7章 アクアマリンの瞳
計画通りの時間に、それぞれから報告が届く。
ベノともう一人の影、そして周辺を調査させていた二人の騎士を連れ、ラファエルはエロワ子爵邸へと踏み込んだ。
屋敷の中には通いの使用人が二人いるだけだ。どちらも害が無い相手であることは既に調べが付いていた。
ラファエルは早速地下へと向かった。
玄関扉を抜けて、角を右に一回、左に一回曲がり、続き部屋の一番奥に行く。壁沿いにある本棚をずらすと、仕掛けが施されていたそれは途中からするりと軽く動き始めた。
現れた階段を下り、扉に取り付けられたダイヤルを操作する。事前に調べていたとおりに動かすと、かちりと何かが嵌まるような音がした。
「──開けるよ」
ラファエルが腰に提げた剣に片手を添えながら言うと、すぐに二人の騎士が頷く。
重厚な扉を開けると、どこかで鐘の音が鳴った。
もう戻れない。
ラファエルはしっかりと入り口の扉を閉めて、中に入った。
この扉が開けば、鐘の音がなると聞いている。ならばしっかり閉めてしまえば、万一ラファエル達以外の侵入者があってもすぐに気付くことができる。
「これは……すごいね」
そこに広がっていた光景は、言われなければ地下とはとても思えないものだった。報告では聞いていたが、窓枠のように見えるものは全て額縁で、そこに描かれているのは小麦畑だ。
徹底して写実的なその絵を見ても、ラファエルは何も感じない。ただ、趣味が悪い家主であると冷静に判断するだけだ。ただ、強い執着がそこにあることは分かる。
ラファエル達は手分けをして扉を開けていく。
パトリックかミシェルのどちらか片方だけでも、一刻も早く見つけ出したい。この地下に人が勝手に入ってきたことは気付かれているはずだ。
ラファエル達が間に合わずにミシェルの身が危険に晒されることだけは避けたかった。
「──工房か」
先に聞いていた報告通りの扉を見つけて、ラファエルは足を止めた。
パトリックは普段から工房に籠もっているという。その入り口には鍵が掛けられており、地下の中でも特に厳重に管理がされているらしい。
ラファエルは先にパトリックを捕らえようと、扉に手を掛ける。
鍵が掛かっていることを覚悟して押した扉は、ラファエルが覚悟していた抵抗もなくさらりと開いた。
その違和感に、胸騒ぎがした。
簡単に入れるはずのない工房の鍵が開けられたままなのは、パトリックが誰も入ってこないと思っているからだ。この地下にいるのは、パトリックとミシェルのみ。ならばミシェルもこの中にいるということだろう。
ラルが付いているから最悪の事態にはなっていないだろうが、身体は無事でも心もそうだとは限らない。
ラファエルは逸る気持ちを必死で抑えながら、影達と共に工房の中に入る。
絵の具の匂いが充満する室内にたくさん並べられている絵画は、全て廊下に飾ってあったものと同じ小麦畑だ。余程思い入れがあるのだろう。
パトリック本人に聞かなくてもそれがエステルとの思い出なのだろうと思える程度には、ラファエルはパトリックのことを理解していた。
「ここにはいない……なら、奥かな」
工房の奥には、もう一つ扉がある。
その先にこそパトリックに重要なものがあるのだろうということは分かっていた。
ラファエルはまっすぐに歩いて行き、扉に手を掛ける。思いきり開けると、そこにはたくさんのミシェルが並んでいた。
壁に沿って並んでいるそれらが人形であると気付くのにかかった時間は数秒のこと。
ラファエルはそれらの中にあって、唯一生命力を持って動いているミシェルの姿から目が離せなかった。
アクアマリン色の瞳が、部屋中に溢れている青い宝石のどれよりも澄んだ色でラファエルを見つめている。柔らかな茶色い髪は、触れたらきっとするりと逃げていくだろう。
簡単に思い通りにならない、誰より儚い美貌なのに、強く逞しいラファエルの唯一。
「ミシェル」
呼びかけた声は僅かに掠れ、焦りの色が滲む。
「──……あ……」
ミシェルの瞳が、音と共にきらりと光った。
ミシェルはふらつく足で、ラファエルに駆け寄ってくる。
ラファエルも今すぐミシェルを抱き締めたいが、このままでは転んでしまうかもしれない。ラファエルは慌てて両手を伸ばして、ミシェルの身体を抱き留めた。
縋り付くように、ラファエルの背中にミシェルの細い腕が回される。
「ミシェル」
「ラファエル様……!」
心臓をぎゅっと掴まれたかのように、胸が痛かった。この痛みはきっとどんな痛み止めを飲んでも決して解決しないだろう。
ラファエルも、この愛しい痛みならばいつまでも抱き締めていたい。
会いたかった。
その目が見たかった。
何より、無事な姿を確認したかった。
ミシェルの涙が、ラファエルのシャツに吸い込まれていく。
「無茶をして、ごめんなさい……!」
「無茶をさせて、すまなかった……!」
互いに口をついた謝罪の言葉に、そんな場合ではないというのに、ミシェルとラファエルは同時に小さく吹き出した。そんな小さなことでも、ミシェルが笑ってくれていることに、ラファエルは僅かに安堵する。
壊してしまわなくて、良かった。
ラファエルのいないところで壊されてしまわなくて、本当に良かった。
ラファエルはようやく取り戻した愛しい存在に温もりを分け与えるように、唇をそっと触れ合わせる。
ミシェルもラファエルを求めてくれている。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。




