5章 フェリエ公爵邸にて
「本当はゆっくり一緒にお茶でも、って思っていたんだけど、公爵様が、ミシェルちゃんをもうすぐ迎えに来るのですって。だから、サロンですこしお話ししていましょうか」
フランシーヌがそう言って、ミシェルをサロンに誘う。
アルベールが小さく溜息を吐いて苦笑した。
「──公爵殿がこうも性急に動くのは珍しい。ミシェルを余程気にかけているんだろう」
ミシェルは曖昧に笑って誤魔化した。
ラファエルがミシェルを気にかけるのは、ミシェルが命を捨てようとしたところを目にしてしまったからだ。政略結婚の相手が今度は自殺したなどとなれば、ラファエルが不吉だと思われてしまうかもしれない。
サロンで食後の紅茶を飲んでいると、屋敷の外から馬の蹄の音が聞こえてきた。きっとラファエルがやってきたのだろう。
一日経って、ミシェルは今更恥ずかしくなっていた。
昨日ラファエルがミシェルに言った言葉は、事情があったとはいえ、これまでにないほど強くミシェルの存在を肯定してくれるものだった。
どきどきと自分の鼓動の音を聞きながら、扉が開くのを待つ。
やがてサロンの扉が軽く叩かれ、アルベールと共にラファエルがやってきた。ラファエルは今日はシャツの上にコートというラフな服装をしている。外出着としては一般的だが、貴族の家を訪ねるのには不向きとも言える格好だ。
「──ラシュレー夫人、このような格好で失礼します。ごきげんよう、ミシェル嬢。急で済まないのだけど、確認してほしいことがあるんだ。すぐに出られるかな?」
「はい。構いません」
ミシェルは頷いて立ち上がった。この家にミシェルの荷物はなく、部屋に戻る必要もない。
フランシーヌがおっとりと微笑む。
「あらまあ、随分せっかちねぇ。ミシェルちゃん、次に来るときには、貴女のお部屋もちゃんと用意しておくわね。──公爵様、服を何着か用意しておいたから、一緒に持っていってくださいな」
ミシェルは振り返って、桃色のワンピースを軽く摘んで膝を折った。
「ありがとうございます、お母様。式でお会いできるのを、楽しみにしております」
「私からも礼を言わせてください。ミシェル嬢をありがとうございました」
ラファエルが礼を言うと、アルベールが笑った。
「なあに。私達の娘がこの屋敷で過ごすのは、普通のことだろう? なあ、ミシェル」
「お父様……お世話になりました」
「明後日、花嫁姿を見るのを楽しみにしているよ」
頷いたミシェルは、ラファエルのエスコートで馬車に乗り込む。馬車の中はミシェルとラファエルの二人だけだった。
ミシェルは、ラファエルのどこか落ち着かない様子に首を傾げる。
「何かあったのですか?」
「ああ。でも、話は家についてからにしよう」
フェリエ公爵邸はすぐ近くのようで、馬車が動き出して十分も経たずに着いてしまった。
ラファエルの手を取って馬車を降りて、ミシェルはその建物に圧倒される。
まるで童話の中の城のようだ、と思った。
丁寧に手入れされているらしい建物は歴史あるもののようなのに、白い壁にはひび一つ無く、赤い三角屋根が可愛らしい印象だ。正面から見て右側の奥には、タウンハウスにしてはかなりの広さがあるコンサバトリーが見えた。
生け垣はきっちりと切り揃えられており、周囲には季節の花が咲いている。腕の良い庭師がいるのだろう。小さく水の音が聞こえるのは、建物の裏に噴水があるのかもしれない。
ラファエルに手を引かれて屋敷に足を踏み入れると、玄関ホールには使用人が左右にずらりと並んでいた。
「おかえりなさいませ、ラファエル様。いらっしゃいませ、ミシェル様」
ラファエルがミシェルの手を離す。ミシェルは微笑んで、軽く膝を折って礼をした。
「はじめまして。ミシェル・ラシュレーと申します。これからよろしくお願いいたします」
こんなとき、オードラン伯爵家での勉強漬けだった日々にも意味があったのだと強く思う。
ミシェルの挨拶を受けて、列から一人の男性使用人が一歩前に出た。昨日会った、ダミアンという従者だ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。何かございましたら、誰にでも、気軽にお申し付けください」
「お気遣いありがとうございます」
ミシェルが礼を言うと、ラファエルが会話に入ってくる。
「明後日の式に向けて、衣装や段取りの支度もあるだろう。急ぎのものもあるだろうが、今日は最低限にしてあげてほしい。──ダミアン、部屋は」
「二階の客間でございます。ご案内いたしましょう」
ラファエルにエスコートをされ、階段を上る。左に曲がると、大きな扉が二枚並んでいた。
「左が私の部屋で、右が二日後からミシェル嬢の部屋だよ。それまでは客間を用意しているから、そこで過ごして。不便なことがあったら言ってね」
「ありがとうございます」
ミシェルは大きな扉をちらりと見る。
二枚の扉の近さからして、おそらく部屋の中にも扉があるのだろう。夫婦の部屋が繋がっているというのは、よくあることだ。
それを通り過ぎた三枚目の扉の前で、ラファエルが立ち止まった。
「──それで、今日はこっちの部屋」
軽く数回叩くと、中から女性の声がする。聞き覚えがある声に、ミシェルはゆっくりと開いていく扉から目を離せなかった。
「確認してほしいことというのは、彼女のことなんだ」
開いた扉から、奥にある寝台が見える。
直前まで寝ていたらしいその女性は、今は上体を起こして座っていた。怪我をしているのか、右側の頬にガーゼが当てられている。
焦げ茶色の癖のないまっすぐな髪が、背中に流れていた。
「──彼女がエマさんで間違いない?」
ラファエルの言葉が届いてすぐ、ミシェルは寝台に向かって走っていた。




