4章 アランによる断罪
それからの日々、ミシェルとエマはオードラン伯爵邸の内部を徹底的に調査した。
使用人の行動時間、警備の交代のタイミング、消灯する時間。アランの帰宅時間と、ナタリアの外出パターン。
家庭教師が来なくなった分、ミシェルの自由な時間が増えた。エマに使用人のお仕着せと古い眼鏡を借りたミシェルは、目立たないように屋敷の中を動き回った。
そして、逃亡できそうな警備の穴を見つけた。
夕方、アランの帰宅直前の時間の使用人用裏口だ。
雇っている警備員の交代の時間で、普段途中の通路で作業している料理人も厨房に入る。主立った使用人は迎えのために玄関前に集まる。
しかもアランの帰宅前なので、見つかる心配もない。
ナタリアが外出する日であれば、なお良い。
その全ての条件が揃う日が、輿入れの日の四日前にあたる火の曜日だった。
ミシェルは事前に渡された町娘風の服に黒いマントを羽織って、階段下の物置部屋でエマがやってくるのを待っていた。
手元には小さなランプが一つだけ。通気孔はあるが窓がないので、これが唯一の光源だ。
予定では、先にエマが通路に人がいないことを確認し、ミシェルを迎えに来ることになっている。ミシェルが見つかったら言い訳ができなくなってしまうからと、エマが言い出したことだった。
小さな扉の向こうで、がたがたと人が動いている物音がする。何かを運ぶ音も聞こえてきて、ミシェルはどきどきと高鳴る胸を押さえて息を詰めた。
「エマ、まだかしら……」
そのまましばらく待っていたが、エマがやって来る気配がない。時計を持っていないので時間は分からないが、一時間くらいは経っているような気がする。
予想外の事態が起きてしまったのかもしれないと、ミシェルは扉の向こうに耳を澄ませた。
「──静かだわ」
外からは、物音一つしなかった。
誰もいないのだろう。今ならば、様子を見に行くことができるかもしれない。
ミシェルは思いきって、外に出てみることにした。エマのことが心配だったのだ。
ゆっくりと扉に手を掛ける。横に押し開けようとぐいと動かして、ミシェルは扉がびくともしないことに愕然とした。
「どうして」
もう一度、今度は思いきってがたがたと動かしてみるが、やはり結果は同じだ。動かない扉に苛々して、両手を扉に叩きつける。
そして、二人の計画がアランに気付かれていたのだと思い知った。
ぎりぎりまで止めないことで、ミシェルの反抗心を削ぐことが目的だったのか。もしかしたら、エマとミシェルが見つけたと思っていた逃げ道も、アランに作られたものだったのかもしれない。
「そんな……エマは大丈夫なの!?」
ミシェルのために仕事を捨ててまで、ここから逃げようと言ってくれた。ミシェルの分まで不条理に憤ってくれた、大切な、たった一人の侍女。
作戦に気付いていたのだとしたら、アランがエマを放っておいてくれるとはとても思えなかった。
扉の向こうの様子を窺うが、人の気配はない。
外から扉が動かないようにされてしまえば、ミシェルが物置から出ることはできなくなってしまう。エマの様子を見に行くことも、万一のときに庇うことすらできないのだ。
ミシェルはへなへなとその場に頽れた。両手を祈りの形に組んで、ぐっと額を押し付ける。
神様。もしいるのなら、どうかエマだけでも助けて。
ぎゅうと瞑った瞼の奥は暗闇だ。
ミシェルはただ、祈ることしかできない自身を恨んだ。
「──起きなさい……お前、いつまで転がっているつもりだ」
いつの間にか気を失っていたようだ。
ぴしゃり、と顔に冷たい水がかけられた感覚で、ミシェルは意識を取り戻した。
窓から入ってくる明かりが眩しい。
ゆっくりと覚醒していく意識の中、ミシェルは自分が今床に転がされているのだと気付いた。赤い絨毯は、いつまでもミシェルに馴染まない自室のものだ。
「私──」
「起きたか。おはよう、ミシェル。良い朝だな」
ミシェルははっと上体を起こした。
ミシェルがいた場所は自室ではなく、階段下の物置だった。そこで、エマがやって来るのを待っていたのだ。
「エマは?」
顔を上げると、目の前には不気味な笑顔のアランがいる。
ミシェルを囲むように立っているのは、いつもアランの側にいる使用人達だ。ここまで、彼等がミシェルを運んできたのだろう。
ミシェルは一度目を閉じ、覚悟を決めてアランに話しかけた。
「お兄様。……私の侍女がいないのですが」
「許可なく口を開くなと、何度も言っているだろう。──まあいい。あの侍女なら、もうこの屋敷にはいない」
ミシェルは目を細めて、アランを睨め上げる。
「どういう、ことですか」
「あの侍女は誘拐未遂の罪を犯した。衛兵につき出しても良かったが、それでは私の気が済まなかったのでね。──森に捨ててこさせたよ」
どくん、と嫌な音がした。
ミシェルの頭が最悪の事態を受け入れまいと、痛みで抵抗を始める。
「そんな! エマは男爵家の令嬢です。そんなことをすれば、彼等も黙っては──」
「格上の貴族令嬢を誘拐しようとしたと言ったら、口を噤んだ。まあ、家族から犯罪者を出すくらいなら、これくらいの処分は軽いだろう」
「そんな……」
エマがミシェルを攫おうとしたのだと、アランは言っているのだ。ミシェルの意思ではないとすることで、エマと引き離そうとしたのだろう。
「予定通り、お前は三日後、アンドレ伯爵に嫁がせる。それまでこの部屋から出ることを禁じる」
ここから一番近い森は、王都の高い塀の外に広がっている森だ。家庭教師は、その森には恐ろしい野獣が棲んでいるから、近くを通らなければならないときには必ず街道を通り、かつ護衛を複数雇うこと、と言っていた。
そんなところに独りきりで、エマが無事な筈がない。
ミシェルは目の前が真っ暗になった。
絶望したミシェルを見て、アランがふんと満足げに鼻を鳴らす。
床に座ったままのミシェルをそのままに、アランと使用人達が部屋を出ていく。扉の外側から鍵を掛ける音が、いやに大きく聞こえた。




