7章 求めていた瞳
ラファエルはミシェルを近くにあった椅子に座らせた。
「──ラル、状況を教えて」
ラファエルが問うと、ラルは作業の手を止めないまま小さく溜息を吐いて見せた。
「はいはい。ご主人、俺のこと気付いてたんっすね」
「当然だよ。ラルがここにいなかったら怒るよ」
明らかに危険だということが分かる地下の、最もパトリックの思い入れが強い工房。そこにミシェルがいて、鍵が掛かっていない。つまりそれは、ミシェルはパトリックに閉じ込められたわけではなく、自らこの工房にやってきたのだということだ。
おそらくミシェルがパトリックを誘導して、連れてきてもらったに違いない。そんな危険な行動、ラルが同行していなければラファエルはとても許容できない。
まして今パトリックが意識を奪われ拘束されているのだから、何かミシェルの身に起こったに違いないのだ。
「いたから怒らないでくださいよ!?」
「──怒らないよ。ミシェルを守ってくれて、ありがとう」
ラファエルが素直に礼を言うと、ラルは照れた素振りをして、すぐにここまでのことを話し始めた。
工房での出来事を聞いたときにはラファエルは頭痛を覚えたが、ミシェルの前で痛み止めを飲むわけにもいかず、両目を閉じてやり過ごした。
「ミシェル、……とにかく、無事で良かった」
全て聞いた後にラファエルの口から出てきた言葉は、結果に安堵するものだった。
ラファエルは、いつだって必ず成功すると予測できる手段ばかりを採用してきた。今回のミシェルのように、わざと自分を差し出して相手の本拠地に潜入するような選択はまずしないだろう。
「心配させてしまったわよね……ごめんなさい」
それでも、ミシェルがラファエルに謝罪することは何も無い。
「私が何もできなかったからだよ。謝るのは私の方だ」
「そんなこと──」
ラファエルは座るミシェルに歩み寄り、細い肩にそっと両手を置いた。
俯いた顔は、ミシェルにしか見られることはない。だから、今はどんなに歪んだ表情をしていても大丈夫だ。
涙は流れない。
まだ、全てが解決したわけではないのだから。
「でも、どうかお願いだから……これからは自分を犠牲にするような方法を選ばないで」
ラファエルの懇願に、ミシェルが息を呑んだ音が聞こえた。
今すぐミシェルをこんな場所から連れ出して、家に帰ってしまいたい。閉じ込めたいわけではないが、せめて、久し振りに取り戻した最愛をずっと腕の中にしまっておきたくて仕方なかった。
そんな危険な思考を、ラルの声が遮ってくる。
「あっ! ご主人。ちょっとこれ見てくださいよ」
ラファエルは暴走しそうになった思考をすぐに打ち切って、ラルを振り返った。
「何か見つかった? あ、ミシェルはしばらく休んでいて良いよ」
「でも、私だけ……」
「今は身体も辛いだろう? 動けるようになったら、声を掛けて」
なにせミシェルは、『夢への誘い』を使われたばかりなのだ。
ダミアンも使われたらしいそれは、人体への影響こそ少ないものの、全く無いというわけでもない。再会したときのミシェルのふらつきはそのせいでもあったのだろう。
「分かったわ。ありがとう」
素直に頷いて目を伏せたミシェルの頭を軽く撫でて、ラファエルは室内の捜索に加わった。
何体も並ぶミシェルによく似た人形の瞳には、アクアマリンが填められている。しかし最初からアクアマリンではなかったのだろう。何種類もの宝石が瞳の形にカットされて、テーブルの上に散らばっていた。
人形を作ることに夢中で、片付けまで手が回らなかったように見える。
棚には様々な色合い、質の人毛が、束ねられて置いてある。床に落ちて散らばっているものもあった。人形を作るために集めたものに違いない。
棚には引き出しもついていた。
それを開けると、また青い宝石が出てくる。
そのうちの一つに、ラファエルは見覚えがあった。
「この宝石は、禁制品か?」
僅かに黄色が混じった、薄い水色の石だ。やはり瞳の形にカットされている。
年月のせいか保管状態のせいかすっかり退色してしまっているが、それはアダ・ラクリムという宝石に違いなかった。
トルロム国の地下洞深くからしか採掘されないその宝石は、小さな欠片まで全てトルロム国外への輸出を禁じられている。こんなネフティス王国の子爵の地下室から見つかるようなものではない。
「さっすがご主人。トルロム国の宝石まで詳しいんですね」
ラルの言葉を聞きながら、ラファエルは考える。
ずっと、パトリックとトルロム国の繋がりが不思議だった。
ジラール男爵はパトリックに自分を信頼するように語りかけたのかもしれないが、パトリックの性格からして、仮想敵国でもあるトルロム国の名前を出されて怯まない筈がない。
影を使わせてもらっていたなら余計に、その能力を恐れるに決まっているのだ。
もっと直接的に利になることがなければ、こんなに長期間の関係は成立しない。
「……子爵は、『瞳』を求めていたのかもしれないね」
取引の相手は誰でも構わなかったのだろう。
オードラン伯爵家に嫁いでから直接見ることができなくなってしまったエステルの瞳を思い出したくて、どうにかして手に入れたくて、必死だったのかもしれない。
社交界デビューしたミシェルを見て、きっとアクアマリンに辿り着いたのだ。
ラファエルはアダ・ラクリムが入った抽斗を最後まで引き出してみる。
かたんと音を立てて外れた抽斗の奥からは、とても人には見せられない類いの請求書が束になって見つかった。




