5章 毒の正体
研究所に寄って、夜勤に入っていた所長から毒の研究についての報告書を受け取る。同時に痛み止めの薬を束で受け取って、一つをその場で飲み込んだ。
やがて頭と身体の痛みは引いていき、違和感程度のものになる。
報告書を差し出してきた所長は、さっさと荷物を纏めるラファエルを見て困ったような顔をした。
目覚めてから、ラファエルは皆からこんな顔をされているような気がする。心配してくれる人がいるのはありがたいことだが、無言のうちに責められている気がするのは何故だろう。
「行かれるのですね」
「うん。急かしたのに報告を受け取るのが遅くなって済まないね」
「そんなことは良いんですよ。お怪我は──」
「うちの薬は、良く効くからね。大丈夫だよ」
この場所で作られた薬の効果は、他に類を見ないほどだ。
それは潤沢な研究費用があるからであり、同時に研究者達が熱心に研究開発をしているからである。
ラファエルは彼等にいつも支えられている。
「……お気を付けていってらっしゃいませ」
諦めたように言う所長は、ラファエルの行動を咎めることはない。
ただ痛み止めをポケットに雑に突っ込んだときには、思わずというように苦笑を漏らしていた。
途中馬を休ませながら走って、翌日、日が暮れる前にはエロワ子爵領に辿り着く。
ラファエルは領主館から少し離れた場所に宿を取り、馬を預けた。
領内は長閑で、領主が事件に関わっているとは誰も信じないだろうという雰囲気だ。
ラファエルは簡単に食事を済ませて、部屋に戻るとすぐに扉に鍵を掛けた。
「ラル」
「はいはーい」
ラルが天井裏から返事をする。ここは公爵家とは違い、どこからでも侵入できる。
すぐにラルはラファエルの前に姿を現した。
「長旅お疲れっす、ご主人」
「ラルもお疲れ様」
「いえいえ。それで、どうしました?」
ラファエルはここに来る前に研究施設で預かってきた報告書をテーブルの上に広げた。
報告書の中には、文字と記号がいっぱいに並んでいる。
「内容を確認するから、ラルが気付いたことがあったら教えて」
「分かりました」
ラファエルは早速報告書に目を通していった。
報告書に書かれているのは、アランが一人分だけ使用し、イヴォンヌが無理心中に利用し、ラファエルの紅茶に入れられた例の毒だ。
特徴的な小瓶に入れられていたそれは、この国にはこれまでなかったものだった。
報告書によると、原材料は『貴婦人の枕』と呼ばれる花の根だ。
「『貴婦人の枕』とは、凝った呼び名だね」
「そうっすか? 俺は趣味が悪いなとしか思えないですけど。流石はトルロム国の花って感じです。あそこのハレムは怖いですからね」
ラファエルはラルの話にはっと顔を上げた。
「──トルロム国?」
「『貴婦人の枕』って、トルロム国では人殺しの花の代表格って感じですよ。案外知られてないんですね」
「聞いたことが無いね……」
ラファエルは自分の知るトルロム国の情報を洗い出していく。
産業、特色、文化、王族。
そういった知識は出てくるものの、その国でよく使われる毒などといった知識はない。
「トルロム国のハレムって、王族一人に女性が大勢いるんですけど」
「うん、それは聞いているよ。有名な話だよね」
トルロム国の王族の男は、ほぼ皆がハレムと呼ばれる後宮を持っている。そこには妻とされた女が何人も暮らしているのだ。
美しさだけではなく様々な能力を持った妻達は、男を癒し、助け、ときには売買や譲渡されることもあるという。
後宮で最も王族に近い女は『正妃』とされ、それは貴族家の令嬢か、なんらかの理由で特別に寵愛を受けた女しかなれないのだとか。
「そのハレムで一番使われてる毒花ですよ、『貴婦人の枕』ってのは。薄紫の花は美しく愛らしい上、味に癖は無い。そして、割とどこにでもあるらしいとなったら、そりゃそんな場所で使われるのも納得ですよね」
「つまりこれは、トルロム国のハレムでは定番の毒で、ネフティス王国では使われていないだけってことだね」
「そうですよ。ほら、ここっす。ここ」
ラルが報告書を指差す。
そこに書かれていたのは、誰もが理解できる単純な理由だった。
──その花は、夏の気温が一定を超える地域でのみ育成可能である。一度根付くと、周辺に種を蒔き、翌年には一帯を花で埋めてしまう。
トルロム国の夏は暑い。
それは、ネフティス王国など比較にならないほどだ。
「夏場にここに書かれている気温を超える国は、この国の側にはトルロム国しかない。ハレムで使われる毒か……物騒だね」
「でも、これを使われるのはまだ良い方らしいっす。他にも色々な毒の逸話がありますが、中には身体中を掻きむしって血まみれになって死ぬような毒もあるって聞きますから」
ラルの話を聞いて、ラファエルは眉間に皺を寄せた。
それは一体どれだけの恨みが篭っているというのだろう。
「……碌でもないことだけは分かったよ」
ラファエルは一瞬自分ならばと想像をしかけて、すぐに止めた。
妻同士が殺し合うほど憎み合うような後宮で、癒されることなどできそうにない。
そもそも、ラファエルにはミシェル一人だけがいてくれれば良いのだ。




