2章 ジェルヴェとラファエル
「かしこまりました。体調に変化はありますか?」
ダミアンが心配そうに言う。
苦しくないわけではないが、ラファエルは多少毒に慣れている。それはこれまでに毒殺されかけたことが一度や二度のことではなかったためであり、同時に簡単に死なないように教育の一環として慣らされたからである。
今回はすぐに中和剤を飲んだため、これ以上重症化することはないだろう。
「大丈夫だよ。……少ししたら落ち着くから」
ラファエルの返事を聞いて、ダミアンは立ち上がり開けられていたカーテンを隙間なく閉めた。これで、外から見られる心配もなくなる。
内心はどうあれ、ダミアンもまた落ち着いて行動していた。
「では行ってまいります。鍵を閉めていきますから、大人しくしていてくださいね」
「分かっているよ」
ダミアンが執務室を出て、外から部屋の鍵を閉める。これで、この執務室を覗く者はいない。
ラファエルは深く息を吐いた。
目を閉じて、ゆっくりと呼吸する。指先に痺れがあるのは、毒の症状だろう。
ラファエルが盛られた量と濃度は分からないが、これを使われたのが自分で良かったと思う。口にしたのは少量であったが、中和剤がなければ少なくとも寝込むことにはなっていただろう。
気付かずにもっと多く飲んでいたら、どうなっていたかは分からない。
他国に咲く花から取れる特殊な成分を抽出して作られるという、新たな毒。興味がなかった訳ではない。
「とはいえ、自分で試す気はなかったな……」
やがて中和剤が効いてきて、少しずつ症状が落ち着いてくる。背もたれから身体を起こせるまでになって、ラファエルは椅子に座り直した。
そろそろダミアンが戻って来る頃だ。
机の上のティーカップを一瞥して、ラファエルは水を一口飲んだ。
「ラファエル様、戻りました」
扉の外から声が掛けられ、すぐに外側から鍵が開けられる。
入ってきたのはダミアンと、連れてくるように頼んだジェルヴェだ。ラファエルが普段と変わらない姿で座っていることを確認して、ダミアンはほっと息を吐く。
「ありがとう。ダミアン、鍵を」
「はい」
今度は内側から鍵を掛ければ、大きな声を出さない限りこの部屋の情報は守られる。
ジェルヴェが首を傾げてラファエルを見る。
「急に呼びだして、一体何だって言うんだ。俺だってこれでも暇じゃないんだぜ」
「分かっているよ、ジェルヴェ殿下」
ラファエルは毒入りの紅茶を持って、ジェルヴェにも見えるように軽く掲げた。
「……何だ?」
「例の毒が入った紅茶だよ。少量でも影響があったから、濃度はかなりのものだと思うんだ。……ここの使用人が持ってきた」
目を見張ったジェルヴェが、ティーカップから視線を外さずにどんどん距離を詰めてくる。ラファエルが話し終わる頃には、執務机を挟んだ反対側で身を乗り出していた。
「……何?」
「何、じゃねぇよ! 毒って分かったってことは、飲んだんだろ?」
眉間に皺を寄せた表情に、ラファエルは苦笑する。
手に入った有益な証拠よりも先に幼馴染の身の安全を確認しようとするジェルヴェの気質に、ラファエルは思わず頬を緩めた。
王太子となったフェリクスにはラファエルも気を遣ってしまっているが、ジェルヴェとは変わらずに付き合えているのがありがたい。本当はフェリクスがそんなジェルヴェに妬いているのも、分かってはいるが。
「大丈夫だよ。公爵家の薬の力は知っているだろう」
「あー、あれか。でも本調子じゃないんだろ。楽にしたら良いじゃねぇか」
「……お言葉に甘えるよ」
ラファエルは肘を机に乗せて頬杖をついた。それだけでもいくらか楽になる。
本当に、厄介なことだ。
「それで、俺を呼んだ理由があるんだろ?」
ジェルヴェがようやく机から離れて、一番近くにあった椅子に腰掛ける。
ラファエルはそれを確認して本題を切り出した。
「今日私の部屋についている使用人と、厨房勤務の者の素性を教えてほしいんだ。それと、把握している範囲で構わないから、最近急に羽振りが良くなった者もいたら知りたいな。ああ、あとこのティーカップ、貰っても構わないよね?」
「良いけど。毒の方は?」
ジェルヴェに聞かれ、ラファエルは口角を上げる。
犯人は、今回に限っては良い働きをしてくれた。ラファエルが自由にできる『証拠』を、こちらに寄越してくれたのだから。
「──私が訴え出なければ、これを騎士団に提出する必要はないだろう? ようやく自由にできる毒のサンプルが手に入ったんだ。公爵家の研究機関がどれだけのものか、相手に教えてあげるのにちょうど良いね」
フェリエ公爵家には、お抱えの研究機関がいくつもある。
中でも特に能力が高いのは薬に関するものだ。毒に対する万能の中和剤が秘伝となっている家だ。それだけでも、その能力は疑うまでもないだろう。




