4章 飴
溜息を吐いて、これからのことを考える。
ミシェルにできることは、できるだけパトリックから多くの情報を引き出すことだ。できればパトリックの裏にいる黒幕も知りたいが、それはミシェル自身が知らなくてもどうにかなる。
ミシェルがフェリエ公爵邸を一人で出たことで、見えるところに護衛はついてきていない。しかし、きっと、影ならば別だ。
公爵家の影はミシェルの後を付いてきている。
だって、ラファエルが怪我をすることになった原因の一つは、ミシェルに付ける影と護衛を増やしたためだったのだから。
「……私を救ってくれたのは、ラファエル様よ」
さっき、パトリックには言えなかった言葉をそっと呟く。
微笑みの仮面でどんなに本心を覆い隠しても、心が傷付くことは避けられない。しかし同時に、口からどんなに嘘を吐いても、想いが揺らぐことは無い。
だから、ミシェルはいつだって強くラファエルを想っていれば良い。
「貴方なんかではないわ」
目を閉じ、溜息を零す。
昨日の宿ではあまり眠れなかった。どうせミシェルは今日からこの地下室で生活させられることになるのだろうから、できるならば少しでも眠っておくべきだ。
きっと、次の呼び出しは夕食時だ。それならば、まだ時間はある。
ミシェルは毛布を引き寄せ包まった。敵陣の中の筈なのに妙に落ち着く部屋の中で、ミシェルはすぐに浅い眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
ミシェルにとって運が良かったことは、書き残した手紙を最初に見つけたのがララであったことだった。
ララはすぐ執事頭であるヨナスに知らせた。
ヨナスはそれを聞いて、屋敷に残っている護衛の数を確認した。減っている護衛は二人、どちらも手練れである。ミシェルの外出に気付いて後を追ったのだろう。
ラファエルはミシェルに影を付けると言っていた。ヨナスには影に指示を出すことはできないが、最悪の事態は防げると考えて良い。
「奥様……流石に無茶をしすぎでございます」
ヨナスはラファエルの怪我を知ってからのミシェルを思い出していた。
あの儚く美しいこの屋敷の女主人は、ヨナスが思っていた以上に芯が強い女性だった。更に、ラファエルのことを心から愛していたらしい。
ラファエルの側で目覚めてほしいと祈る姿は、ヨナスにも思うところがあった。
現状を整理したヨナスは、ラファエルから受けていた指示通りに行動する。
すぐに屋敷の使用人を全員大広間に集め、一列に並ばせた。そして、一人ずつに特別な飴を支給していく。
「美味しいものではありませんが、身体に害はありません。ですので、私の前で口に入れてください」
変な指示をされて意味の分からない者が多かったようだが、ヨナスにはこれまでに積み重ねてきた信頼がある。皆、指示通りに飴を口に入れていった。
全員が飴を舐め終えたところで、ヨナスはダミアンを別室に呼びだした。
残りの者には普段通りの仕事に戻るよう指示を出しておく。こういうときは、フェリエ公爵邸が普段通りであることをあえて外に見せつけておくべきだ。足を引っ張りたい者も、取り入りたいと思っている者も、いくらでもいるのだから。
ヨナスと二人きりになったダミアンは、すぐにこれ以上はないというほど深く腰を折った。
「本当に申し訳ございません……!」
声が掠れ、身体は僅かに震えている。
ダミアンは普段最もラファエルの側にいる。あまり多くの侍従を執務室に入れることを嫌うラファエルは、だからこそダミアンを深く信頼していた。
そのダミアンならば、あの飴の正体が分かるのも当然だった。
ダミアンを呼んだのは、飴を舐めさせた中で唯一反応がおかしかったからである。
あの飴は、公爵家の者が持っている中和剤を加工したものだ。非常時のために保管していたものである。
だからそれが何なのか、あの場で正体を明かすことはできなかった。
皆が何の理由があるのか分からないと苦さに顔を顰める中、ダミアンだけはその飴を舐めて驚愕と言って良いほどに表情を崩したのだ。
「──ダミアン、身体におかしなところはありますか?」
ヨナスの問いに、ダミアンはぎゅうと強く目を瞑った。
「──……っ、昨日の午前から今までの記憶がありません」
それは、ラファエルが階段から突き落とされる前である。
「最後の記憶は」
「議会の前に、書類を各部署に戻して回っていました。騎士団の詰め所に顔を出した後、城の中に戻る前……だと思います」
「外ならば、襲撃は可能ですね」
ヨナスはそう言って、沈黙する。
ラファエルはここ最近、何度も暗殺者を仕向けられていた。中には特殊な薬で操られた一般人もいたという。
相手が王宮内部に潜入できるのであれば、ダミアンを狙うのは最も筋が通っている。
「……本当に申し訳ございません」
ダミアンはそれ以外に発する言葉が無いというように、一度も頭を上げずにいる。現状が分からないながら、意識が戻った瞬間の異様な様子に、何かが起きていることだけは気付いているようだった。




