6章 錆びた懐中時計
◇ ◇ ◇
同じ頃、王都のジラール男爵邸には、王宮の騎士達が捜査令状を持って訪問していた。
ジラール男爵は妻とはずっと昔に離縁しており、娘はオードラン伯爵家に嫁いでいる。今は男爵が一人で暮らしている屋敷だが、あえて当主が外出した時間を狙って訪ねたのには理由がある。
それは使用人達に考える間を与えずに屋敷を隅々まで調査するためだ。当然、ジラール男爵によって証拠を隠蔽されないようにするためでもある。
令状を手配したのは王太子フェリクスだ。もう一人の王子であるジェルヴェも、調査に動いているという話だった。
ジラール男爵邸に調査にやってきた騎士達は皆、男爵邸の調査とは思えないほどの緊張感で、その屋敷の門をくぐった。
「──しかし、見た目も中身も普通の屋敷といった感じだな」
「いや、殿下直々の調査依頼だから。何も無いわけないだろ」
ひそひそと話をする騎士達の言葉は誰にも聞こえていない。
突然の騎士達の来訪に、屋敷にいた使用人は困惑していた。彼等が冷静な思考ができるようになる前に、できるだけ調査を進めなければならない。
騎士達は使用人に訝しがられないように気をつけながらも、屋敷中を徹底的に調べていた。
捜査令状に書かれているのは、ナタリアの実家が元オードラン伯爵アランの犯罪に加担していないかを調査する、という内容だ。
だが、目的はそれではない。
騎士達はジラール男爵の屋敷中を捜索している。
探しているのはトルロム国由来の毒『貴婦人の枕』だ。
「あんな小さい瓶をここから探すって本気なんすか?」
「男爵は商人だ。隠し持っているんなら、在庫は一つ二つではないだろうよ」
捜索をしているうちに、年配の騎士が、屋敷の奥にある葡萄酒の保管庫に辿り着く。
ジラール男爵といえば、若い頃は酒好きで有名だった。中でも保管庫といえば、各地の銘酒が集まっており、ワインを楽しむためのサロンまで併設されていると聞いていた。
いつからジラール男爵のワイン談義を聞かなくなっただろうと騎士は考える。それはおそらく、もう十年以上は前のことだ。
古い鍵は簡単に開いた。
瞬間、ひやりとした空気が肌に触れる。
そこは今まで時間を止めていたように、さっぱりとしていた。
綺麗に並べられた葡萄酒の瓶。気に入りを樽ごと仕入れていたのか、大きな樽がいくつか置かれている。
その奥に、しっかりとした作りの扉があった。
きっとその先がサロンだろう。かつては商人達が語り合い、そこから生み出された製品すらもあったという場所だ。
騎士は僅かに憧れの気持ちを抱きながら、その扉を開けた。
埃の匂い。
そして僅かに、鼻に付く酒の匂い。
それ以上に強烈な、何かが腐ったような匂い。
騎士はその匂いを知っていた。すぐにポケットからハンカチを取り出し、鼻と口を覆って顔の後ろで結ぶ。
考えるよりも、行動する方が早かった。
「──……こんなもんがあるとは聞いてないですよ、殿下」
部屋の中央に置かれた1人掛けのソファに、一人分の服がへたりと転がっている。その中からは、黄ばんだ白いものが覗いていた。
そしてソファを中心に、こびり付くように広がった黒く歪な染み。
腐敗し、崩れた肉が体液と共に染み込んだのだと騎士には分かる。これまでに何度か目にしたことがある、白骨化した遺体だ。
騎士はまず、遺体の主を調べることにした。
別の騎士を1人呼んで監視を頼む。略式の祈りを捧げた後、騎士は遺体の指から調べ始めた。
服装からして貴族だ。
ならば身分証明ができる携帯品は、宝飾品かサロンのカード。
あちらこちらを探していた騎士は、やがて上着のポケットから錆びた銀の懐中時計を見つける。
傷付けないように取り上げて、錆を削りながら慎重に蓋を開いた。
「──ジラール男爵、だというのか……!?」
そこに刻まれた文字を見て、騎士は呻き声を上げ天を仰いだ。
◇ ◇ ◇
ジラール男爵が出入りした隙を狙って、ラファエルは影を一人地下に潜り込ませていた。その影と、ラルが交換した情報を手元で突き合わせる。
自ら囮としてこの場へやってきたミシェルは、自らの立場を理解して行動している。
間違いなく信頼できる味方の筈なのに、ラファエルはミシェルをずっと心配していた。こんなことは初めてで、その理由は分かっているからこそ理解したくない。
「ジラール男爵の足音……それは」
ラファエルは情報を手紙に書いて、すぐにフェリクスから借りた影に預けた。些細なことだが、重要な意味があるような気がしてならない。
同時に、ベノにエロワ子爵邸を訪ねたジラール男爵を追うように指示を出す。
「さて、何が出るか」
誰が尻尾を出すか楽しみだ、と思う反面、今すぐミシェルを助け出したいという欲求が顔を覗かせる。
その相反する感情は、やはりラファエルが処理することは難しかった。
ミシェルを信頼している。
事実を追及するためには現在の布陣が最も最適解だ。
最後に手元に残った影に領内を調査するよう指示を出して、ラファエルは油断をした瞬間ミシェルのことを考えてしまう思考を強制的に中断した。




