5章 ラルの報告
「……何があったの?」
ラファエルは努めて冷静に聞いた。
いつもの微笑みの仮面を付けたところで、ラルに効果はない。それでも癖で勝手に微笑みの形を作る顔が、明らかに引き攣っているのが自分でも分かる。
ミシェルがエロワ子爵邸に乗り込んでいる。
それも、捜査が進まなかった部屋から通じる地下室に。
ラファエルが手を伸ばしたとしても届かない場所にミシェルがいる。それはなんと恐ろしいことだろう。そして恐怖心以上に、怒りが湧いてくる。
ただ寝ていることしかできず、ミシェルに無茶な行動をするような決断をさせてしまった自分自身。そんな情けない結果を許してしまった自分がどうしても許し難い。
ラルが片頬をひくりと動かした。
「ちょっ、ご主人! めっちゃ怖い顔になってますから! 落ち着きましょ? ね?」
「良いから続けて」
「ひぇ……はいはい。ご主人がダミアンに大階段から突き落とされた後、フェリクス殿下が気付いてすぐにご主人は殿下の私的スペースへと運ばれています。そこで王宮医師の診察を受け、眠ったままダミアンと共に家に帰されました。殿下は奥様に謝罪してました。奥様は、すごくショックを受けてましたね」
ラファエルが今生きているのは、フェリクスのお陰だろう。もし大階段を落ちた後で操られているダミアンと二人きりになっていたら、とどめを刺されていたに違いない。
ミシェルのことを考えると、胸が痛い。
様々なものをなくしてきたミシェルは、失うことに慣れてしまっている。それを悲しいと思っていたのに、ラファエル自身がミシェルにその恐怖を思い出させてしまうなんて。
「それから?」
「ご主人が着ていた服を片付けていた使用人が、犯人から奥様宛のカードを見つけました」
「カード?」
「今はヨナスが持ってますから、後で見せてもらってくださいよ」
ラファエルにはカードなど持っていた記憶はないから、大階段から落ちた後でおそらくダミアンに入れられたものだろう。
内容は、聞かなくてもなんとなく分かってしまう。だからこそ、ミシェルが今ここにいないのだ。
「奥様はそれを見て倒れて、明け方に自分の足で屋敷を出ました。大通りで正体不明の馬車が奥様を回収し、エロワ子爵邸へ。奥様は目隠しをされ、例の部屋から伸びる階段を下って地下室に連れて行かれたようです」
ミシェルはカードを見て、屋敷を出た。
ラファエルの怪我を自分が側にいるせいだと感じてしまったのだろう。
しかし、そうではない。
悪いのは犯人であり、ミシェルを手放すことができないラファエルだ。ミシェルに罪などあるわけもなく、このような事態を引き起こした責はただラファエルにある。
しかしラファエルはミシェルの意図に気付いてしまった。
ミシェル自身が自分を犠牲にしてでも、犯人を突き止めるようラファエル達を導こうとしてくれていることに。
何らかの事情でパトリックは影を使うことができている。エロワ子爵家にはそれほどの力はないから、誰かの影を借りているのだろう。
ダミアンを襲ったのは誰かの影だが、指示を出していたのはパトリック。ミシェルがパトリックの元にいることがその証拠だ。
ラルが話を続ける。
「そのとき、影が一人地下に入ることに成功しました。護衛二人は子爵邸付近で待機。来客と屋敷周辺の調査をしています。もう一人の影は王都との連絡用に使っていますが、エロワ子爵が地下から出てこないため、地下へは入れず、情報共有ができずにいるようです」
「地下から……出てこない?」
ラファエルはいつものように顳顬に触れようとして、そこに包帯があることを思い出す。代わりに腕を組み、首を傾げた。
出口が一か所だけならば、そこから人の出入りがなければおかしい。一般的な地下室であれば、少なくとも日に数度は出入りがある筈だ。
パトリックはミシェルこそ実の娘だと主張していた。
それは嘘であったのだが、一概に嘘とも言い切れない。エステルを強く望み続けた結果、嘘こそが真実であると思い込んだ可能性もある。
ならば、むやみにミシェルを傷付けることもないと思うのだが。
「はい。もう明日で丸二日になるので、流石にそろそろ出てくると思うんすけど。──それと、奥様が屋敷からいなくなってすぐ、ヨナスが飴を使ってダミアンを正気に戻しています。ダミアンとヨナスは屋敷を守りつつ、ご主人が寝込んだ後の王都の動きを追っています。報告は以上っす」
「そう」
ラファエルは反省した。ダミアンを自分の代わりに一人で行動させていたせいで、犯人に狙われてしまった。
真実を知ったダミアンもまた傷付いただろう。
「それで、どうするっすか」
ラルがラファエルに指示を仰ぐ。
ラファエルは暫し思考した。やらなければならないことはたくさんある。だからこそ、順番を間違える訳にはいかない。
「ヨナスからも話を聞いて、子爵領に行くよ。ああ、その前に殿下にお礼を言わないといけないな。ラルはしばらく私と行動を共にして」
フェリクスには直接確認したいこともある。
「了解っす」
ラルはしっかりと頷いて、姿を消した。
ラファエルはそれを確認して、窓を閉める。
ランプに明かりを灯せば、夜であっても行動に不便はない。ラファエルは夜着をばさりと脱いで、身体中に巻かれた包帯を邪魔で仕方がないというように雑に解いた。




