2章 もうひとつの問題
「それで、旦那様。話しておきたいことって何でしょうか?」
ラファエルはダミアンが自分の分の紅茶もテーブルに置いたことを確認して、話を再開した。動揺して零してしまったら困る。
一度は机に置いていた手紙を、また手に取って見せる。今あるのはこの一通だけだ。
「これは別件だけど、私宛の脅迫状が来ているんだよ」
椅子に座ろうとしていたダミアンが、慌てて腰を浮かせた。膝がテーブルに当たって、がちゃんと派手な音が鳴る。
「公爵家に喧嘩を売るってことですか!? いくらなんでも無謀ですよ!」
「そう思うんだけど、どうにも犯人が捕まらない。もしかしてエロワ子爵が直接指示を出しているのかと思ったけど、それなら犯人も証拠ももっと早く見つかる筈なんだ」
ラファエルはもう五通になる、と補足して、険しい顔をしているダミアンに手紙を渡した。
「だから、子爵の可能性はあるけれど、単独犯ではない。それは確かだよ」
ダミアンが普通の手紙よりも小さめの封筒を開けて、中のカードを取り出した。そこには一言、離縁しなければ命はない、と書かれている。
ラファエルは、ダミアンの責めるような目を正面から受け止めた。
「……どうして、すぐに教えてくださらなかったのですか?」
「影に調べさせていたからね。すぐに犯人が捕まるなら、よくある話だろう?」
ダミアンが溜息を吐いた。
ラファエルに脅迫状めいたものが届いたことは、一度や二度ではない。権力を持つ者の命が狙われないならば、その者は出来の良い傀儡であろう。
更にラファエルの場合は、思いあまった令嬢から心中紛いな暗殺をされそうになることもあった。
脅迫状よりも、怨嗟の籠もった恋文を貰う方が多かったりする。
「ああ、そうでした。ここ数年はなかったので、忘れかけていましたよ」
「ただ、これは令嬢からの熱すぎる恋文とは性質が違うもののようだけどね」
ラファエルはカードを封筒に入れて、机の抽斗に戻した。しっかり鍵を掛け、他の者には気付かれないようにする。
特にミシェルには、知られたくなかった。
今ではもう表立って言う者はいなくなったが、ミシェルはまだかつて『貧乏神』という噂が立てられたことを気にしている。犯人がパトリックであってもそうでなくても、ミシェルが脅迫状のことを知ったら不安に思うだろう。
きっと、自分を責めるに違いない。
ラファエルは小さく息を吐いて、ダミアンが淹れてくれた紅茶のカップをそっと持ち上げた。甘い花の香りがする、と思いながら、まだ熱いそれを少しだけ飲む。
瞬間、ラファエルは微笑みの仮面を被った。
舌に感じた違和感は、気のせいではない。
いつも通りの呼吸が難しくなる。
胸が苦しくて、鼓動の音が煩い。
ダミアンにおかしなところがないことを確認して、袖口にいつもつけているカフスボタンの細工を操作する。
中から出てきたカプセルを書類の影に隠れて口に含んで、思いっきり噛んだ。出てきたどろっとした液体を、水差しの水で一気に飲み干す。ミシェルに渡したネックレスとは違い、ラファエルは誰にも気付かれないことを最優先に薬を所持していた。
まだ落ち着かない呼吸を誤魔化しながら、ラファエルは背もたれに身体を預けた。
「──……ダミアン。実は君、今、偽物だったりする?」
「何を言ってるんですか」
ダミアンが、書類から目を上げずに笑って言う。きっと、ラファエルが何か冗談を言っていると思っているのだろう。
仕事をしながらカップに自然と手が伸びていったダミアンを確認して、ラファエルは口を開いた。
「君はその紅茶を飲まないで。カップか湯か分からないから」
ダミアンが使った茶葉は、最初からこの執務室にあったものだ。不在のときには誰も入れないようにしているため、茶葉に細工をされることはまずないだろう。
使用人に用意をさせたのは、茶器と湯だけ。
ラファエルがどちらのカップを使うか分からないのだから、普通に考えれば両方のカップか湯か、毒を仕込むならその二択だ。
ようやくラファエルを見たダミアンが、普段よりも浅く呼吸をしているラファエルに気付いた。
言葉の意味に気付いて、顔を青くする。
「……はい」
ダミアンが慌てる様子を見せないのは、誰かに見られているかもしれないからだ。
この執務室は天井と扉は隙間がないように改装させ、窓からの侵入も不可能なようにはしてあるが、今はカーテンが開いている。
ここが城の高層階であることは関係ない。覗こうと思えば覗けるのだ。
ラファエルは意識してゆっくりと呼吸を繰り返した。
額に汗が浮いているが、今は構っている余裕はなかった。
いつもより動きが鈍い思考を必死で動かして、ラファエルはダミアンに指示を出す。
「フェリクス……じゃなくて、ジェルヴェがいいな。ここに呼んで」
王太子であるフェリクスは何かと目立つ。ジェルヴェも王子ではあるが、フェリクスよりも奔放な行動が多いため、多少は誤魔化せるだろう。




