6章 取引
どうせ気になってしまうのならば、しっかり話の内容まで聞いてきた方が良い。
ラルが言うと、ミシェルはぱあっと瞳を輝かせた。
「流石だわ!」
両手を組んで、頬には僅かに朱が差している。
昨日の夜から今まで見ていて、初めての明るい表情だ。ラルはうっかりその表情に安堵して、慌てて気を引き締める。
主人であるラファエルも人間離れした美貌の持ち主だとは思うが、その妻であるミシェルも時代によっては傾国と言われたかもしれない。
「どうかしたかしら?」
「俺は、奥様には逆らわないと決めました。今決めました」
それでいて気が強くて、自尊心は低く、自ら行動しようとする。
惹かれたラファエルの気持ちは分かるが、こうして護衛対象になると守りにくくて困る。これならば、いっそ傲慢に命令してくる人間の方が楽かもしれない。
そんなところは、ラファエルもまたミシェルとよく似ている。
ラルはそういう人間を放っておけない性分なのかもしれない。
「……どういう意味かしら?」
「深い意味はないっす。──とにかく、絶対に、動かないでくださいよ」
万一ラルがいない間にミシェルが連れ出されてしまっては事だ。
この地下も安全とは言えないが、パトリックにだけ気を付けていれば命の保証はされている。万一黒幕の影に誘拐されるより、ずっとましだ。
「分かったわ。私が足を引っ張ったら意味がないものね」
ミシェルはしっかりと頷いて、右手で左の手首をぎゅっと握った。
小さな仕草から、ラルはそっと目を逸らす。
きっとミシェルは、ラルに見透かされることを嫌がるだろうと思うから。
来客がくるという時間の少し前に、パトリックがミシェルの部屋に来た。そのときを狙って、ラルはミシェルの部屋を出る。
パトリックはミシェルに謝罪し、外からしか掛けられないらしい鍵を掛けている。ミシェルには内側からも鍵を掛けるように伝えているから、きっとこれで安全だろう。
鍵を掛けられたミシェルには悪いが、ラルとしてはその方が安心できる。
パトリックは客人を応接間に通すつもりのようだ。
ラルは客人が影を連れてきた場合に備えて、最初に姿を確認した後は、念の為隣室から話を聞くことにした。
地上に繋がる扉を開けて、パトリックが外に出て行く。
すぐにまた扉が開いて、パトリックは一人の男性を連れて戻ってきた。
「今日はお時間をいただきありがとうございます」
「いいえいいえ。私の方こそ、子爵様のお望みの品物があれば良いのですが」
男性は貴族であり、商人のようだった。
貴族らしい服を着ているが、よく見れば動きやすいカットになっていることが分かる。ジャケットに付いている飾り紐は縫い付けられていて、激しい動きをしたとしても装飾が外れることはなさそうだ。
一見するとただの恰幅の良い貴族だが、それだけではない。ラルは男性からそんな印象を受けた。
男性は本当に一人で、影は連れてきていないようだ。ラルは気付かれないように身を隠して、先に応接間の隣室に移動した。
ここからならば、話もよく聞こえる。
「ではさっそく」
「今回も良い品を揃えてきてますよ」
小瓶をテーブルに置く音がする。
「これは前に買ったものと同じものですか?」
「そう。『貴婦人の枕』です。こちらは『夢への誘い』。お気に召していただいていますか?」
「ええ、とても。それぞれ一つ……いや、『夢への誘い』だけは二つ貰います」
「ありがとうございます」
ラルは半目になりながら、取引を聞いていた。
それもその筈、『夢への誘い』は嗅がせた人間の意識を強制的に眠らせ、意のままに操ることができるという薬だ。薬と言ってはいるが、実質毒のようなものだろう。
それを二つも。どう使うつもりなのかなど、聞かなくても想像できる。
そして『夢への誘い』もまた、トルロム国のハレムで使われているものだ。
互いに朗らかな声音で話しながらも、取引しているものはあまりに不穏だった。
パトリックが金を数えて男性に渡す。
それは毒なんて危険なものを取引しているにしては少ない額のようだ。ほとんど原価ではないだろうか。
「──何故フェリエ公爵の命をあの場で奪わなかったのですか」
言ったのは、パトリックの方だった。
ラルはそれに驚き、同時に納得もする。
ラファエルに付き纏っていた誰かの影は、それなりに能力の高い者のようだった。それなのに、ラファエルは大階段から落ちただけで生きている。
仕事を請け負った以上、完全に遂行することが基本だ。しかし、それを途中で放棄するのは、放棄することも指示のうちだったからに違いない。
「階段から落として死ななかった以上、王子の前で深追いすればこちらからの暗殺だと気付かれてしまうでしょう。主人は、まだ戦争にはしたくないと仰せです」
まだ戦争にはしたくない、という言葉から、この男の言う『主人』がどこかの国の重鎮なのだと分かる。
つまり、本当は大階段から落としてラファエルを殺すつもりだったのだ。確かに、あの大きな階段から落ちて石でできた床に叩き付けられて、無事でいることは奇跡だ。
そのすぐ後にはフェリクスがラファエルの側に来たから、もう手は出せなくなったということか。




