2章 かくしごと
「お前な……そういうとこだぞ」
ジェルヴェが言う。
ラファエルは微笑みを浮かべて立ち上がり、棚にしまっていた瓶を取り出した。紅茶を丁寧に移し替え、しっかりと蓋を閉める。ティーカップとまとめて袋に入れて、ダミアンにも同じように保管するよう指示を出す。
「ふふ。すぐというわけにはいかないけれど、毒について詳しいことが分かったら教えるよ。念の為、フェリクス殿下にも気を付けるように伝えておいて」
「分かった。じゃ、後で調べたことだけ伝えさせるからな」
「うん、よろしく」
ジェルヴェは会話を終えてすぐに部屋を出て行った。急いで調べてくれようとしているのだろう。
ラファエルはダミアンのカップと紅茶を入れた瓶も受け取って、ラファエルのものとは別の袋に入れる。
「──今日は報告が来たらここを出るよ」
「研究所にお寄りになるのですか?」
「早く届けてしまわないとね。それに、警備体制も見直したいから」
フェリエ公爵家の研究所は王都にあるが、屋敷とは方向が逆になる。今回分析を頼む内容についても細かく打ち合わせるとなると、やはり時間はかかるだろう。
それに、ラファエルが飲む紅茶に毒を仕込めるほどの人物となると、公爵邸の警備も見直したい。辛い思いをしたばかりのミシェルを屋敷に閉じ込めたくはないから、外出時のミシェルの警備についても考え直す必要がある。
「……奥様には」
「言わないでね、ダミアン。ミシェルが気に病むから」
ミシェルに心配をさせたくはない。これまで苦労が多かったミシェルを幸せにすると決めたのはラファエル自身だ。
ミシェルには毒に気を付けるよう伝えているし、側にいるエマとも情報は共有している。それで充分だ。
「分かりました。でも、黙ってて余計に泣かせても知りませんよ」
ダミアンがわざとらしく溜息を吐いた。
◇ ◇ ◇
自室でラファエルが帰宅するのを待っていたミシェルは、ノエルからラファエルが書いたというカードを受け取った。そこには、仕事で帰りが遅くなるため先に食事を済ませておくように、と書かれていた。
共に過ごす時間が減ってしまったことを残念に思いながらも、仕方がないと頷く。
「──分かったわ。ありがとう」
ノエルに食事の用意をするよう伝言を頼んで、ミシェルは一人食堂に向かう。
「ラファエル様、お忙しいのかしら」
「なかなか落ち着きませんね」
ミシェルについてきてくれているエマがぽつりと言う。
湖での一日を捻出するためにどれだけラファエルが頑張ってくれていたのかと思い知らされる。きっと、公爵家当主というのはそれだけでもかなり多忙なのだ。まして二人の王子の補佐もしているのだから、それがどれだけのものかミシェルには想像もできない。
「本当にね。でも、落ち着くことなんてあるのかしらとも思うわ」
遅くなるのも、仕方のないことだ。
ミシェルにできることは、ラファエルの負担を減らせるように、家のことを少しでも多くこなすことくらいだ。
あの日の幸福な時間を思い出すと、今側にいないことすらもどかしく感じられてしまう。重ねた温もりも、分け合った孤独も、全てが夢のようだった。
顔が熱くなったことを隠すように僅かに俯いて、誰もいない食堂に入る。
いつも通りの素晴らしい食事ですら、一人きりではいつもよりも味気なく感じてしまう。そんな贅沢な感情を持て余して、ミシェルは小さく溜息を吐いた。
ラファエルが帰ってきたのは、ミシェルがすっかり寝支度を終え、屋敷の明かりも落としてしまうかどうか、という時間だった。
慌ててショールを羽織って階段を駆け下りると、疲れた顔のラファエルと目が合う。
「おかえりなさい、ラファエル様」
「ただいま、ミシェル。先に部屋で待っていて」
いつもよりも気力が無いように見えるのは、仕事が詰まっていたからだろうか。
ミシェルは起きて待っていることを決めて微笑む。
「急がなくて大丈夫だから、ゆっくりお食事をして、お風呂で疲れを落とすと良いわ。ねえ、まだ料理は用意できるようにしているのでしょう?」
側にいた使用人に聞くと、問題ないという答えが返ってくる。
「ああ、もう遅いから軽くで良いよ。ありがとう」
「私は部屋に戻っているわ。お疲れさま」
ミシェルはあえて待っているとは言わずに踵を返した。
待っていると言ってしまったら、ラファエルはきっとミシェルのために急いでくれるだろう。しかしミシェルには、ラファエルを急かすつもりはないのだ。
ラファエルが夜着に着替えて寝室にやってきたのは、それからちょうど1時間ほど経った頃だった。
読書をしていたミシェルは、栞を挟んだ本を机に置き、寝台に腰掛ける。
「待たせてごめんね」
ラファエルは申し訳なさげに眉を下げ、ミシェルの横に腰掛けた。
ラファエルの左手が、ミシェルの右手まで指一本の距離に置かれている。その距離を切なく思ってしまうのは、恋をしていれば当たり前の感情なのだろうか。ミシェルには正解が分からない。
手を繋ぐだけで良い。朝まで、ずっと繋がっていたい。
そう思ってしまうのは、おかしなこと?
「いいえ、お疲れさま。今日はもう休みましょう?」
「うん、ありがとう」
ラファエルが微笑んで、寝台に上がろうと両手をつく。
そのとき、大きな身体がぐらりと傾いだ。
のしかかるように覆い被さられたミシェルの力ではとても支えきれず、二人揃って寝台に倒れてしまう。
ようやく触れた肌の熱さに、ミシェルの心臓が嫌な音を立てた。




