3章 包帯
「きっと、怒られるだろうと思っていたからね」
その腕の力は強いのに、声はどこか情けない。
ミシェルはそんな小さなことが嬉しかった。
きっと、ラファエルはフェリエ公爵としてしっかりと立っていて、誰にも文句を言わせないほどの力がある。それなのにあえてミシェルに叱られることを気にしてくれる姿の、なんて可愛いことか。
ミシェルは急速に自分の中の怒りが萎んでいくのを感じた。
「怒らないわ。心配はするけれど」
「うん。ごめんね」
ラファエルの胸の中で、ゆっくりと呼吸する。
周囲には何人もの使用人がいる。分かってはいたが、改めて考えるとこの腕の中から出るのが恥ずかしかった。
それでも覚悟を決めて、顔を上げて手を離す。
すると、ラファエルはそんなミシェルの羞恥心も理解しているといった顔で、幸せそうに口角を上げた。
ミシェルは照れ隠しに視線を斜め下に向け、慌てて口を開いた。
「お……お部屋に戻って、着替えをしてきて。今日は食事、一緒にできるんでしょう?」
「うん。先に食堂に行っていて」
柔らかい声音が愛しい。
ラファエルに言われて、ミシェルは素直に頷いた。
その目がふと、ラファエルの左手に巻かれた白い布を見つける。親指の付け根にあてたガーゼを固定するように巻かれているそれは、明らかに医療用の包帯だ。
見る限り、大きな怪我ではないようだが。
「……それ、どうしたの?」
ミシェルの視線を追って、ラファエルも左手の怪我に目を向けた。それから、何でもないというように、左手をひらひらと振って見せる。
確かに、動きに違和感はない。
「ああ、殿下と息抜きに手合わせをしていたら、練習用の剣が掠ってしまって。たいした傷じゃないから大丈夫だよ」
殿下ということは、フェリクスかジェルヴェだろう。
ラファエルは彼等とは幼馴染のようだから、手合わせくらいはすることもあると思う。男性同士の交流の仕方にミシェルは詳しくないが、彼等が練習場で剣を交えている姿は想像できた。
だから、ミシェルはラファエルが怪我をしたこと自体を責めるつもりなかった。
ただ、気になる点はある。
「病み上がりで手合わせだなんて」
昨夜高熱を出して寝込んでいた人間が、次の日に激しい運動などして良いわけがないではないか。
ミシェルがじとっと見上げても、ラファエルはどこか嬉しそうだ。
「ごめんね。ミシェルが私のために怒ってくれるのが嬉しくて」
毒気を抜かれたミシェルは、肩を落として微笑んだ。
これだから、ラファエルには敵わない。
「……体調が良いのなら、良いわよ」
王子達に手合わせしようと言われたら、ラファエルは断らないだろう。ここは素直に、問題なく動くことができた方を喜ぶことにする。
本当に、どうしてラファエルはこうも無茶をするのか。もっと自分を大切にしてほしい。
「食堂で待ってるわ」
ミシェルは穏やかな微笑みのまま、くるりとラファエルに背を向けた。
しかし、これだけでは終わらなかったのだ。
二日後、ラファエルは朝着ていった服とは違う服を着て帰ってきた。
「──何かあったの?」
ミシェルが聞くと、ラファエルは何でもないよと言う。
「紅茶を零したら、染みになってしまって」
「やだ、火傷はしていない?」
どこに零したのか、怪我は本当にないのかとぺたぺたと腕に触れるミシェルを、ラファエルは小さく笑って抱き締める。
「怪我はないから大丈夫だよ」
そう言ったラファエルの声は、いつもと変わらなく穏やかで優しかった。
その次の日も、ラファエルは着替えて帰ってきた。
更に三日後、左手の包帯が取れて本当に怪我がたいしたものではなかったのだと分かってミシェルが安心した頃、ラファエルは今度は右手に包帯を巻いて帰ってきたのだ。
「おかえりなさい、ラファエル様。──えっ! その怪我どうしたの!?」
前回よりも明らかに重傷だった。包帯を巻いているのは右手全部だ。
こんな巻き方、そうそうするものではない。
ミシェルの知識の範囲内では、それなりに大きな怪我のときか、筋を痛めて動かさないようにするときくらいである。
「あー……ちょっとね」
ラファエルも何でもないとは誤魔化せないのか、曖昧に笑っている。
ミシェルはラファエルの右腕をそっと持ち上げて、包帯が巻かれた手を目の前に持ってきた。
「ちょっと、って……何をしたらこうなるの!」
話したくないことなら言わなくても良い。でも、誤魔化すのならもっとばれないようにしてほしい。
こんな、傷を直接見なくても大きな怪我だと分かるようなものをされて帰ってきたら、心配するのは当然だ。
「……ごめん」
ラファエルがぽつりと謝罪の言葉を落とす。
ミシェルはそのしおらしい様子に、思わず溜息を吐いた。
これでも、ミシェルに言うつもりはないのだ。ならばミシェルにできることは、せめて不自由がないように気遣うことぐらいである。




