4章 ドールハウス
その日の夜は宿に一泊した。
宿は広く綺麗なところで、ミシェルには侍女も付けられた。しかしやはりというべきか、部屋の外にも護衛という名の見張りが置かれていて、外出は許されていない。
翌朝、用意されていたドレスに着替えて身支度をするとまた馬車に乗る。
目的地らしき場所に到着した頃には、カーテンの隙間から差し込む光も大分弱まり、止んでいた雨がまた降り始めていた。
これまでの速さが嘘のように馬車がゆっくりと停まる。
降りるのかしら、と腰を浮かせ掛けたミシェルを、男性が制止した。
「──それでは、一度こちらを失礼させていただきます」
その手には、明らかに目隠しの意図で作られたらしい黒い布がある。
ミシェルは不安を微笑みに隠して首を傾げた。
「手荒なことはしないのではなかったの?」
目隠しをするのは手荒なことに当たるのではないのか、という批判に、男性は座ったまま優雅に一礼する。
「必要なことでございますゆえ」
「はぁ。仕方ないわ」
ミシェルはわざとらしく溜息を吐いて、椅子に座り直した。
途中の宿には専用の馬車止めがあって、周囲の景色は見えないようになっていた。宿の人間と会話をする機会も意図的に全て潰され、ミシェルに許されたのはただ部屋で休むことのみ。
ここでは馬車を降りる前に目隠しをされるのだ。
つまり、この男性の主人らしき男は、そうまでしてミシェルに目的地を知られたくは無いということか。
目隠しをされたミシェルはそれでも男性のエスコートで自分の足で歩くことを選んだ。これで担いで運ばれたら、それこそ誘拐だ。
馬車を降りてまっすぐに歩くと、すぐに玄関扉がある。そこから角を右に一回、左に一回曲がって、扉を二枚抜けた。何やら物を大きくずらすような音がして、階段を下る。おそらく地下の隠し部屋だろう。
更にその奥でダイヤルを操作して、重そうな扉が開く音がする。
先へ進んで少ししたところで、背後の扉が閉まる大きな音が響いた。
そこで、ようやく目隠しが解かれる。
男性もミシェルを拘束する意図は無いのか、使用人らしく部屋の端に控えた。
「ここは……」
目の前に広がる景色に、ミシェルは目を見張った。
そこは、綺麗な応接間といった空間だった。
地下室という雰囲気では無い。窓があり、カーテンも掛かっている。
窓から広がる景色は、一面の小麦畑だ。遠くの方には風車もある。しかしそれらはよく見れば全く動かず、そこでようやくそれが写実的に描かれた絵画なのだと気付く。
上品な紺青の絨毯と、それによく合う明るい色の家具。
レースのクロスが掛かったテーブルの上には、銀のトレイに載せられてピンクの薔薇の花が描かれたティーセットが置かれている。
完璧に作られた空間は、まるで子供が遊ぶドールハウスのようだ。
奥の扉が開いて、満面の笑みを浮かべた男性が入ってくる。
「やあ、ようこそミシェル嬢! 誘いに答えてくれて嬉しいよ」
ミシェルはやはりと思いながらも、微笑みの仮面を被って優雅に一礼した。
「……こんにちは、エロワ子爵。貴方がラファエル様を傷付けた犯人なのかしら?」
パトリック・エロワ子爵。
ミシェルの母エステルの従弟で、ミシェルの父親かもしれないという人物だ。ならばここは、子爵領の領主館だろうか。
ミシェルの直接的な問いに、子爵は慌てた様子で首を振る。
「ああ、誤解しないで。私はそんなことをしていないよ。そんな怖い顔をしたら、せっかくの美人が台無しだ」
本人の言葉を信じるならば、ラファエルを傷付けたのはパトリックではない。
実際、子爵家に影を使いこなすほどの能力があるとは思えないし、商業には手を出さず以前から堅実に領地の名産の小麦を加工し販売している家に、あんな珍しい毒を手に入れるような力があるとも思えない。
そもそもしっかり護衛されている公爵家当主の命を狙うなんて、気持ちがあっても子爵家当主だけでは無理だろう。
ならば、共犯関係にあるか、作戦を一部共有しているのか。
それは今すぐ知ることはできそうになかった。
「それで、わざわざこんな方法で呼び寄せて、どういうおつもりですの?」
もっと温和な方法がいくらでもあっただろう。
ミシェルがまっすぐにパトリックの目を見据えていると、パトリックは何故か頬を染めて目を伏せた。
どういうことかと訝しむミシェルに考える隙を与えないというように、パトリックが口を開く。
「あ……ああ! 紅茶を用意しているんだ。今淹れるから飲んで」
パトリックがティーポットに手を伸ばす。
ミシェルは首を横に振った。
「何が入っているか分からないもの、飲む気になれませんわ」
「……君ならそう言うと思ったよ。ならすまないけれど、淹れてくれるかい?」
ミシェルは仕方が無いと頷いた。
少なくとも、今パトリックの機嫌を損ねるのは得策では無い。
ティーセットが乗ったトレイを持って、部屋の端にパーテーションで隠されている小さなキッチンのような空間に向かう。
そこには水道も暖炉も用意されていて、湯を温める鍋まであった。
蛇口を捻ると、透明な水が出てくる。試しに一口飲んでみたが、何の変哲も無い普通の水だった。
トレイの上に用意された茶葉は、未開封の物。
「そこの棚の中に、他の茶葉もあるからね。好きに選んで構わないよ」
言われて横にある大きな棚を開けてみると、何種類もの茶葉と品の良い食器が並んでいた。茶葉は全て未開封だ。
ミシェルは驚きつつも、トレイの上の茶葉を開けることにした。
念の為、鍋とティーセットも一度丁寧に洗ってから、湯を沸かして紅茶を淹れる。バルテレミー伯爵家では使用人のようなことをしていたため、問題なく淹れることができた。
戻ってテーブルに用意した紅茶を置くと、パトリックはミシェルに律儀に礼を言って、座るように言った。
「もう一度君とゆっくり話をしたかっただけなんだよ。あの男がいると、君と話すこともできないからね」
まるで自分が被害者であるように、パトリックは眉を下げた。




