3章 社交界デビュー
初めて近くで見る王城は、想像以上に大きく、きらきらしていた。
ミシェルはアランとナタリアの後に続いてオードラン伯爵家の馬車を降り、着飾った貴族達に混ざって門をくぐった。
前を歩くナタリアは、ストロベリーブロンドの髪をあえて後れ毛を残してシニョンに纏めている。どこか妖艶な雰囲気があるのは、紫のドレスのせいか、それとも隣を歩くアランに甘えるようにしならせている身体のせいか。
夜会会場になっている大広間は、入り口よりずっと先にある。歩いていくと、途中で年若い男女が並んでいる列があった。皆少し浮ついた雰囲気があるのは、今日がデビューの令息と令嬢ばかりだからだろう。
それを見て、アランが列の最後尾を手で指し示す。
「そこに並んで入場しなさい」
「分かりました」
ミシェルは二人から離れ、入場を待つデビュタントの列に混ざった。
エマから聞いた話によると、社交界デビューをする令息と令嬢はこの列に並び、コールマンに呼ばれたら一礼をして会場に入るらしい。名前を呼ばれることで、社交界の一員と認められるのだ。
扉の先には下りの階段があって、それを下りて最初のダンスパートナーの元に行く。
大抵の場合、両親か兄姉、または婚約者がデビュタントのパートナーとなる。ミシェルも、最初はアランと踊るようにと言われていた。
列に並ぶ令嬢達は既に顔見知りらしく、会話に花を咲かせている。他人との会話に慣れていないミシェルが割って入ることができるような雰囲気ではなかった。
そもそも友人というものを相手にどのような会話をすれば良いのか、ミシェルはよく知らない。
「……大丈夫かしら」
ミシェルは小さく呟いて、エマと打ち合わせた今日の作戦を確認する。
アランと最初のダンスを踊った後、そっと壁際から全体の様子を窺う。貴族の顔と名前は分からないが、王族だけは王族席があるから分かる。それを利用することにしていた。
王族の側にいる男性は、高位貴族に違いない。
王族席から離れたところを狙って、声をかけるのだ。そうすれば、あまり目立つことなく会話をすることができるだろう。
もし助けを求めることはできなくても、きっかけを作ることができれば、オードラン伯爵家に連絡をくれるかもしれない。そうすれば、アランも介入を断ることはできないだろう。そのためにも、伯爵家よりも上の家格の人間でなければいけない。
「昨日エマと考えた作戦……絶対に成功させるわ」
ミシェルはドレスの陰で、ぐっと拳を握り締めて気合いを入れた。
三十分くらい経った頃、列が動き始めた。デビュタントの入場が始まったのだ。
今日デビューするのはミシェルを含めて二十人ほどのようだ。開いた扉の向こうから、夜とは思えないほど明るい光が差し込んでくる。いくつものシャンデリアが、光を反射して照らしているのだ。
まるで街中の明かりが集められているかのようだった。
名前を呼ばれる度、会場の貴族達から暖かい拍手が贈られる。それは今日から大人の仲間入りをする若者に対する歓迎の意があるのだろう。
そして、ついにミシェルの番がやってきた。
「──ミシェル・オードラン伯爵令嬢!」
扉をくぐったミシェルは、微笑みを浮かべてそっと膝を折った。
ドレスを摘む指先まで優雅に、目は少しだけ伏せて、控えめに見えるように。必死で染み付かせた礼儀作法で、ミシェルは完璧な礼を披露する。
集まる視線を肌で感じて、呼吸が苦しい。
拍手の音が聞こえてようやく姿勢を元に戻したミシェルは、すぐにアランを見つけた。
見張るような視線に気付かない振りをして、ゆっくりと階段を下りる。少しずつ目だけを動かして、王族席の場所を探した。
王族席は階段の丁度正面にあたる位置にあった。少しだけ高くなった場所に、質の良い椅子が並んでいる。その周辺は一際華やかだ。
すぐに視線を戻して、ミシェルはアランの元までまっすぐに向かった。
「お兄様、お待たせいたしました」
軽く膝を折ると、アランが貴公子然と手を差し出す。その手に自分の手を重ねたミシェルは、強張りそうになる身体をぐっと堪えた。
アランと話すだけ、踊るだけで怖がっていては、これから何もできない。
「ああ。ナタリア、少し行ってくるよ」
「アラン、早くね。待っているわ」
ナタリアの冷たい視線に気付かない振りをして、ミシェルは会場の中央へと歩を進めた。周囲にはデビュタント達がそれぞれのパートナーと共に立っている。
最後の挨拶をした人がパートナーの手を取ったところで、楽団が音楽を奏で始めた。
「間違えずに踊りなさい」
「はい」
アランのエスコートはミシェルを気遣ってはいなかったが、手本のように正確だった。
今日まで身体に叩き込んだダンスは、緊張していても、慣れない人混みに気圧されていても、問題なく再現される。自分の足にぴったりとサイズが合った靴がこんなにも踊りやすいのだと、ミシェルは初めて知った。
白いドレスが広がって、ミシェルの髪と共にふわりと舞う。長さを活かしてエマがハーフアップに纏めてくれた髪が、シャンデリアの明かりを受けてきらきらと輝く。
細い首筋で輝く水色のガラス玉が、シャンデリアの明かりを反射している。
これまでどこの茶会にも参加したことがない、誰も見たことがない美しい令嬢として、ミシェルは会場の注目を一身に集めていた。
ダンスを終えたとき、アランが満足げに口角を上げた。
ミシェルがアランのこのような笑顔を見たのも、これが初めてだった。




