5章 夢と現実
※ラファエル視点です。
◇ ◇ ◇
夢を見ていた。
父が死に、母が死に、ひとりきりになる夢を。
「クリス。帰ってきてくれて嬉しいわ」
その愛は、恋した夫の死を受け入れられない。
父の愛称でラファエルを呼ぶ母は、ラファエルが帰宅するだけでそう言って微笑んでいた。
「貴方といられて幸せよ、クリス」
もしかしたら、心のどこかで違うと思っていたのかもしれない。
だからこそ、あんなにも繰り返し、繰り返し、名前を呼んでいたのかもしれない。
──ああ、起きなければ。
この夢は、ラファエルを縛る鎖だ。
ミシェルに愛を囁く度に、ラファエルの心には刺すような痛みが走っていた。
もしも自分が先に死んでしまったら、ミシェルは壊れずに生きてくれるのか。
もしもミシェルが先に死んでしまったら、自分はまたあの苦しみを味わうのか。
そのとき、いつか生まれる自分達の愛する我が子に、亡き相手を重ねてしまうことはないだろうか。
ラファエルが最後に聞いた母の声は、現実から逃れようとするか細い悲鳴だった。
──魘されていては、またミシェルを心配させてしまう。
ラファエルは恐ろしい。
自分の中に確かに存在する狂気が、残酷さが、いつかミシェルをも傷付けてしまうかもしれない。
そのときミシェルが変わらず側にいてくれるのか。
いつだって、自身の行動には不安がつきまとっていた。
だからこれまで、事態を収めるときにはミシェルの目に触れないようにしてきた。怖がられることがないように、細心の注意を払って、その場からミシェルを遠ざけてきた。
私怨がないといったら嘘になる。
ラファエルがフェリエ公爵として誰かを追い詰めるときの顔は、きっと酷く歪んでいるだろうから。
目を開けると、見慣れた景色が広がっていた。
そこが自室の寝台だと気付き身体を起こそうとして、ラファエルはそれがとても重く感じることに気付いた。おかしいと思いながら、もう一度、今度は両手をついてみる。
ようやく起き上がることができたが、代わりに身体中が痛かった。
中でも最も痛むのは頭だ。がんがんと何かに打ち付けられるような音が内側から響いているようだ。
窓の外は暗い。
今は夜なのだろう。
枕元に置かれていた水差しから水を飲み、寝台から抜け出す。
少しずつ身体を解しながら、ラファエルは現状を把握していく。はっきりとしてくる記憶は、あまり良いものではなかった。
最後に見た虚ろな表情のダミアンを思い出し、ラファエルは唇を噛んだ。
「……あれがこの怪我か」
夜着のまま鏡の前に立つと、身体のあちこちに包帯が巻かれている。骨が折れているほどの痛みはないから、これは打撲か擦り傷だろう。
「──いるかな?」
できるだけ音を立てずに窓を開け、小さな声で誰もいない空間に呼びかける。
今ならば姿を現してくれるだろう。
「はい。こちらに」
やってきたのは、燃えるような赤い髪を目立たない色の布で隠した男だ。
顔つきはいたって凡庸、髪の色を変えてしまえば、どこに混じっても誰の印象にも残らないだろう。
「ああ、ラルか」
「おはよっす、ご主人。今回はなかなかのお寝坊さんでしたね」
ラルはへらりと軽薄そうに笑って、姿勢を崩した。
ラファエルが自分に仕える影の中で最も扱いやすいのが、このラルという男だ。格式張った者達の中で最初から近い距離で話ができたこともあり、何かとものを頼みがちだった。
そんなラルがここにいる。それはラファエルに新たな気付きを与えた。
「何日経った?」
議会の日、ラファエルはラルに仕事を与えていた。
ここにいるということは、それが終わっているということだ。
「夜が明けたら、ご主人が倒れてちょうど五日ってとこです」
「ダミアンは?」
「ヨナスさんが全員に『飴』を使って戻してましたよ」
「……そうか」
特殊な薬を使って操られる者が出ている時点で、ラファエルはもっとダミアンにも警戒するべきだった。自分の代わりに側近であるダミアンをあちこちに行かせていた。
ダミアンの様子にもおかしなところはなかったから油断していた。
それほどに、薬は良くできたものだった。
飴として渡していた中和剤を全員に使ったということは、今この公爵邸内は安全だろう。他所の影も、この屋敷の中には忍び込めないような作りにしている。
「そんなことより、良いんすか。現状、けーっこうやばいことになってますよ」
ラルは両手を組んで頭上で伸ばす。
ラファエルはラルの行動を目で追いながら、不穏な言葉に眉を顰めた。
「確認する。報告を頼むよ」
「はいはーい。まず最優先で伝えておくのは、奥様がエロワ子爵邸に乗り込んでるってこと。地下の奥にいるみたいなんだけど、あそこ、中に入られると情報が一切入ってこなくて。付いていった影の一人とは、連絡が取れなくなってます」
ラファエルはその報告に驚愕し、目を見張った。




