6章 客人の正体
「ああ。ですが、子爵が個人的に暗殺されるということでしたら、問題はありませんよ。お貸ししている影もご自由にお使いください」
男はそう言って、かつかつとステッキで床を叩いた。
パトリックはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開く。
「……そういうことですか。考えておきます」
「子爵は話が早くて良いですね」
「私にとっても、あの公爵は余計な存在ですから」
「そうでしたな」
パトリックと男は、それが当然であるように二人で笑っていた。
確かにミシェルに特別な執着を抱いているパトリックにとって、ラファエルは邪魔な存在だろう。しかし、この男は何故ラファエルが邪魔なのだろうか。
疑問に思いながらも、ラルは湧き上がる怒りを理性でぐっと押し込める。ここで怒りに任せて二人を殺すことはできるだろうが、それでは黒幕には辿り着けない。
ラルは地上にいる仲間が男の後を追ってくれると信じていた。
それから二人はしばらく会話をしていたが、やがて二人揃って立ち上がった。きっと、男が帰るのだろう。
ラルは少しでも男の特徴を探ろうと、廊下を歩く二人を観察する。
地下の廊下に、一人分の足音が響く。
男の首筋から、小さな赤い文様が覗いた。
「──……っ!?」
思わず乱れそうになった呼吸を慌てて両手で塞いで、ラルは物陰に隠れた。距離があったせいもあって、どうにか男には気付かれなかったようだ。
意識して気配を薄くしながら、さっき見た文様を思い出す。あれは間違いなく、アルグ教の洗礼を受けた者が入れる入れ墨だ。
そしてアルグ教は、トルロム国の国教でもある。
ラルはパトリック達が地下から出て行ったのを確認して、長い溜息を吐いた。
「あー……ご主人の予想、思いっきり当たったっすね」
国の問題になるかもしれないとラファエルは言っていた。
ラファエルを犯人がトルロム国の者と分かる手段で暗殺したら、戦争になる。何故なら、ラファエルは歴とした王位継承権の保持者なのだから。
◇ ◇ ◇
パトリックは客人が帰ってすぐにミシェルの部屋の鍵を開けた。
謝りながら部屋を出て行ったパトリックと入れ違いになるように、ラルがミシェルの部屋に入り込む。
ミシェルはすぐに立ち上がり、扉に鍵を掛けた。これでパトリックが入ってくるとしても、時間的余裕ができる。
「それで、ラル。分かったことを教えてくれる?」
ラルは軽く返事をして、ミシェルに見たものと聞いたものを報告していった。
ミシェルは時折質問を挟みながら、ラルの話を聞く。その話が来客の男性の容姿に至ったところで、ミシェルは口を開く。
心当たりは、ミシェルの記憶の中にあった。
「その人、多分ジラール男爵よ」
「ジラール男爵……って、ナタリアの父親っすか?」
アランの妻であった元オードラン伯爵夫人であるナタリアも、今は尋問のために牢の中だ。だが、その実家は対象となっていない。ナタリアの父親であるジラール男爵は自由な行動を許されている。
ミシェルはオードラン伯爵邸にあった肖像画を思い出した。アランとナタリアとジラール男爵が並んでいるものを、ミシェルは確かに見たことがある。
「そうよ。話を聞く限り、特徴は完全に一致しているわ。その入れ墨だけは、分からないけれど……」
直接見ていないので特定はできないが、それでもラルがミシェルに伝えた男性の容姿とジラール男爵には一致するところが多い。
商人であるということも一致していた。
「アルグ教はトルロム国の国教で聖地もトルロム国内にありますけど、トルロム国以外にも信者はいます。ジラール男爵もその一人だったかもしれないっすね」
ラルが何の気なしに言ったような言葉に、ミシェルは首を傾げた。
「……そうかしら?」
「どういうことっすか」
ミシェルは不思議に思いながら、話を続ける。
「ジラール男爵はナタリア様の父親よ。信心深いなんて、聞いたことがないわ」
ナタリアが特定の宗教を信仰している様子はなかった。
もしジラールが敬虔なアルグ教信者であったならば、ナタリアもそうなるのが自然ではないか。
貴族令嬢は、実家の中で育つ。
特に母親がいないナタリアは、父親の影響を色濃く受けるように思う。
ラルが首を傾げた。
「でも実際、後ろ姿に──……っ!?」
話し始めたラルが、息を呑んだ。
何かの事実に気が付いたのか、目を見張っている。
「ラル?」
問いかけたミシェルに、ラルが青い顔で答える。
「あの『ジラール男爵』、足音がしてなかったんです」
「足音が……?」
「はい。地下室の物の少ない廊下で、普通は足音が響くはずです。でもあのとき、足音は子爵のものしか聞こえませんでした」
ジラール男爵はステッキを持っていた。ならば、より音が響くはずだ。
それなのに足音がしなかった。
「『ジラール男爵』は、訓練された密偵かもしれません」
ラルが辿り着いた結論に、ミシェルも息を呑んだ。




