3章 ラファエルの頼み
そしてそれから一週間、ラファエルは怪我をすることなく乗り切った。
というのも、ラファエルを狙うことができるのはフェリエ公爵邸から執務室までの道中か、王宮の廊下、そして以前から予定していた視察中程度しかない。
この一週間、ラファエルは執務室の窓を閉め切り、扉には鍵を掛け、外部への視察を延期した。そして狙われる機会を極力排除したのだ。
右手の傷も、もう包帯を取っても構わないほどになっている。それでもなお軽く包帯を巻くようにしているのは、ミシェルに傷を見せないためだ。
きっとミシェルが傷口を見たら、何故こんな傷ができてしまったのかと訝しむ。もう充分疑われてはいるだろうが、それでも明らかに両刃のナイフを握ったことが分かる傷を見せたくはなかった。
「──この後は、議会があるんだよね」
「出席されるのですか?」
「『フェリエ公爵』としては、出席しないわけにはいかないよ。今回は、ローラン伯爵が演説する予定だろう?」
ローラン伯爵とは、この国の植物研究の第一人者だ。今年の議会で話題の中心となっている法案の発案者の一人であり、以前害虫による大規模な飢饉を予言した人物でもある。
後から議事録で確認することはできるが、今後のためにも直接聞いておきたかった。
「ですが──」
ダミアンが言い淀んで口を噤む。
ラファエルとて、王宮の廊下を何人もの護衛を引き連れて歩くわけにはいかない。そんなことをしたら、ありもしない噂を立てられてしまうだろう。
影が二人護衛に付いているが、万全とは言えない。一人は常に側にいるようにさせているが、片方は外部との連絡や調査のために離れることも多いのだ。
特に今はパトリックと暗殺未遂事件の調査や、フェリエ公爵邸の護衛、ミシェルの護衛にと、影も護衛も多く動かしている。ラファエル自身につけることができる護衛の人数が減るのも、仕方のないことと言えた。
しかしだからこそ、ダミアンはラファエルが議会に出席することに不安があるのだろう。議会の会場は一度この城から出て、王宮の敷地を横切る必要がある。
予定が分かっている人間が、表立って護衛をつけないまま外を歩くのだ。狙ってくれと言うようなものだろう。
「……議会場まではダミアンに付いてきてもらうよ。それでどう?」
まさか、議会中に衆目があるところで襲ってくる人間はいないだろう。
ラファエルの言葉に、ダミアンは仕方がないというように頷いた。
「分かりました。では、議会前にこの書類を戻してきます」
ラファエルの決裁が済んだ、又はコメントを付けた書類が、机の端で山になっている。
普段であれば戻しに行くついでに担当者と会話をして補足することもあるのだが、今はあまりこの執務室を出ない方が良い。どこに操られている貴族がいるか分からないのだ。
「ありがとう。部署ごとに纏めてあるからね」
ラファエルは頷いて、書類の山をダミアンに託した。
議会が終わった後は、研究所に分析結果を聞きに行くことになっている。そうすればこの暗殺未遂が続く面倒な毎日を終わらせる方法も見つかるかもしれない。
ラファエルはそう思いつつ、なんとなく窓の外を見る。
もう一つの調査結果が、そこには届いていた。
「そろそろ時間だね」
ラファエルはそれからちょうど一時間後、執務の手を止めて伸びをした。両手を組んでうんと伸ばすと、少しだがすっきりとした気分になる。
議会が始まるまで三十分を過ぎた。
そろそろ、皆が移動する時間である。
「……本当に行かれるのですね」
「うん。ダミアンもいるし、一番混む時間に移動すれば多少は狙われ辛いかな」
ダミアンは幼い頃からラファエルの側で仕えることが決まっていたため、ラファエルと同じ訓練をずっと受けてきた。特に剣術と体術は力を入れていて、剣術ならばラファエルに分があるが、体術であればダミアンの方が勝るほどである。
ラファエルの仕事中に一番側にいるには、それだけの訓練が必要だということなのかもしれない。
「そうですね」
ダミアンが短く返事をする。
ラファエルは立ち上がり身支度をした。髪を軽く整え、掛けていた上着を羽織る。前を留めて、堅苦しいが公爵らしい姿になったところで、懐に自衛のための短剣を忍ばせた。
本来、議会に刃物の持ち込みは禁止である。
当然ラファエルのように隠し持っている者はいるだろうが、公に禁止することによって、議会場内での事件は起こりづらくなっているのだ。
ラファエルは執務室の扉を開け、視線だけで周囲を確認した。今はこの近くには人がいないようで、少し安心しつつ部屋を出る。
扉の鍵をしっかりと締め、ラファエルは早足で目的地へと向かった。
ダミアンも、すぐ後を付いてきている。
「……ダミアン、頼みがあるんだ」
「何でしょう?」
「もし私に何かあったら、ミシェルが子爵に会わないようにしてほしい」
「……かしこまりました」
ラファエルと共に調査結果に目を通していたダミアンは、その言葉に神妙に頷いた。




