5章 ラファエルの事情
ラファエル視点です。
◇ ◇ ◇
「それでは、私はこれで失礼いたします」
ラファエルはミシェルが部屋を出ていってから、アルベールとフランシーヌといくつかの打ち合わせをして、侯爵邸を辞した。
ミシェルに睡眠導入剤を使ってもらうようにと頼んでおくことも忘れない。薬は、フェリエ公爵家お抱えの医師に用意させたものを届けてもらっている。
馬車に戻ると、ダミアンが難しい顔で書類と睨み合っていた。
「──急な対応を頼んですまなかったね。報告を頼むよ」
ラファエルがダミアンの向かい側に腰を下ろすと、馬車はフェリエ公爵邸へと走り出した。走っている最中の馬車は余程でなければ外に声が聞こえないため、密談をするには丁度良い。
「はい。ご命令通り、金貨三千枚は屋敷に用意させております。奥方様用の部屋は先に運び込まれていたクラリス様の私物を一旦別室に移し、整えさせました」
「森の方は」
ラファエルの質問に、ダミアンが表情を曇らせる。
「現在人を雇って捜索させておりますが、まだ見つかったという報告は入っておりません」
「そうか。……殿下に頼んで、騎士を何人か借りて捜索を広げよう。このまま王城に行く。先触れは──いらないかな」
「よろしいのですか?」
「ああ。彼等は、私が今日令嬢を連れて移動していたことを既に掴んでいるだろう。王城に行けば、話を聞かせろと勝手に出てくるに決まっているよ」
ラファエルはそう言って、背凭れに寄りかかって溜息を吐いた。ダミアンが天窓を開いて、御者に目的地の変更を告げている。
結婚式直前で婚約者に逃げられたラファエルを、幼馴染みである王子達は気にかけてくれていた。夜会で可愛らしい令嬢を見かければ、あれはどうだ、これはどうだと煩いくらいだ。
しかし心配されているのだと分かっているから、はっきりと文句も言い辛い。
そもそも、ラファエルは最初からクラリスと執事が恋仲だと知っていた。
ラファエルが納得できないのは、代わりの策を考えず、直前になって駆け落ちという手段を選ばれてしまったということだけだ。政略婚なのだから、婚約破棄となったら両親が困ることも分かっていた筈なのに、身勝手な行動をしたことだけが気に入らない。
ラファエルに一度はっきりと相談してくれていたら、一緒に穏便な解決策を考えることもできただろう。それなのに、いつからか避けられるばかりになっていた。
クラリスは、対外的には今は病気療養中ということにしている。
ラファエルのぼやきを聞いて、ダミアンがいくらか表情を和らげた。
ダミアンとラファエルは乳兄弟で、誰も見ていないところでは気安い仲だ。ダミアンの母も、今ではメイド長として、フェリエ公爵家で働いてくれている。
「殿下も心配してくださっているのですよ」
「それは分かっているけれど、やり方が良くないよ。──今日のことは、ミシェル嬢にとっては不本意だろうが……結果として、私は助かった」
今日、ラファエルは王都で一番高い塔に行く予定があった。
かつては見張台として使われていたその塔は、戦乱の時代を追えて役割を失った。観光地として無料で開放されているが、幽霊が出るという噂から、ほとんど寄りつく人はいない。
だから今日も、誰もいないだろうと思っていた。馬車の窓から見上げた塔の鋸壁に、女性の姿を見つけるまでは。
肝が冷えた。
下から見ただけでも、女性の身体の細さが分かった。
風に靡く柔らかな長髪を見て、強く煽られたら落ちてしまうと思った。
護衛すらも放って塔の上まで駆け上がったラファエルは、ミシェルがまさに今飛び降りようとしていると悟り、有無を言わさず引き寄せた。
代わりに落ちていった白薔薇の花が視界に入って、血の気が引いた。
「ミシェル嬢にとっても、悪いお話ではないと思います」
「そうなるように、頑張らなければね」
ラファエルはダミアンが持っていた書類を受け取った。
短時間で調べさせたミシェルの身辺調査書だ。細かい部分は不明で裏付けは取れていないが、先程のミシェル自身の話と照らし合わせれば、真偽は分かる。
「この内容は事実でしょうか」
「少なくとも、ミシェル嬢の話との食い違いはほとんどないようだよ」
ダミアンが顔を顰める。
短時間の報告では分からないことの方が多いが、それでも情報は情報だ。
六歳でバルテレミー伯爵家に行き、十三歳でオードラン伯爵家に戻ったこと。社交界デビューまで、一切社交の場に姿を見せていないこと。先日の夜会でのバルテレミー伯爵家の令嬢達による突然の断罪と、性急なアンドレ伯爵との縁談──その程度のことは書かれている。
バルテレミー伯爵家が豊かであった頃に使用人をしていた、今は子爵夫人になっている女性の証言によると、ミシェルは双子の令嬢達に虐待され、使用人達はミシェルに声をかけることを禁じられていたらしい。
糾弾するための証拠とするには証言が少な過ぎるが、ラファエルがミシェルを理解するには充分だ。自殺未遂をしたという事実がある以上、相応の辛いことがあったのは間違いない。
「ですがこれは、あまりにも──」
「酷い、かな。……これは、後で侯爵にも渡しておこう」
ラファエルは書類をダミアンに返し、目を伏せると、人差し指と中指を揃えて顳顬に当てた。何かを考えるときの癖だ。長い付き合いでそれを知っているダミアンは、ラファエルがこの仕草をすると静かに次の言葉を待っていてくれる。
指を離し、視線を戻す。
「ダミアン。君はこの後屋敷に戻ったら、金貨を持ってオードラン伯爵邸へ。公爵家の影を一人、伯爵につけて、金の動きを見張らせて」
「何かあるとお考えですか?」
「そうだね。いくら社交界で悪い評判を噂されたからといって、ミシェル嬢とアンドレ伯爵の縁談はかなり性急なものだ。きっと何か理由があるよ。それに──」
ラファエルはオードラン伯爵邸の様子を思い出した。
「最近持ち直したとはいえ、オードラン伯爵家は最近までかなり貧しかった筈だ。領地での収益があまり望めないことが原因ではあるんだけど。今の伯爵は、商売で利益を伸ばしていると聞くが」
目に付くところは綺麗に掃除され整えられていたが、裏も同じとは限らない。
「──少なくとも、玄関ホールに飾られている壺と絵画は、贋作だったよ」
ダミアンが息を呑む。
ラファエルが見間違える筈がない。その二つは、同じものがフェリエ公爵邸にあるのだから。
「本人が贋作商として動いているのか、贋作を利用して金をどこかに送ることが目的か、はたまたそれ以外に何かあるのかは分からないが、急に大金が必要になるような理由など、そうないだろう。ダミアンも彼に会って、人となりを見てきてほしい」
ラファエルはアランよりも高位の貴族だ。ラファエルには丁寧でも、使用人相手となると大きく態度を変えたり、口を滑らせる人間は多い。
「承りました。他に、何か必要なことはございますか?」
ダミアンが念を押して聞く。
ラファエルはダミアンとの会話を反芻して、漏れがないか確認する。
「ああ、そうだ」
ラファエルは言い忘れたことに気付いて、苦笑した。
「ミシェル嬢の部屋に、刃物は置かないように徹底して。ガラス製の食器を使うときは必ず侍女を部屋に置いて、割れたら必ず漏れなく欠片を集めるように、と」
「……心配性ですね」
「念の為だよ」
ラファエルの返事を聞いたダミアンが、主人の前であるにも拘らず、小さく溜息を吐いた。




