7章 確かめたい
風呂に入り遅めの昼食を済ませたミシェルは、エマ達と話をしているうちに眠くなってしまい、ラファエルの勧めもあり仮眠を取ることにした。
これまでの疲れが出たのも勿論だが、デジレ達料理人が帰宅を喜んで、腕によりを掛けた料理をたくさん出してくれたことも原因だとミシェルは思う。
エロワ子爵邸での食事はパトリックが作っていたため簡素なものであったし、何より変なものが入れられていないかと考えると食べるのも怖かった。
やっと帰宅した自邸だからと安心して食事をしたのだが、すっかり食べ過ぎてしまったようだ。
安心と満腹に導かれるままに眠ったミシェルが目を覚ましたのは、窓の外がすっかり暗くなり、使用人も皆眠ってしまった頃だった。
ミシェルは上体を起こし、まだ働かない頭をゆっくりと覚醒させていく。
「すっかり眠ってしまったわ。……今は何時かしら」
「夜中の一時だよ」
声は、同じ部屋からかけられた。
まさか返事があるとは思っていなかったミシェルは、慌てて声のした方を見る。そこではラファエルがテーブルに書類を広げて、何か作業をしていたようだ。テーブルの端に置かれたランプの明かりが揺れている。
ミシェルと目が合ったラファエルは、持っていたペンをテーブルに置いた。
「ラファエル様──」
「よく眠っていたから、起こさないでいたんだ」
「ごめんなさい」
「気にしないで。長旅で疲れていたんだよ」
ラファエルは構わないというように微笑んで、新しいグラスに水差しから水を入れて立ち上がると、ミシェルの側までやってくる。
ミシェルは差し出されたグラスを受け取って、一口飲んだ。
「……ありがとう」
「一応軽食も用意できるけれど、食べる?」
ラファエルの提案に、ミシェルは首を振る。
「いえ。もう、こんな時間ですし」
「そう」
ラファエルが寝台の端に腰掛けた。ぎしっと小さな音がして、そこに確かにラファエルがいることをミシェルは実感する。
あの地下で何度も夢に見た、目覚める度に消えてしまったラファエルではない。
自分から囮としてこの屋敷を出て行っておきながら、何とも情けないものだ。
ミシェルはそんな口にできない感動を内心に隠して首を傾げる。
「……ラファエル様は、何をしていたの?」
「王都を離れていた間の仕事を、ちょっとね」
ミシェルは視線をテーブルの上の書類に移した。改めて見ると決して少ない量ではないそれらに、ミシェルは小さく溜息を吐く。
止めたいが、ラファエルほどの人物が王都を離れて、仕事が滞らない筈がない。ましてラファエルはエロワ子爵領に行く直前までは意識不明だったのだ。
ミシェルでさえ明日からは留守中に溜まった仕事を片付けなければならないのだから、ラファエルの手元に仕事があるのは当然と言えた。
「……お疲れさま」
ミシェルが様々な感情を呑み込んで言うと、ラファエルが苦笑する。
「ああでも、ミシェルが寝直すなら、私も一緒に休もうかな」
「そうして。あまり無理をするものではないわ」
ラファエルが、ミシェルの手からグラスを受け取ってサイドテーブルに置く。レースの天蓋だけを下ろしたラファエルは、寝台に上がりミシェルの横に腰掛けた。
テーブルの上で灯されたままのランプの明かりが、こちら側を微かに照らしている。
真っ暗闇ではない、互いの表情が確認できる程度の明るさだ。
「──……ミシェル」
甘く名前を呼ばれて、ミシェルは顔を上げた。
互いの瞳に互いを求める色が浮かんでいることは、すぐに分かる。
近付く唇に、ミシェルはそっと目を閉じた。
触れ合う唇と、ゆっくりと身体を支えるように回された腕が、ミシェルをラファエルに閉じ込める。
繰り返される度に少しずつ深くなる口付けは甘くて、ミシェルは少しずつ溶けていく思考に身を預けたくなっていく。それでも、残る理性が僅かにミシェルを現実に繋ぎ止めた。
「ラファエル様……駄目よ、まだ身体が──」
公爵邸まで戻ってくる旅の途中で、公爵家お抱えの医師と合流した。医師はラファエルの無茶を叱ることもせず、ただ呆れて薬を処方していた。
今はもう頭痛は無くなったと聞いているが、まだラファエルの身体中には痣がある。たまに服の端から覗くそれらはもう包帯は必要ないほどまで回復したらしいが、それでも痛そうだ。
ミシェルの言葉に、ラファエルが嬉しそうに顔を緩める。
「ミシェルがいてくれるだけで、ずっと楽だよ」
またすぐ再開された口付けに、ミシェルはそんなはずがないだろうと目を細める。
そんなミシェルを寝台に横たえて、ラファエルはミシェルを見下ろした。
「それに……ここにいるって、確かめたいから」
その気持ちは、ミシェルも同じだ。
ラファエルがここに──ミシェルの側にいて、生きていることを全身で感じたい。重なる肌の温もり以上にそれを伝える術はないように思えた。
ミシェルはゆっくりと、ラファエルの背中に腕を回す。
「痛くはない?」
熱が籠もったラファエルの瞳が、甘く細められる。
「もっと強くても大丈夫だよ。だから──もっとミシェルに触れさせて」
ラファエルの手が、ミシェルの頬に触れる。大切な宝物に触れるように、その指先がゆっくりとミシェルの輪郭をなぞっていく。
ミシェルは精一杯の自分でラファエルに応えながら、今度こそ高まっていく互いの体温に身を預けた。




