4章 ミシェルの要求
「なんとなく分かる気がするわ」
「そうか! それは嬉しいよ」
パトリックはそこでその話を止めてしまった。
ミシェルは、今度は違う話をすることにする。元々パトリックは、ミシェルに自分こそが実の父親だと言って近付いてきたのだ。
それが事実かどうかは分からないが、オードラン伯爵家の執務室の隠し金庫から見つかった手紙の束は、パトリックがミシェルの父セルジュに向けて書いたものだった。少なくとも、パトリックはその頃からミシェルを知っている。
「私のこと、いつから知っていたの?」
「生まれたときから知っているよ。私の可憐な天使」
パトリックはまた笑顔になる。
ミシェルはパトリックという人間を掴みきれずにいた。
初対面の印象は、真面目そうだがどこか陰気そうな人物だった。それがここに来てからは、終始機嫌良く、むしろ子供のような純粋さすら感じさせる。そして何かへの強い執着が、このパトリックという男性の原動力となっているようだ。
「生まれたときから……? 母も私も、ほとんど家にいたと思うのだけど」
ミシェルはその人生のほとんどをオードラン伯爵邸かバルテレミー伯爵邸で過ごしている。外出を禁じられていたこともあって、屋敷の外の知り合いはフェリエ公爵家で過ごすようになってからしか作れていない。
そんなミシェルを見ようと思ったら、屋敷に忍び込む以外の方法はないのだ。
そんな動揺をわざと声に乗せてみせる。これまで微笑んでいたミシェルが不安を覗かせたら、パトリックはどう反応するだろう。
ミシェルの予想通り、パトリックはすぐにぱたぱたと手を振った。
どうやら、ミシェルを悲しませるつもりはないらしい。
「ああ、怖がらないで。違うよ。覗いていた訳ではないから」
「でも……私、ずっとお屋敷の中にいたのよ。見る方法なんて、あるわけないわ」
ミシェルは伏し目がちにぽつりと言って見せる。カトラリーをテーブルの上に戻し、唇を噛んだ。
パトリックは分かりやすく慌てている。
「ああ、不安にさせたよね。ごめんね。そういうのは、専門の人達がいるんだ」
「……専門の人達?」
それならば、ミシェルにも心当たりがある。ラファエルが使っているし、ミシェルも以前一度助けてもらったこともある。
影と呼ばれる、隠密行動を主にしている者達だ。
「そう。私の友人の友人がね、その人達を使って良いと言ってくれて。君に苦しいことが無いか、見張ってたんだ」
これだ。
パトリックの友人の友人、という人物。それこそが影を使うことができるほどの高貴な人物ということで間違いない。
しかし影は、普通は認めた主人の言うことしか聞かない筈だ。パトリックがその主人ではない以上、他に何らかの命令を受けていて、その一環としてパトリックの言うことも聞いていたと考えるのが無難だろう。
ならば、パトリックも利用されていて、ミシェルがここにいることも彼等にとっては目的を達成するための手段なのかもしれない。
「そんな人達がいるのね。なんだか怖いわ」
「大丈夫! この地下室には誰も入らないよう言い聞かせているからね。ここにいる限り、心配することはないよ」
ここにいる限り、ということは、やはりパトリックはこの地下からミシェルを出すつもりはないのだ。
「……そう、よね。でもそんな専門の人を使えるような友人って、恐ろしい人なのではない?」
普通に考えれば、侯爵家以上でかつ力のある貴族か、王族の誰かだ。
何か強い執着を持っているパトリック。その『何か』を知っていれば、さぞかし操りやすい人間になるだろう。
「私は直接会っていないけれど、良い人だから安心してね。君を取り返すためにって、今回も色々協力してもらったんだ」
「協力……」
パトリックが執着しているものを、ミシェルはまだよく知らない。
ミシェルを手元に置きたいと思っていたようだが、それが執着かと聞かれると違うような気もする。執着とはもっと──
「少し話しすぎたね。とにかく、君はそんなことは気にしないで。そうだ! 好きな菓子とかあれば用意するよ」
ミシェルが思考に沈んでしまったことを察したのか、パトリックはわざとらしく話を変えた。
ここで今無理に情報を追いかけても、警戒されるだけだろう。ミシェルはパトリックの話に乗ることにした。
「──そうね。フルールのケーキは好きよ。マカロンも紅茶に合って美味しいわ」
フルールというのは、最近王都で流行のパティスリーである。行列は当然、もはやそれすら楽しみの一つだというほどの人気であると、最近の夜会で令嬢達から聞いたばかりだ。
マカロンは繊細な菓子だから、馬車で運んでいたら揺れて割れてしまうだろう。いくらパトリックといえど、この地下室でマカロンを作ることができる筈もない。
それでもあえて無茶を言ったのは、どこまでのものがミシェルのために用意されるのか試してみようと思ったからだ。
パトリック自身が用意できる筈がない。ならば、動くのは使用人か影に決まっている。影の行動は、本来の主人の意思が反映されるだろう。
ミシェルは少しずつ、黒幕の正体を手繰り寄せようとしていた。




