5章 深夜の出会い
ミシェル視点です。
◇ ◇ ◇
ミシェルが目を覚ましたのは、時計が二を指している時間だった。
感覚からして深夜の二時と考えるのが妥当だ。
ミシェルはもう一度横になり、天井を見上げていた。
余計な音がしないのは、パトリックも眠っているからだろう。この地下の屋敷に軟禁されてから、ミシェルはパトリック以外の人間の姿を見ていない。
パトリック以外と会話をすることもないため、ずっと微笑みの仮面を被り続けている。こんな日々がずっと続いていたらおかしくなってしまいそうだ。
昨日は、フルールのケーキとマカロンが届けられて驚いた。
どちらもまず用意できるものではないと思っていたが、どちらも綺麗な状態だった。どうやらパトリックはこんなくだらないことにも影を使っているらしい。
もしかしたら、黒幕はパトリックを使い終えたら殺してしまうつもりなのかもしれないとミシェルは考えていた。
影を貸し出して危険なことをさせているのだから、何もなかったように戻れるはずがない。
「……ラファエル様、どうしていらっしゃるかしら」
大変な怪我をしていたが、意識は戻っただろうか。
ミシェルが最後に見たラファエルの寝顔は、決して顔色が良いとは言えなかった。
どうか無事目が覚めていてほしい。
そしてできるならば、ラファエルの指示で、フェリエ公爵家の影達がこの屋敷と地下室を調査できていたらもっと良い。
「──……ご主人なら、近くの宿で思いっきり俺達に指示出してますよ」
聞こえてきた密やかな声に、ミシェルは勢い良く上体を起こした。
夜の隙間から漏れ聞こえてくるような、そんな声だ。
この地下にはミシェルとパトリックしかいない。ミシェルをここに連れてきた使用人風の男性すら、初日以来姿を見ていない。
ならばこの声の主は。
ミシェルは声に期待の色を乗せて問いかける。
「誰かしら?」
「はじめまして、奥様。俺はラルっていいます。フェリエ公爵家の影っすね。ご主人に頼まれたんで、奥様のお側にしばらくいさせてもらいます」
いつの間にか、ミシェルの部屋には一人の男性がいた。
目立たない色の布を頭に巻いていて、髪の色は分からない。顔つきはいたって凡庸、どこに混じっても誰の印象にも残らないような雰囲気だ。
ミシェルは息を呑んだ。
この閉塞的な地下で、初めてミシェルとパトリック以外の人物に出会った。
「……ありがとう、ラル。よろしくね」
「それで、こんな夜中になって恐縮なんですが、奥様さえ良ければこのまま情報共有させてもらって良いっすか」
「勿論よ。昼間ではいつ声をかけられるか分からないもの」
ミシェルは側に置いていたショールを肩に掛けて、寝台の端に腰を下ろした。
「先に奥様からどうぞ。ここにいて、気になっていることはありますか?」
そう聞かれたら、言うことは決まっている。
「ラファエル様の容態は? 近くの宿にいると言っていたけれど」
ミシェルにとって、今最も気になるのはラファエルのことだ。
まだあれからそう日が経っていない。意識不明のまま何日も眠り続けるような怪我が、そう簡単に治るとも思えない。
どれだけ無茶をしているのか。
ミシェルの質問に、ラルは困ったように眉を寄せた。
「あー……ま、気になっちゃいますよね。多分身体は問題ないっす。痛み止め飲みまくってるんで、とりあえず何かあっても相手に遅れは取らない程度の動きはできると思いますよ」
「そんな……」
それは相当な無理をしていると言って良いだろう。
全身に怪我をしている状態で、王都を出てここまで来るだけでも大変だったに違いない。
ミシェルがここにいるから、ラファエルは自ら来てしまったのだろうか。
そんな無茶をしてほしかったかったわけではなかったのに。
「奥様の心配も尤もだとは思うっすけど、今はご自分の方がピンチっすからね? ご主人は動くなって言っても動きますから。こっちの作戦考えなきゃ駄目っすからね?」
「……そうね、分かったわ」
ミシェルは気を取り直して、今目の前にいるラルと改めて向き直った。
そうして、まず知るべき情報を考える。
「私が家を出たときに付いてきたのは貴方なの?」
「いいえ。奥様が屋敷を出たときには護衛が二人と影が二人付いていましたけど、この中に入ったのは影一人だけです。残りの三人は報告と周辺の調査のために外にいます。俺はご主人の指示で、中にいた奴と入れ替わりでこっちに来ました。だから、中の情報はご主人に伝わってますよ」
「ありがとう」
ミシェルが言うと、ラルが苦笑する。
「俺達こそ、奥様に感謝っすよ。この地下、入り口の扉を開けると鐘が鳴る仕掛けになってまして。誰かが扉を開けてくれないと、出入りできないんすよ」
「私に感謝って……?」
「──フルールのケーキとマカロン。今日、食べましたよね」
ミシェルはラルの言っていることに思い当たって、小さく頷いた。




