2章 ラファエルの戦い方
◇ ◇ ◇
ラファエルが目を覚ますと、左手が重かった。
いつもよりも浅い眠りの中で、何度も握られた手を思い出す。
「──……嘘吐きだね、ミシェル」
ラファエルは滲み出る愛しさを隠しきれずに呟く。
きちんと寝台で眠ると言っていたミシェルは、昨夜も座っていた椅子に座ったまま、寝台に頭を預けて眠っている。肩に掛けているショールは半分落ちていて、風邪をひいてしまいそうだ。
ラファエルは寝台から下りて、代わりにミシェルをそこに寝かせた。眠りについた時間が遅かったのか、抱き上げても寝かせても起きる様子はない。
布団を掛けて、額に触れるだけのキスを落とす。
「ごめんね」
謝罪をしても、ミシェルは聞いていない。
ミシェルは昨夜のラファエルの発熱の原因を風邪だと思ってくれていれば良い。本当のことは知らなくて良い。
おそらく、中和剤を飲んでいても、ラファエルの身体が異物を排除しようとしていたのだろう。発熱はその影響に違いない。
以前毒に慣らされていた頃の症状と、よく似ていた。
ラファエルは自室に戻り、着替えを済ませた。
幸い熱は下がっている。昨日早く王宮を出た分、今日は仕事が溜まっているだろう。ミシェルは眠っているが、早めに出仕して片付けたい。
ラファエルが着替えを済ませて一階へ下りると、ちょうどダミアンが階段を上がろうとしているところだった。
「ラファエル様? 今日はお早いですね」
「昨日の仕事が残っているよね。早めに出るよ」
食堂に向かうラファエルの後を、ダミアンが慌てて追ってくる。
「昨日、お熱があったと伺いましたが」
「そう。本当に厄介だよね、あの毒。ミシェルは寝かせてるから、エマ達には寝坊させてあげるように言っておいて」
ラファエルは吐息混じりに吐き捨てるように言った。
本当に、厄介な毒だ。中和剤を使ったラファエルでこれなのだから、ミシェルならば数日は寝込むことになるかもしれない。間違ってもそんな事態は起こしたくない。
「それは構いませんが、体調はよろしいのですか?」
「熱は下がったから大丈夫だよ。ダミアンはすぐに出られる?」
「はい。朝食の用意をさせますから、先に食堂へ行っていてください」
「ありがとう」
ダミアンがラファエルの側を離れていく。
ラファエルが食堂に着いて少しすると、いつもと変わらない朝食が運ばれてきた、きっと、普段も朝早くから支度をしてくれているのだろう。
内心で料理人に感謝しながら食事を済ませ、席を立つ。
ミシェルを起こしてしまっては可哀想だからと、あえて使用人達の見送りは断った。
「……それで、今日はどのように」
馬車に乗ってすぐ、ダミアンが聞いてくる。
「今日は王宮で普通に仕事をするよ。研究所も、流石に昨日の今日で結果は出ないだろうし、犯人は影達に追わせている。警備の見直しもしてあるから、ミシェルが出かけたとしても問題ない。……今はこれ以上、何もできないかな」
「そうですね」
短く返事をしたダミアンが、ラファエルにじとっとした視線を向けてくる。
ラファエルは苦笑して口を開いた。
「どうかした?」
「いいえ。……ただ、奥様が少しお可哀想だなと思っただけです。看病してくださったのに、挨拶もしないで出かけてしまうのですから」
ダミアンの指摘はラファエルの耳に痛い。
寝かせてやりたい気持ちは本心だが、昨夜ラファエルが倒れたところを見ているミシェルに直接行ってくると言えないのはラファエルの心の弱さだ。
ミシェルはきっと、心配そうな顔をしながらも、行ってらっしゃい、と送り出してくれる。ただ、その瞳に浮かぶであろう不安を直視したくなかった。
「──そうだね」
ラファエルは微笑みを浮かべて窓の外に目をやった。
本格的な戦いは今日からだろう。
毒を盛った実行犯はおそらくすぐに捕まるが、それは指示した者ではないだろう。そんなに簡単に捕まる相手であれば、そもそもラファエルに毒を盛ることなど不可能だ。
対立派閥の高位貴族か、それとも。
いずれにせよ、面倒な相手が出てくるのは間違いない。
「私に何かあれば……ミシェルが悲しむかな」
「当たり前です」
即答したダミアンの気遣いがありがたい。
ラファエルとてそう簡単に害されるつもりはないが、万一の場合を考えてしまうのはこれまでの人生の結果身に付けてしまった癖だ。
父の事故死、そして母の自殺。
ラファエルにとって、死は身近なところにある。
人が簡単に死んでしまうこと、そして人の心はたやすく壊れてしまうことを、ラファエルは知っている。知っているからこそ領民や使用人をそんな目には遭わせたくないし、そのために皆が生きやすい国と領地にするよう尽力してきた。
そのためならば、自分はどうなっても良いと思ったことも一度や二度ではない。
今は、それだけではない。
ラファエル自身が損なわれてしまったら、ミシェルは誰が幸せにするのか。フェリエ公爵家の財産があれば生きてはいけるだろうが、そこに幸せはあるのか。
「──……自分を守りながら戦うって、結構大変だね」
ラファエルが眉を下げると、ダミアンは何故か満足げに頷いた。




