6章 客人の知らせ
そして翌朝。昨日と同じように、ミシェルはパトリックと朝食を食べていた。
今日の献立は、パンと焼いた卵とサラダだ。卵は初日に出されたものよりもふんわりと焼けているような気がする。
こうして二人で食事をするのも、そろそろ慣れてしまいそうだ。
正直楽しいものではないが、二人きりだと分かっているからか、ミシェルがここから逃げ出そうとする気配がないからか、パトリックはよく話した。
「今日の朝食はどうかな?」
聞かれて、ミシェルは微笑みを浮かべる。
「ええ、とても美味しいわ。子爵は料理の腕を上げたのではない?」
「君にそう言ってもらえると嬉しいよ。でも、いつまでもそんな他人行儀名呼び方をしないでほしいな。名前で呼んでくれるかな」
ミシェルは一瞬動きを止めた。
しかしすぐに、動揺を押し殺すように食事の手を動かす。
パトリックは、ミシェルに名前で呼ばれたいと言っている。元々ミシェルの父親として名乗り出てきたのに、おかしなことだと思った。父と呼べと言われるならば理解できる。しかし名前で呼べというのは、親密の方向が違うのではないか。
しかし、ここで抵抗してパトリックの機嫌を損ねるよりは、あえて話に乗って口を軽くさせた方が良い。
ミシェルは思いきって、顔を上げた。
まっすぐ正面に見据えたパトリックの目は、ミシェルのものに似た青だ。
「……パトリック様?」
「──……っ」
パトリックが息を呑み、ミシェルを見つめている。まるでその周りだけ時間が止まったかのように、指先一つすら動いていない。
ミシェルは僅かに身を引きつつ、微笑みの表情のまま首を傾げた。
「……私、何か間違えたかしら?」
瞬間、パトリックは忙しなく動き出した。止めていた手を動かし、グラスから水を飲み、更に軽く咽せている。
それでも僅かに紅潮した頬と満面の笑みだけで、パトリックが興奮するほど喜んでいることは分かった。
「いや、良いよ。良いよ! これからそう呼ぶようにしてね。いやー、嬉しいなあ!」
「それなら良かったわ」
肯定したが、正直少々ではない程度には気持ち悪い。
父であると主張していた筈の相手を名前で呼んで喜ばれる時点で気味が悪いし、何よりミシェルはパトリックに対してほんの少しも好意的な感情は抱いていないのだ。
ミシェルの冷えていく心に気付かず、パトリックは食事を再開した。
少しして、ミシェルが食事を終えて席を立つ。
食堂を出る前に、パトリックが突然ミシェルを呼び止めた。
「ああ、そうだ。今日はお客様が来るからね。君は自分の部屋から絶対に出ないように」
ミシェルは振り返って、首を傾げる。
「分かったわ。お客様って、どなたなの?」
「君には関係ないよ」
意外とこういったことには口を滑らせないようだ。
ミシェルはあえて興味がない素振りで頷いた。
「そう」
与えられている部屋までの廊下を歩きながら、ミシェルは口角が上がるのを堪えきれずにいた。
◇ ◇ ◇
ラルが食事を終えたミシェルの後を追って部屋に入ると、ミシェルがラルを呼んだ。
ラルはすぐにミシェルの前に姿を現す。
ミシェルは先程までの作り物の微笑みとは全く違う種類の笑みを浮かべて、口を開いた。
「ラル。これはチャンスよ」
ラルは小さく頷いた。
この地下にやってくる客というのは、余程パトリックが信頼している人物か、又はパトリックが逆らうことができない人物に決まっている。
地上にはラファエルが影達と共にいる。フェリエ公爵家の護衛達もいる。屋敷に訪ねてきた人間を確認するの程度は簡単だろう。
「工房の中はまだ分からないけれど、この地下にやってくるお客様というのはきっと黒幕かそれに繋がる相手に違いないわ。ラルなら探れるわよね?」
ミシェルも同じことを考えていたようだ。
上手くすれば、この訳の分からない軟禁生活を終わらせるきっかけになるに違いない。
ラルは探りに行こうと思いながらも、少し迷っていた。
「ええ。でも奥様を一人にするのは……」
この地下に、フェリエ公爵家の影はラルだけだ。ミシェルを一人にすることに不安がある。
しかしミシェルは首を傾げる。
「相手も影を連れているかしら……そうすると厄介?」
「そうっすよ」
客人も影を連れてくるならば、ミシェルが完全に安全であるとは言い難くなる。
しかし、気になるのも当然だ。
この地下に来て初めての客人。しかも、ミシェルには見られたくないか、又は相手にミシェルを見せたくない、ときている。
ミシェル自身もその危険は理解しているのだろう。
どうしようと目を伏せるミシェルに、ラルは溜息を吐いた。
このフェリエ公爵夫人であるミシェルという女性は、どうしようもなく見た目が繊細に整っている。まるで妖精のような女神のような見た目は、大抵の男であれば見蕩れてしまうであろうというほどだ。
それが物憂げに目を伏せると、罪悪感が刺激されるのは仕方がないことだ。
「──奥様。俺が部屋の外に出ている間、扉には鍵を掛けて、誰が来ても絶対に外に出ないでくださいよ。しっかり調べてきますから」




