇無く開ける。がらがらと音を立てて開いた隙間から差し込む西日が、暗い倉庫を照らした。
倉庫の中には、何もなかった。床は地面が剥き出しで雑草が茂っており、端の方に古い水道が見えるだけだ。
「ほら、入って。ミシェル」
リアーヌがそう言って、ミシェルの手を引いた。
「え? どういう……」
「一緒に遊びましょう? 今日からこの家で暮らすんだもの。ね?」
イザベルが隣に戻ってきて、ミシェルに言う。
ミシェルは目の前にある暗く古い倉庫が恐ろしかった。元々暗いところは得意ではない。
ここには入ってはいけないと、ミシェルの中の何かが警報を鳴らしている。
「何してるの。私達の言うこと、聞けるわよね?」
──『決して逆らったりなどしないように。いいね?』
父親の声が遠くに聞こえる。
──『しっかり言うことを聞きなさい。この家の人間を傷付けたら、ただではおかないよ』
バルテレミー伯爵の声がする。
イザベルとリアーヌがミシェルとここで遊ぶというのなら、ミシェルはそれを拒否することを許されていないのだ。
「はい。イザベル様、リアーヌ様」
ミシェルはおそるおそる倉庫に足を踏み入れた。
使い古した小さな靴が、じめじめとした土の水気を感じる。倉庫は本当に光が入らなかった。唯一の光源が開いた扉である。
二歩、三歩と中に入って、ミシェルは首を傾げた。
「お二人とも、ここで何をして遊──」
がらがら、ばたん。
外から倉庫の扉が閉められる。
ミシェルは咄嗟に小さな悲鳴を上げた。
「イザベル様、リアーヌ様!?」
ミシェルはすぐに扉へと駆け寄り、手探りで取っ手を探し出して思いきり動かす。しかしがたがたと音がするだけで、扉はびくともしない。
外側に閂があったことを、今更になって思い出す。
それでもどうにかならないかと扉を動かし続けるミシェルは、二人分の楽しそうな笑い声を聞いた。
「楽しいでしょう? この倉庫、私達のお気に入りで、よくここで遊ぶのよ」
「ふふ。こうして遊ぶの、久し振りね!」
ミシェルは扉を揺らす手を止めた。
イザベルとリアーヌは、いつもこうして誰かをここに閉じ込めて遊んでいるのだ。
光一つ差し込まない暗闇が、頼るもののないミシェルを追い詰めていく。
「……なんで、こんなことをするんですか?」
「何でって、そんなのあなたに関係ないわよ」
「ええ。おもちゃでどう遊んでも、私達の自由だもの」
ふふ、と楽しそうに笑い合うイザベルとリアーヌ。
それを聞いて、バルテレミー伯爵が言う『おもちゃ』が、ミシェル自身のことだったのだと理解した。
「そんな──」
ミシェルの目に涙が浮かんでくる。
貧乏とはいえ、ミシェルは伯爵令嬢である。今は亡き母親が、だから立派な人間でいるように心掛けなさいと言っていた。
ここでは、ミシェルは人ですらないのだ。
倉庫の闇よりも暗い絶望が、ミシェルの心を染めていく。
「それじゃ、壊れないでね」
「そうよ。壊しちゃったら、私達が叱られるんだから」
子供らしい笑い声が、足音と共に遠のいていく。
「やだ、待って……!」
どんどんと扉を叩くが、二人が戻ってくる様子はない。それどころか、しばらくすると本当に何の物音もしなくなってしまった。
「やだ。お願い、お願いっ。ここから出して……!!」
泣き叫んでも、誰の声も聞こえない。
「お願い……」
ミシェルは扉を叩くのを止めた。ぺたりと地面に座り込むと、草についていた水分をタイツが吸収していく。
冷たい、と思った。
今は冬。比較的温暖な王都でも、日差しが入らない場所では寒い。まして夜など、凍えてしまうほどだ。
頬を流れた涙が、零れると同時に冷えていく。
暗いだけでも怖いのに、いつ出してもらえるかも分からない。出してもらえても、これからこの家で『おもちゃ』としての暮らしが始まるのだ。
「どうしよう……助けて、お──」
お母様、と動きそうになった口を、慌てて両手で塞ぐ。それを言うと、ミシェルの父親はとても怒るのだ。
そこまで考えて、余計に泣けてきた。もう、ミシェルを怒る父親すらいないのだ。
誰にも頼れない。
そう強く思ったミシェルは、目の涙をコートの袖で拭った。右、左、と交互に何度か拭っていくと、ようやく涙が止まってくる。目も、少しずつ暗闇に慣れてきた。
「──泣いても誰も助けてくれないんだ。考えるの、ミシェル」
ミシェルは六歳だ。子供故に一人でできることは少なく、非力である。
しかしミシェルはオードラン伯爵家の子供である。
貧しいオードラン伯爵家で暮らし、母親がいなくなってからは、いないものとして扱われる日もあった。そんな中生きてきたミシェルは、寒さや空腹を誤魔化す術には詳しいのだ。
ざくざくと歩いて、奥にあった水道の蛇口を捻ってみる。
ごぽりと遠くの方で変な音が聞こえたと思うと、少しして水が出てきた。触れてみると、かなり冷たい。きっと地下から引かれているのだろう。ならば、しばらく出していれば水質は問題ないはずだ。
ミシェルは水を出しっぱなしにしたまま、地面に生えている草を次々と抜き始めた。
倉庫に入ったときのことを思い出す。
緑色に生い茂っているのは少しだけで、殆どは枯れ草だった。ならば、かき集めれば夜をしのぐこともできるだろう。
集めた草を、水道と反対側の壁際に集めていく。真っ暗で時間の感覚がない分、集中して作業ができた。さっきよりも寒くなってきたのは、日が暮れたからだろうか。
ミシェルは水道から出ている水を飲んで空腹をまぎらわせて、集めた草の上で丸くなった。
救いは、ミシェルがこの家に着いてすぐにここにつれて来られたことである。まだコートすら脱いでいなかったため、防寒ばっちりの格好だ。これなら、凍死することはない。
ぎゅっと身体を抱き締めて目を閉じる。
いつ出してもらえるか分からない今、できるだけ眠るべきだと言い聞かせながら、ミシェルはなかなか眠れない夜を過ごした。