3章 暗転
結果自体は、予想していた。
パトリック・エロワ子爵はミシェルの父親ではない。
ミシェルの父親は先々代オードラン伯爵セルジュである。
ミシェルの母エステルがパトリックとそういった関係になったという事実もない。
「──ミシェルには出かけてもらって、子爵には私だけで会うよ」
そんな嘘を吐いてまで長い間ミシェルを求めるパトリックが、まともな人物である筈がないとラファエルは確信していた。
まして届いた調査書に書かれていた警備が厳重な部屋の中身について聞いてしまえば、余計にそう思わずにはいられなかった。趣味と言ってしまうことはできるだろうが、それにしてはのめり込みすぎているだろう。
部屋の中について細かく調べることはできていないとのことだが、報告書通りの警備がされているのであればそれも仕方がないことだった。
今日帰宅したら、ミシェルにも調査結果を見せて、話をしなければならない。
ラファエルは小さく溜息を吐いた。
いっそパトリックがラファエルを殺そうとしているのならば、もっと簡単な話なのに。明らかにパトリックの力を超えた暗殺が続いてなければ、真っ先に主犯だと疑っただろう。
ときおりすれ違う官吏や貴族に警戒しながら、廊下を歩く。大階段を下りて舗装された道をまっすぐに行けば議会場だ。
ラファエルの少し後ろを、ダミアンが歩いていた。
人が増えてきたため会話はない。今話したいことは、他人に聞かれたら困ることしかないからだ。
ラファエルは内心で苦笑して、大階段を下り始めた。
そのとき。
どん、と強く背中を押された。
ラファエルの背後にいるのは、ダミアンだけだ。
「──……!?」
ラファエルの足が、階段から離れる。
振り返ってダミアンの姿を確認すると、呆然とした様子でその場に立ち尽くしていた。
ダミアンにしか、できなかった筈だ。
それなのにその表情はどこか他人事のよう。
特殊な薬を使って操られた近衛騎士がラファエルに斬りかかってきたときと同じ表情だ。
まさか、いつの間に──そう考えるが、ラファエルが執務室に籠もっている分、ダミアンが一人で出歩く機会は増えていた。それだけ、狙いやすかったのだろう。
ラファエルより体術に優れた人間で、仕事中誰よりもラファエルの側にいる者。
操れれば、最高の駒になってくれることだろう。
大階段はさすがそう呼ばれるだけ大きく、王宮の一階から三階までをまっすぐに繋いでいる。ここは三階と二階の間で、下は絨毯こそ敷いてあるものの、大理石の床だ。
どうにか最低限の受け身を取ったものの、階段を転がり落ちて全身を強い衝撃に襲われたラファエルの意識は、すぐに闇の中に落ちていった。
◇ ◇ ◇
ラファエルが大階段から落ちて意識不明になった。
その知らせを聞いたミシェルは、気を失ってしまいそうな衝撃に耐えながら問い返した。
「──……ラファエル様が? それは、間違いないの?」
伝えに来たのは高齢の使用人頭だ。
普段は屋敷との官吏と領政の補佐のために忙しく、あまりミシェルと長く会話をすることがない使用人頭は、厳しい顔で頷いた。
「はい。王宮から使いが来まして、そのように。王太子殿下が匿って治療をされているとのことで、済み次第安全を確保してこちらまで送ってくださるそうです」
ミシェルは使用人頭が差し出した手紙を受け取った。そこには、王太子であるフェリクスのサインが記されている。
便箋を取り出すと、たった今聞いた内容がほぼそのまま書かれていた。
そこに並ぶ文字は、焦っていることが一目で分かるほど乱れている。フェリクスとラファエルは幼馴染でもあるそうだから、きっととても心配しているのだろう。
「そう……分かったわ」
側に控えているエマも、話を聞いて動揺しているようだ。見るからに顔色が悪い。
ミシェルは震えそうになる身体を叱咤し、背筋を伸ばした。
ラファエルがいない今、ミシェルがしっかりしなければならないのだ。
「ラファエル様の寝室を整えて、こちらでも医師の手配を。普段から看てくださっている方の意見も聞くべきですから」
意識不明って、どういうこと?
大階段から落ちたって、身体は大丈夫なの?
心の中に、不安ばかりが広がっていく。
それでも今指示を出せるのは、女主人であるミシェルだけ。
ミシェルの気持ちを汲んでくれたのか、使用人頭はすぐに頭を下げた。
「かしこまりました。……旦那様がお戻りになりましたら、すぐにお知らせいたします」
「お願いね」
使用人頭が部屋を出て行く。
ミシェルは完全に扉が閉まるのを待って、ついにその場にぺたりと座り込んだ。
もう、立っていることはできなかった。
さっきまではどうにか堪えていた身体の震えがまた襲ってくる。
大階段ならミシェルも知っている。以前夜会に行ったときに見た。天井画の美しいホールと、大きく綺麗な一直線の階段が印象的だった。
あのホールの床は、確か石材ではなかったか。
落ちてしまったならば、とても無傷とはいかないだろう。
これがただの事故でなければ、ラファエルは、命を狙われているのかもしれない。
ミシェルは思いついてしまったそのことに、はっと目を見開いた。




